ミーンミン、ミーンミン。


 最初は鬱陶しいセミの鳴き声が、いつの間にかBGMのように聞けるようになった頃。

「うぎゃー! センパイやめてー!」

 女の子みたいなキャンキャン悲鳴を上げるのは、うざい気持ち悪いしつこい春野ケイ。

「いいじゃないか、いいじゃないか。君は素材がいいから可愛くなれるよ」

 ひーと尻もちついた因果くんはブンブン頭を振っている。

 しかし、私は容赦しなかった。

「覚悟!」

「うわあぁぁぁぁ!」

 あれから四ヶ月。四月の春はいつもより暖かく、逆に暑い日もあった。それから夏日が普通になり、極端に猛暑になったり。

 本当に40度を超える日ばかりで、信じられない、外出をためらう季節だ。

 年を重ねるごとにどんどん暑くなってるような。

 もう、暑さにうんざり。

「うー、あつい」

 10時頃、暑さが再燃し始めた頃に文句をぶつぶつ言っていた。

 ピロリン。

 スマホのメッセージアプリが通知を鳴らす。すぐに画面に光と文字が灯る。

「えぇ?」

 母に電気代うんぬんで、エアコンは日中だけ。そんな事実にいやいやと襟元をパタパタさせている時に、いやな通知音が鳴る。

 分かってる。通知来た時点で誰か分かる。

 なぜなら、今の『高木柊』には交友関係がなく、後輩のアレと家族しか連絡交換してないから。

「何よ」

 スマホを拾い上げると、やっぱり『ケイ』のアカウントに新着。

『柊センパイ、寂しいですよー。センパイの顔一週間見てないですよ~。会いたいよ~』

 気持ち悪い文章とともに『ぴえん』のスタンプを送ってくるから、つい。

『だまれ』と送ると、『ぴえん』を高速連打。

 うわ、うざい!
『やめろ』『ぴえん』『ぴえんはもういい』『ぴえん』『ちゃんと返事して』『ぴえん』『適当にやってるだろ』『ぴえん』

 もう。

 話にならず、やっと普通の文章が来たら『オレ、自分のうんこ食べて死にますよ? いいんですか?』

『勝手にどうぞ』『ぴえん』

 スタンプがまた来たから、あー分かったよ、と頭を掻きむしって、『じゃあ家に来れば』と送った。

 今まですぐ返事来てたのに、反応なくなって既読だけ。

 あれ?

 もしかしてやばいことした?

 家に誘ってる変態先輩みたい?

 やばい。やばい。

 額を掴んでずーんと落ち込んでる時。

 ピロリン。……ん?

 その体勢で視線を上げ、文字に目を通す。

『住所、教えてください』

「うわーん! センパイ悪魔だー! うわーん!」

 にゃはは、何を言う。そなたが私のトラップに掛かったのだぞ?

