ここはイリシア国の王都リドロンにあるカフェ、「レディ・グレース」。
 十年ほど前から飲まれだしたコーヒーが気軽に飲めて、変わった軽食も楽しめる。レストランよりも気軽で、露店よりも落ち着く店。

 もともとはソリス伯爵のタウンハウスだが、身体が弱いため領地から出られない令嬢グレースが出資して三年前に店を開いた――ということにしている。
 だってグレースこそが、当のレディ・グレース・メアリー・ソリスその人だからだ。

 街の人にはお嬢様と同じ名前の店員だと思われているが、本当のことを言ったところで「まさか」と笑われるのがオチだろう。

(働く女性が珍しくなくなったとはいえ、どこの世界の貴族が庶民中心のお客様相手にコーヒーをついで回ったり、厨房でバリバリ料理をしたりする? しないわよね? ……たぶん)

 それもこれもきっかけは突然事故で父親が亡くなったことと、それに伴い判明した莫大な借金のせいだ。

「お父様、いい人だったんだけどね。いえ、人がいいというか、お人よしというか」

 現世の父であるソリス伯爵は、一言で言えば投資に取りつかれた人だった。いい話があるとすぐに金を出してしまう。気前がいいと言えば聞こえはいいけれど、実際は計画性がないうえに大変な楽観主義者だった。
 おかげで先祖代々の財産は食いつぶされ、父の死で残ったのは莫大な借金。優雅に見えていた生活は実は張りぼてだったと分かった時、グレースは目の前にスーッと暗闇が落ちてきたものだ。

(ええ、おばあ様が実際倒れたのも無理のない金額だったわ。あのくそオヤ……げふんげふん)

 心の中で女子高生だった前世の自分が顔を出し、ぱぱっと打ち払う。今の立場はれっきとした「レディー(貴族の令嬢)」の称号を持つお嬢様なのだ。汚い言葉は控えないといけないわ、おほほ。

「はあ。腐っても鯛……、いえ、この場合は武士は食わねど高楊枝が近いかしら」

 当時の年齢のせいか、思い出した前世の記憶は美古都が高校生くらいの頃までだ。自分がそのあたりの年で死んだような記憶がないので、また何かのショックで先のことは思い出すかもしれない。