病床の王妃を、どう考えても不衛生で病人の療養に向かない部屋から、よく掃除の行き届いた――何かとすぐにサボろうとするメイドたちを、そのたびにアネットが耳をつんざく泣き声でどやしつけて掃除させた――アネットの部屋へと移した。
 その後で、青い顔をした使用人たちが、王妃の寝室の埃まみれのカーテンや天蓋を取り外し、せっせと洗濯場に走る様を、アネットは睥睨した。

「おかあさまの寝台の、目に見える大きさのほこりすら掃除しないなんて、あなたたちは、何をして、おきゅうりょうをもらっていたのかしら?」

 意識的に可愛らしい笑みを作って問いかけたのに、それを見た使用人たちの顔色はますます青くなる。
 さすがに彼らとて少しは罪悪感があるのだろう。……もしかしたら、子どもらしくない不気味な幼児に怯えているだけかもしれないけれど。

「私のみぶんをかさにきて言うけれど、おかあさまは、王妃なのよ。あなたたちは、へやの掃除のためにやとわれたのでしょう? 王妃のへやの掃除よりも、ゆうせんするものがあって?」
「……でも、『死にぞこないの王妃』じゃないですかっ!」

 おや。どうやら、罪悪感で口が利けないわけでも、怯えているわけでもない、第三派がいたらしい。
 まさかの『逆ギレ』を見せた侍女を残して、他の使用人は去らせ、アネットは薄紫色の美しい瞳を眇めてみせた。

「もう一度いってみなさい」
「国王陛下からも憎まれ、疎まれて、離宮に追いやられて。そんな方を『王妃』だなんて、笑わせないでください!」
「どういうこと?」

 侍女曰く――王妃は、国内でも有力な公爵家の出身で、前国王と父公爵の意向で現国王との政略結婚の相手に選ばれたが、成婚からほどなく父公爵が死に、後ろ盾を失ってしまったこと。
 それでも懐妊したからと、国王が離婚のタイミングを逃していたところ、王妃は出産予定日間際に、政敵に毒を盛られ、生死の境をさまよった。
 その間に早産した瀕死の胎児は、女児で、この国では世継ぎにすることもできない。王妃自身も毒の後遺症で次の子は望めない身体になってしまった。
 王妃として娶るメリットが無くなったうえに、もはや世継ぎを産めないと確定しているのに、王妃の地位を譲らない強情な女なのだ、と。
 だから、王妃は皆から『早く死んでその地位を空ければいいのに』と望まれている、と――。

「……なるほど、なるほど」

 興奮状態で話しているうちに、侍女は自己陶酔にでも陥ったのかもしれない。微に入り細に入り、彼女が知る事情をペラペラと囀った。
 どうしてアネット母子がこの離宮で暮らしているのか。使用人たちからも粗雑な扱いを受けているのか。
 それを分かりやすく教えてくれるのはありがたい。だが、その内容は、とても捨て置けるものではない。

「つまり……おかあさまは、悪意をもったひとに毒殺されかけたひがいしゃで、そのせいで健康も損なったのに、国王はおかあさまを追い出した。療養先でも、あなたたちにいたぶられて、おかあさまの回復を妨げられている……そういうことよね? あなたが言ったことを、まとめると」

 ――ああ、せっかく、チャンスをあげたのに。

「ええ! あははっ、ご自身の立場がお分かりになりました?」

 淡々とアネットが述べた要約を、得意げに頷いて認める侍女は、垂らされた最後の蜘蛛の糸を、自分で断ち切ってしまったことに気がついていないのだろう。

「ええ、しっかり理解したわ。――ピエールとボリス、この女を追い出して。罰をあたえなさい」
「っ、他にもひとがいたのっ!?」

 ため息まじりにアネットが告げると、こめかみを指で押さえた老爺と、図体の大きな庭師の男が、扉の影からぬっと姿を現した。
 針金のような細身のピエールは、常に片眼鏡を不気味に光らせているが、アネットがねだった本は何でも用意してくれる老爺だ。そこにしれっと『帝王学』などというタイトルの革表紙を紛れ込ませる茶目っ気もある。
 対して、ボリスは無口で不愛想だが、アネットが庭で拾った鳥の雛を巣箱に戻してくれた心優しき男である。少なくとも、罪のないアネットと比べて、この性悪侍女を選ぶことはないだろう。

「私がひとりでたちむかうとおもったの? おばかさんね。たすけをもとめてとうぜんでしょう?――だって、私、こんなにちいさくてかよわい女の子なのよ?」

 犯人を追い詰めて逆上させて怪我なんてさせられたら困っちゃうもの、と頬を包んで愛らしく微笑んだアネットに向かって、連行される侍女は『バケモノ』と罵ってきたが、アネットの心はぴくりとも動かなかった。