「いいじゃないか、いいじゃないか。ちゃんと住所教えて会ってあげてるんだから、私のわがままも聞いておくれ」

「ひいぃー!」

 そう、あのやり取りから一時間弱で因果くんは来た。

 我が家のインターホンが鳴って。興味津々な母をどうにか遠ざけ部屋に通し。

 彼は超ガチガチの正座をするほど緊張していて、気分転換にトランプをした。

 ケイくんがいつものへらへらに戻りかけた時、ふと聞いた。

「ケイくん、なぜあんな緊張してたん?」

 そう言うと彼は意外なことをぼやき始めた。女の子の家に来たのは初めてだと。

「オレ自身、女子に話しかけることなんてなかったから」

 へへへとはにかむ彼に、人は見かけによらないなと思ったワンシーンだった。

 そして、今。

「うぎゅ、センパイ、恥ずかしいよ」

 何言ってるの、と背中をバシバシ叩いて姿見の前に立たせたら、彼は思いのほか静かになった。

 きっと今までの男の自分が映っておらず、女の子のような、いや一人の女の子が立っていたからだ。

 我ながらいい出来。

 後ろから覗き込みうんうんうなずき、彼も放心状態。

 いやー、やっぱり女装似合うと思ったよ。見込み通り。

「センパイ、オレ……きれい……」

 オレじゃない、とぼやく彼に、ふふんと得意げに言う。

「化粧したらもっと可愛いと思うんだけどな?」

「……じゃあ、お願い……よ、かな」

 ぼそぼそ言うケイくんにニンマリ笑い、ぐへぐへと化粧箱を取りに出た。

「センパイ、なんか人が変わりましたよね」

「ん?」

 勉強机の椅子に座ったケイくんは顔を向け、ぽんぽんパフを叩かれている。

「なんか、凄く明るくなった。別人」

「そうかな?」
と、とぼけてみせて。

 パフの次は薄ピンクの口紅を塗ってあげた。

「全然違います。確かにオレの知ってるセンパイだけど、やっぱりびっくりする」

 ケイの言葉が、すとんと胸に落ちる。

『別人みたい』

 ーーそうだろうか。でも、彼の顔に化粧を施す自分の指先が、楽しげに動いていることに気づく。

 パフを叩く音、口紅の甘い香り。夏の暑さすら、今は不快じゃない。

 いつからだろう。世界にこんなにも色があったなんて。

 彼のはにかむ顔を見ていると、自然と口元が綻んでいた。

 ああ、そうか。私、今、笑ってるんだ。

「なんか、ありがとうね。ケイくん」

「……」

 彼は軽く肌色パウダー上からでも分かるほどほっぺを紅くして。

 それより前から仄かに上気していたけど。今は真っ赤。

「ほら、唇をむにゅってして。んま、って」

「こう……ですか?」

 むにゅむにゅと不器用に動かす彼の顔は、やっと完成。

 とても色っぽく、女の私も惚れそうなくらい美しい。

 人は可愛いかっこいいで顔を選ぶけど、性別を超えた美しさでも一目惚れするんだな。

 ……ごくっ。

 その瞬間、ぶわっと記憶の断片が流れ込んできた。いつもの頭痛が、優しい疼きのように。

 シャボン玉の泡が彼の顔に重なり、予知の残像——ケイが笑う未来、でもすぐに白い葬式の花。私の手が彼の頰に触れる、ようで触れられない、失う前の温もり。

 嫌だ。失いたくない。この美しさを、君を、私のものに——。

「?? センパイ??」

 彼の声にハッとして、手鏡を向け渡す。でも遅かった。身体が勝手に動く。予知の渇望が、抑えていた闇を暴走させる。

 私は彼を押し倒していた。息が荒く、顔を近づけ、貪ろうとする。

 いいな……。これを私のものにしたい。ただそう思えて。ただ——。

「……パイ! センパイ! ちょ、やめて!」

「ぁ、はあ、はあ、はあっ……」

 気づけば、予知の泡が弾け、頭痛が引く。あれ? なぜこんなことを。身体が、未来の喪失を埋めようと暴れた?

 疑問が頭を埋め尽くす。でも今は、制御を取り戻す。

「ご、ごめん! ごめんね!?」

 すぐ離れ、わたわた手を振り、自分らしくなく、いや本来の自分らしく、てんぱって謝り続ける。

「いえ、ちょっとどきどきしました。本音言うとあのまま襲われたくなったり」

「な、何!? 何言ってるの……! そんなバカなこと言わないでよ! もう!」

 バシバシ彼の二の腕を叩きながら。そっか、と思っちゃった。

 それからは、化粧したケイくんと最近あったことや好きなマンガ、私が興味持てるように恋愛系のノベルゲームの話で盛り上がって。

 意外にケイくんとの好きなジャンル、恋愛でも純愛好きだったり、ファンタジーならダークな人間の汚い所が見える作品好きだったり。

 同じ好きがある以外にも感性が合ったりして、(あれ、なぜこんなに共感するんだろう)と思った。

 時には意見食い違って持論バトルになるけど、それも話題のスパイス、アクセント。

(そうか、私はケイくんとちゃんと触れ合ってなかったんだ)

 彼に言われて、自分変わってきたなと思った。

 でもそれはテンションの問題で。この子のことを理解しようとしなかったんだ。

「なんか、ごめんね。ケイくん」

「ん? 急に何ですか? センパイ」

 私が急に謝り、彼は不思議そうな顔。するんだけど、それがとぼけた顔に見えたのは気のせいか。

「キャー! ひいらぎ! 大変だよ!」

 部屋に一人、ケイくんのことをぼーっと待っていると、母が大声を出した。

「彼氏くんが! 彼氏くんがー!」

 彼氏じゃねえよと突っ込みたくなるけど、母がこんな慌てた声出すのは滅多にない。

 きっと余程のことだ。

 すぐ自室を飛び出し、二階を降りる。

 奥の洗面台とお風呂の部屋前で、母はわなわな足元の影を見下ろしている。

 どうしよう! どうしよう!とパニックの母に近づき、「何があったの!?」と問う。

「そ、その! 彼氏くんが! 男の子が!」

 要領を得ない母に構ってられないと奥に進むと、影は倒れたケイくんだった。

 彼は「そろそろ帰るんで化粧落としたいんですけど、洗面台借りていいですか?」と向かっていた。

 そのまましばらくして、そこに行けば倒れている。

 まさか、……まさか。

 彼の葬式を見たのは、死因は病気かなにかなのか?

 顔はきれいに化粧落とされている。しかし鼻血が鼻から滴り、横たわる形で倒れている。



 早く、救急車を呼ばねば。