〇出社三週目の午後/〈グランツ〉クリエイティブ本部・小会議室

昼下がりの空調が微かに唸るだけの静かな会議室。
白石結衣がモニターを前に固まっている。
画面には冷たい無機質な文字が表示されている。

“NA — データなし”

結衣「……え?」

結衣(小声)「……嘘でしょ……なんで……?」

指先が震える。呼吸が浅くなり、視界の端がにじむ。
結衣は必死にカーソルを動かすが、状況は変わらない。

結衣(やばい……やばい……どうしよう……!企画データがない!)

フォルダを更新し、検索し、それでも画面は無情に白いまま。
結衣、息を呑む。

結衣(落ち着いて……いや、落ち着けるわけない……!)

結衣(徹夜したのが悪い?保存……間違えた?)

結衣(ミーティング、もうすぐなのに……どうしよう……!)

そのとき、背後から低く穏やかな声。

慧「……白石さん?」

結衣がびくっと肩を跳ねさせて振り返る。
慧が手帳を片手に立っている。
白いシャツの袖を肘までまくり、驚いた表情で結衣を見つめている。

慧「顔、真っ青じゃないか。どうした?」

結衣「……あ、あの……資料が……全部……消えちゃって……」

涙が滲みそうになり、結衣は慌てて視線を伏せる。
慧が近づき、結衣のモニターを覗き込む。
数秒画面を見つめ、指先を動かし――状況を察する。

慧「……なるほど。操作ミスだな」

結衣「……す、すみません……私……」

慧「謝るなよ」

慧がそっと結衣の肩に触れる。
結衣の身体がびくっと震える。

慧「焦らなくていい。誰だって最初はつまずく」

結衣(かすれた声)「……堂本さん……」

慧「失敗は全部、“経験”という武器になる。だから、大丈夫だよ」

結衣、緊張で固まっていた背筋がゆっくりほどけていく。
慧、ふと柔らかく笑う。

慧(照れた声で)「……そんな顔するな。俺が守りたくなるだろう」

結衣の心臓が跳ね上がる。
耳の奥が熱くなり、動揺で息をのむ。

結衣(守りたくなる……?上司として?どういう意味……?)

結衣「……あ、あの……がんばります。ちゃんと……」

慧「うん」

〇夜/結衣の自宅・ベッドの中

部屋の灯りを落とし、布団にもぐりこむ結衣。

結衣(……今日、ほんとに最悪だったな……)

慧の優しい笑みがふっと蘇る。

結衣(小さな声)「……堂本さんみたいになりたい……」

結衣(誰かに寄りかかるんじゃなくて。自分の足で立てる大人になりたい)

結衣(堂本さんみたいに、誰かの不安をすっと掬える人に……)