*晃*
——8月5日、昼
図書館の中は、
夏休み中とは思えないほど静かだった。
冷房の効いた空気。
ページをめくる音。
シャーペンが紙を擦る、
かすかな響き。
長机の端に座り、
参考書を開いたまま、
俺は同じページを、もう何度も眺めていた。
あっ……ここ、
さっきも読んだよな。
英単語は、
頭の中を素通りするだけで、
意味として残らない。
視線を落としたまま、
無意識に、シャーペンを回す。
8月5日。
今日は、
東中園の花火大会の日。
理央が、琴音に告白した日から
1年が経った。
今日、琴音は理央と東中園の花火大会に
行く事になっている。
その事実を、
考えないようにしていたはずなのに、
気づけば、
琴音の横顔ばかり浮かんでくる。
浴衣、似合うんだろうな。
笑って……
少し照れた顔を見せながら、
彼女として理央の隣を歩くんだろう。
あぁぁぁあ!もう!
俺……集中しろ!
自分に言い聞かせて、
問題集に視線を戻す。
来年2月には、大学試験が控えている。
俺には、考えるべきことが他にある。
それなのに。
「……っ。」
不意に、
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
何やってんだよ……
俺……。
未練……
諦めきれない気持ち……
全部、自覚してる。
でも、今さらどうにもできない。
奪うって決めたんだ……。
シャーペンを置き、
小さく息を吐いた。
——このままじゃ、無理だ。
全然集中できない。
俺は立ち上がり、
参考書を鞄にしまう。
図書館を出ると、
外の空気は一気に熱を帯びていた。
蝉の声が、
遠慮なく耳に飛び込んでくる。
行きつけのカフェへ向かう道。
何度も歩いた、落ち着く場所。
冷たいアイスコーヒーを頼み、
窓際の席に座る。
グラスの表面についた水滴を見つめながら、
再び、参考書を開いた。
……今度こそ集中しよう。
そう思った、その時だった。
ポケットの中で、
スマホが震えた。
一瞬、理央かと思った。
だけど……
画面に表示された名前を見て、
息が止まる。
——琴音のお母さん。
なっ……なんで?
嫌な予感が、
背中を冷たくなぞった。
「……もしもし」
声が、
少しだけ震える。
「晃君……。」
電話越しのお母さんの声は、
明らかに動揺していた。
「今……琴音が……。」
その続きを、
聞きたくなかった。
「マンションの階段から……」
「……落ちて……。」
頭の中が、真っ白になる。
「小さい子を助けようとして……」
琴音のお母さんの声は泣いて掠れていた。
「今、救急車で病院に向かってるの。」
世界が、一瞬で遠くなる。
「病院……」
「……どこ、ですか……。」
やっと、それだけを絞り出す。
「〇〇総合病院……」
「お願い、晃君……理央君にも……」
「伝えて……。」
それ以上の、
言葉は入ってこなかった。
電話を切った瞬間、
俺は立ち上がっていた。
俺が立ち上がったと同時に
店員が食器を落とした
大きな音が店内に響き渡り、
「すみません!」
っと言う店員の声も、
もう耳に入らなかった。
外に飛び出すと、
夕方の熱気が一気に押し寄せた。
……琴音……!!
心臓が、
異常な速さで打っている。
足が、勝手に走り出す。
――間に合え。
何に、どう間に合うのかも分からない。
ただ、
動いていないと、
崩れてしまいそうだった。
走りながら、
スマホを取り出す。
震える指で、
理央の名前を押す。
……頼む……出てくれ!
呼び出し音が、
やけに長く感じた。
俺は……
何度も、
心の中で繰り返す。
俺は、
ただの幼なじみだ。
恋人じゃない。
守る立場でもない。
それでも。
……無事でいてくれ……
それだけを願いながら、
俺は、病院へ向かって走り続けた。
晃 side 終わり



