──2学期の始まり
思い出せないまま、季節だけが進む。
退院してから、3週間が過ぎた。
気づけば夏休みは終わり、
朝の空気には、
ほんの少しだけ秋の気配が混じっている。
それでも、私の中の時間は
あの日から止まったままだった。
記憶が、戻らない。
スマホの写真を見ると
みんなで撮ってる写真や理央君と2人で
撮ってる写真。
千歌ちゃんと遥陽君が写ってる写真など、
色んな写真がスマホの中に収まっていた。
だけど……理央君とは何かあったのは薄々
感じているのだけれど……
どれだけ考えても、どれだけ思い出そうとしても、
そこだけが、ぽっかりと抜け落ちたまま。
バイトは、お母さんと相談して辞めた。
「無理しなくていいから」と言われて、
本当は少し寂しかったけれど、逆らえなかった。
時間ができた分、
考えることが増えただけだった。
左手の薬指には、
あの日からずっと、
ペアリングを着けている。
細いピンクゴールドの指輪。
特別派手なわけでもないのに、
なぜか外す気になれなかった。
これが、
思い出す“きっかけ”になるかもしれない。
そんな淡い期待だけが、私を繋ぎ止めている。
……私、誰と恋人だったんだろう。
晃は着けていない。
理央君も、同じ指輪は着けていない。
だから余計に、わからなくなる。
——私だけが、
過去に取り残されているみたいだ。
──翌日
昨日よりも、
少しだけ校内の空気に慣れてきた。
でも、それは元に戻ったわけじゃない。
私はただ、
“分からないままの日常”に、
無理やり足を合わせているみたいな
感覚だった。
昼休みトイレに向かう為、
教室を出て廊下を歩いていると、
後ろから声をかけられた。
「琴音先輩!」
明るく、弾んだ声が背中に当たる。
振り返ると、1学年下の男子が、
人懐っこい笑顔でこちらに駆け寄ってきた。
「お久しぶりです!」
……お久しぶり?
一瞬、頭が真っ白になる。
えっ……誰……?
全然、思い出せない……。
「えっと……」
私の反応に構わず、彼は続ける。
「夏休み明け、先輩ちょっと」
「雰囲気変わりましたよね!」
「しかも、突然バイト辞めちゃうし。」
そう言って、屈託なく笑う。
名前も、顔も、
——覚えていない。
胸の奥が、すっと冷える。
「ごめんね……。」
私は、慎重に言葉を選ぶ。
「もしかして……」
「私達、知り合いだった?」
「バイトが一緒だったの?」
その瞬間、
彼の表情が、ぴたりと止まった。
「……え?」
冗談だと思ったのか、
一拍遅れて、笑いながら言う。
「先輩、何言ってるんですか。」
「俺ですよ、矢口瑠斗です!」
矢口……瑠斗。
やっぱり、
何も浮かばない。
「先輩とは、バイト先も」
「一緒でしたよ!」
「俺、しかも先輩に告白して」
「フラれて、琴音先輩と友達に」
「なったんですよ!」
無邪気な声で言う後輩。
悪気なんて、欠片もない。
だからこそ胸が、ちくりと痛んだ。
私は、静かに息を吸ってから、
はっきりと告げる。
「……ごめん。」
「私、事故に遭って、」
「一部の記憶を失ってるの。」
その言葉を聞いた瞬間、
矢口君の顔から、笑顔が消えた。
「……事故?」
「うん。」
「だから所々覚えてない部分が多くて。」
しばらく、
瑠斗は言葉を失っていた。
そして、
信じられない、というように呟く。
「……マジ、ですか。」
廊下のざわめきが、急に遠くなる。
私は、少しだけ笑ってみせた。



