その言葉の先を、言えなかった。
千歌は、
膝の上で手を強く握る。
千歌
「……付き合う前に戻った」
「ってことだよね……?」
誰も否定できない。
それぞれの頭に、
同じ結論が浮かんでいた。
琴音の記憶の時間は、
理央と恋人になる前で、
止まっている。
遥陽は、
視線を落として呟く。
遥陽
「……きついな。」
俺は、何も言わなかった。
と言うか……言えなかった。
やがて、
廊下の向こうから足音が近づいてくる。
その音だけで、全員が察した。
医師が……来る。
医師の姿が見えた瞬間、
病室の空気が一気に張り詰める。
みんなも俺と同じで、
呼吸の仕方を忘れたようだった。
俺は背筋を伸ばし、
無意識に唇を噛む。
晃は、
一歩だけ前に出て、
それでも何も言わずに立っている。
琴音のお母さんが、
静かに立ち上がる。
医師は、
一人一人の顔を見渡し、
穏やかな、
けれど真剣な声で口を開いた。
医師
「検査の結果について、」
「お話しします。」
この瞬間……この時間が、
ほんの少しだけ、
遅く流れた気がした。
俺の胸の奥で、
祈るような声が響く。
どうか……どうか……
ちゃんと戻るって、言ってくれ。
目を閉じて、
短く息を吐いた。
この結果が、
誰かの想いを救うのか、
それとも……
すべてを、
変えてしまうのか。
病室は、
その答えを待つ場所になっていた。
医師は、
一度だけ資料に視線を落とし、
それからゆっくりと顔を上げた。
病室の空気が、
ぴん、と張りつめる。
「検査の結果ですが……」
「脳に出血や損傷などの、」
「命に関わる異常は見られませんでした。」
その言葉に、
誰かが小さく息を吐いた。
俺も、晃も、みんなも
ほんの一瞬だけ、
胸の奥が緩むのを感じた。
だが、
医師はそこで言葉を切り、
続けた。
医師
「ただし……」
その一言で、
全員の背筋が再び強張る。
医師
「事故の衝撃によって、」
「一部の記憶が抜け落ちている状態です。」
琴音のお母さんが、思わず一歩前に出る。
琴音の母
「……それは、戻るんでしょうか?」
医師は、
慎重に言葉を選ぶように、
間を置いて答えた。
医師
「記憶障害には個人差があります。」
「時間とともに自然に戻る」
「可能性もありますし、」
「何かのきっかけで急に」
「思い出すこともあります。」
俺はその言葉を、
必死に噛みしめていた。
千歌
「……戻らない……」
「可能性もあるんですか……?」
千歌ちゃんが声を、
絞り出すように問いかける。
医師は、
はっきりと頷いた。
医師
「残念ですが、ゼロではありません。」
病室に、重たい沈黙が落ちた。
医師
「今の琴音さんは、」
「事故以前の記憶の一部、」
「特に感情が大きく動いた出来事が」
「抜け落ちているように見受けられます。」
その言葉は、
はっきりと告げていた。
そして……はっきりと現実を
突きつけられた。
琴音と恋人として過ごした時間が、
琴音の記憶から消えている。



