*理央*
琴音は小さく頷いて、
”送ってくれてありがとう”
と微笑った。
その笑顔……その仕草……
胸の奥が、ぎゅっと掴まれる。
前と同じ顔……
前と同じ声……
でも、前とは違う距離。
触れられそうで、触れられない。
近いのに、決して踏み込んではいけない場所。
”……気をつけて”
それだけ言うのが、精一杯だった。
琴音がエントランスに入っていく背中を、
ドアが閉まるまで、俺は黙って見送った。
——そして、
完全に姿が見えなくなった瞬間。
「……っ。」
小さく、息を吐く。
一気に、力が抜けた。
夕方の風が、やけに冷たい。
胸の奥は、ずっと熱いままなのに。
「……危ねぇ。」
誰もいない道で、俺はそう呟いた。
会った瞬間から、ずっとだった。
名前を呼ばれただけで。
目が合っただけで。
並んで歩いただけで。
手を伸ばしたい衝動が、
何度も、何度も、湧き上がった。
でも、伸ばさなかった。
伸ばせなかった。
今の琴音にとって、
俺は“恋人”じゃない。
それを、
誰よりも分かってるのは、俺自身だ。
「……分かってるよ」
歩きながら、
自分に言い聞かせる。
記憶が戻ってない琴音に、
過去を押し付ける資格なんてない。
好きだった証拠を並べて、
思い出せないことを責める権利もない。
それなのに。
「……好きだな」
ぽつりと、こぼれた。
今の琴音も。
記憶を失った琴音も。
今日、神谷崎高校の正門で
俺を見つけて、手を振った琴音も。
全部。
胸の奥が、
じわじわと痛む。
——もし、
もう一度好きになってくれたら。
——もし、
思い出さないままでも、
俺を選んでくれたら。
そんな期待が、
一瞬、顔を出して。
すぐに、押し殺した。
「……ダメだ」
都合が良すぎる。
琴音が混乱してる今、
俺の気持ちを優先させるのは、
ただの自己満足だ。
玄関の鍵を開け、
靴を脱いで、
部屋に入る。
明かりをつけると、
静まり返った空間が広がる。
——琴音が、いない。
当たり前なのに、
それだけで、胸が痛む。
ソファに腰を下ろし、
背もたれに頭を預ける。
「……ちゃんと、できてるよな」
距離を保つ。
踏み込まない。
触れない。
期待させない。
全部、守った。
それなのに、
心臓だけは、全然言うことを聞かない。
——あの帰り道。
並んで歩いた、短い時間。
何気ない会話。
風に揺れた髪。
それだけで、
また恋をしたみたいだった。
「……俺は」
天井を見上げて、
静かに呟く。
「思い出さなくてもいいって、
言ったくせに……」
本当は、
思い出してほしい。
俺と笑ったことも。
俺と喧嘩したことも。
俺を好きだって言ってくれたことも。
全部。
でも、それ以上に——
「……今のままでも、
好きになってくれたら……」
その願いが、
一番、危険だ。
だから、俺は選んだんだろ……
一旦……
“恋人ではない距離”を。
一時的でも、
苦しくても、
この距離を守る。
琴音が、自分で選べるように。
——俺を、
“過去”じゃなく、
“今”として。
胸に手を当てる。
ドクン、ドクンと、
まだ早い鼓動。
「……大丈夫だ。」
そう言い聞かせて、目を閉じる。
この気持ちは、隠すためじゃない。
守るためだ……。
そして、琴音を思い出の場所に
誘う為の自分に言い聞かせる為の
決意だ。
理央 side 終わり
琴音は小さく頷いて、
”送ってくれてありがとう”
と微笑った。
その笑顔……その仕草……
胸の奥が、ぎゅっと掴まれる。
前と同じ顔……
前と同じ声……
でも、前とは違う距離。
触れられそうで、触れられない。
近いのに、決して踏み込んではいけない場所。
”……気をつけて”
それだけ言うのが、精一杯だった。
琴音がエントランスに入っていく背中を、
ドアが閉まるまで、俺は黙って見送った。
——そして、
完全に姿が見えなくなった瞬間。
「……っ。」
小さく、息を吐く。
一気に、力が抜けた。
夕方の風が、やけに冷たい。
胸の奥は、ずっと熱いままなのに。
「……危ねぇ。」
誰もいない道で、俺はそう呟いた。
会った瞬間から、ずっとだった。
名前を呼ばれただけで。
目が合っただけで。
並んで歩いただけで。
手を伸ばしたい衝動が、
何度も、何度も、湧き上がった。
でも、伸ばさなかった。
伸ばせなかった。
今の琴音にとって、
俺は“恋人”じゃない。
それを、
誰よりも分かってるのは、俺自身だ。
「……分かってるよ」
歩きながら、
自分に言い聞かせる。
記憶が戻ってない琴音に、
過去を押し付ける資格なんてない。
好きだった証拠を並べて、
思い出せないことを責める権利もない。
それなのに。
「……好きだな」
ぽつりと、こぼれた。
今の琴音も。
記憶を失った琴音も。
今日、神谷崎高校の正門で
俺を見つけて、手を振った琴音も。
全部。
胸の奥が、
じわじわと痛む。
——もし、
もう一度好きになってくれたら。
——もし、
思い出さないままでも、
俺を選んでくれたら。
そんな期待が、
一瞬、顔を出して。
すぐに、押し殺した。
「……ダメだ」
都合が良すぎる。
琴音が混乱してる今、
俺の気持ちを優先させるのは、
ただの自己満足だ。
玄関の鍵を開け、
靴を脱いで、
部屋に入る。
明かりをつけると、
静まり返った空間が広がる。
——琴音が、いない。
当たり前なのに、
それだけで、胸が痛む。
ソファに腰を下ろし、
背もたれに頭を預ける。
「……ちゃんと、できてるよな」
距離を保つ。
踏み込まない。
触れない。
期待させない。
全部、守った。
それなのに、
心臓だけは、全然言うことを聞かない。
——あの帰り道。
並んで歩いた、短い時間。
何気ない会話。
風に揺れた髪。
それだけで、
また恋をしたみたいだった。
「……俺は」
天井を見上げて、
静かに呟く。
「思い出さなくてもいいって、
言ったくせに……」
本当は、
思い出してほしい。
俺と笑ったことも。
俺と喧嘩したことも。
俺を好きだって言ってくれたことも。
全部。
でも、それ以上に——
「……今のままでも、
好きになってくれたら……」
その願いが、
一番、危険だ。
だから、俺は選んだんだろ……
一旦……
“恋人ではない距離”を。
一時的でも、
苦しくても、
この距離を守る。
琴音が、自分で選べるように。
——俺を、
“過去”じゃなく、
“今”として。
胸に手を当てる。
ドクン、ドクンと、
まだ早い鼓動。
「……大丈夫だ。」
そう言い聞かせて、目を閉じる。
この気持ちは、隠すためじゃない。
守るためだ……。
そして、琴音を思い出の場所に
誘う為の自分に言い聞かせる為の
決意だ。
理央 side 終わり



