しばらくして、
医師が病室に入ってくる。
琴音の反応を一通り確認したあと、
穏やかな声で告げた。
医師
「意識ははっきりしていますし、」
「会話も問題ありません。」
一瞬、
空気が和らぐ。
だが、
次の言葉が続いた。
医師
「ただ、念のため脳に異常がないか、」
「詳しい検査を行いましょう。」
その言葉に、
琴音は少し不安そうな表情を浮かべる。
琴音
「……検査?」
「私どこか悪いの?」
「ここ……病院みたいだけど……。」
琴音のお母さんが、
優しく頷いた。
琴音の母
「大丈夫よ。」
「ちゃんと調べてもらおうね。」
琴音は、小さく息を吸って、
「うん」と頷いた。
ベッドが動かされ、
琴音は検査室へ向かって運ばれていく。
その背中を、
俺達はは黙って見送る事しか
出来なかった。
誰もが、
本当の不安を口にしなかった。
けれど、
全員が感じていた。
これは、
ただの“無事”では終わらないと……。
ここから、もう一度……
関係を築き直す時間が始まるのだと。
琴音が検査室へ運ばれて行った後……
病室には、ぽっかりと穴が
空いたような静けさが残った。
機械の音もない。
話し声もない。
ただ……
壁掛け時計の秒針の音だけが、
やけに大きく響いている。
俺は……
ベッドの横に立ったまま動けずにいた。
ついさっきまで、そこに琴音がいた。
自分の名前を、“理央君”と呼んでいた。
付き合う前の呼び方……。
その呼び方が、
胸の奥で何度も反芻される。
晃は、
少し離れた場所で腕を組み、
窓の外を見ていた。
互いに、
声をかける理由はいくらでもあった。
大丈夫だろ。
きっと一時的なものだ。
きっとすぐ戻るよ。
でも……どの言葉も、
今は軽すぎる気がして、
みんな口に出すことができなかった。
俺は、無意識に拳を握りしめる。
理央
「なぁ……晃……。」
「……俺さ……。」
不意に、低くかすれた声が零れた。
晃は、
視線を外したまま、
”うん”とだけ答える。
理央
「名前、呼んだだけなのにさ……」
そこで、言葉が途切れる。
晃は、何も言わずに聞いていた。
理央は、息を吸い直して
やっと続けた。
理央
「琴音の……」
「……あんな顔、初めて見た。」
“知らない人を見る目”。
その言葉を、理央は飲み込んだ。
晃は、
しばらく沈黙したあと、静かに口を開く。
晃
「……でも……」
一拍、間を置いて。
晃
「覚えてたよな。
「俺たちのこと……。」
俺は、晃の言葉を聞いて
ゆっくりと頷く。
理央
「……ああ。」
それが……
希望なのか、それとも、
もっと残酷な現実の始まりなのか。
2人共まだわからなかった。
そして沈黙は、
再び病室を支配した。
夏奈は、
落ち着かない様子で椅子に座り直し、
何度もスマホを伏せたり、
裏返したりしていた。
千歌ちゃんは、
ベッドを見つめたまま、
小さく呟く。
千歌
「理央君の……」
「名前、君付けになってたね……。」
その一言に、
全員の肩が、わずかに揺れる。
遥陽が、無理に明るい声を作った。
遥陽
「でっ……でもさ!」
「覚えてるってことはさ……」
「全部忘れたわけじゃ」
「ないってことだよな?」
夏奈
「……うん。」
「そうだと思う。」
夏奈は頷きながらも、
その声は弱い。
夏奈
「でも……」
「“理央君”って呼び方……」



