「ここの二階です」
小さな雑居ビルだ。通りに面して狭く急な階段が口を開けていた。
隠れ家レストランといったところか。

彼の後に続いて階段を上がると、向かって左手にドアがあった。『pippala』という看板が下がっている。
聡がハンドルを掴んでドアを引いた。

と、まさに、どっとあふれ出すスパイスの香りに迎えられる。
「うわあ」と思わず小さなつぶやきが漏れた。これはすごい。
カレー屋と名のつく店に入ったことはもちろんあるけれど、ここはまるで違うと足を踏み入れただけで分かった。
鼻腔を圧倒するスパイスの洪水。それはけしてしつこいものではなく、さまざまな香りが渾然一体となって織りなす芳しさだった。

いらっしゃいませ、とホールにいる女性がこちらに気づいて声をかける。外国の人ではない。年配の日本人女性だった。
明るく染めたマッシュルームカットのショートヘアがよく似合っている。

奥のテーブル席に通された。
小さな店だった。長方形のスペースの一角がオープンキッチンで、カウンター席と数個のテーブル席がすべてだった。
十数人で満席といったところだろう。

店内は清潔感のある白壁で、こざっぱりと整えられている。ありがちなインドを思わせる装飾も見当たらない。
店内だけ見れば、イタリアンでもフレンチでも違和感はなかった。