白桜国夜話 死を願う龍帝は運命の乙女に出会う

そんな高天帝を殺害するという密命を帯びて、自分は皇宮に潜入している。元より実行に移す気はなく、何とか時間稼ぎをして風峯の手から逃れる手段を探すつもりだ。

しかしあの赤い瞳と目が合った途端、こちらの思惑が何もかも見透かされているような気持ちになって、朱華の心はすっかり委縮していた。

(風峯さまたちの企みが露見すれば、わたしはきっと一緒に処罰の対象になってしまう。その前に何とか逃れる手を考えないと)

そんなふうに思案していると、ふいに扉が二度叩かれ、我に返った朱華は「はい」と応える。
すると二人の若い娘がこちらを覗き込み、声をかけてきた。

「あなた、今日入ったっていう新しい人でしょう」
「はい」
「私たち、ひと月前に采女になったばかりなの。私は美月(みつき)、こちらは風花(ふうか)よ」
「よろしくね」

彼女たちが先輩の采女だと知った朱華は、二人に頭を下げる。

「朱華と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 それを見た風花が、笑顔で言う。

「そんな堅苦しくならなくていいわ。同じ年くらいなんだし」
「そうよ。私たちでよかったらいろいろ教えてあげるから、仲よくしましょうね」


翌日から翠霞宮で始まった講義には、朱華と美月、風花の他、このひと月ほどで入った十名近くの新顔が参加した。

一刻ほど萩音の話を聞いたあとは奉職と呼ばれる日常作業に入ったが、花壇で花の手入れをしながら美月が説明する。

「華綾の采女は、家柄に優れた令嬢ばかりよ。官僚はもちろん、大商人や寺院、祝部(ほうりべ)の娘もいるし、萩音さまも(ちょく)筆師(ひつし)の娘だしね」
「そうなの?」

勅筆師とは、龍帝の傍近くに仕えてその言葉を筆録し、勅令や(みことのり)を執筆する役職だ。

学識が高く優れた筆致を持っており、その下には国政に関わる文書の記録や外交書簡の作成を任される筆政(ひっせい)と呼ばれる者たちがいる。

ちなみに美月は国司、風花は刑部の戒政官(かいせいかん)の娘だといい、いずれ劣らぬ名家出身だ。感心する朱華を見つめた彼女たちは、吹き出して言った。

「朱華のお父さまは内蔵頭の風峯さまなんだから、充分すぎるほど名家よ。あなたが入ってくる前から、華綾の采女たちの間では噂になっていたもの」
「ここでは序列ができていて、基本的には家柄が物を言うの。朱華より家格が低い出身の采女たちは、あなたが鳴り物入りで入ってきたことが面白くないはずだから、注意したほうがいいわよ」