人生二周目、それも前世においてもそれなりに優秀であり、それと比例して鬼のようにプライドも高かったアネットは、まず言語と運動能力の獲得に集中することにした。
 中身はいい年した成人女性だというのに、下の世話や乳母からの授乳を施されることに、羞恥心が限界を迎えていたから、というのも大きな理由ではあった。
 だが、それ以上に当初想像した以上にアネット母子は冷遇されており、侍女になおざりにされる世話に、赤子として命の危機を感じていたからである。

「おかあさまに、あわせなさい」

 母を呼ぶよりも飲食物を要求するよりも先に、しっかりと意味をなす二語文を発した不気味な幼児に、周囲の使用人たちは度肝を抜かれた。

「あ、アネット様? どうしたのです、いきなりそのような物言いを……」
「二歳児なら、はなせても、ふしぜんではないでしょう?」

 二年も耐えた。子どものふりはもううんざりだ。
 曲がりなりにも二足歩行には不自由しなくなり、自分の意思を伝えられるようになった今、アネットがするべきは『周りの環境を変えられる権力者への直訴』だ。
 ひとりひとりの侍女やメイドが、どれだけ心根の清い親切な娘であろうが、反対に邪悪なまでに意地の悪い娘であろうが、アネットが嫌なものを泣いて遠ざけるだけでは、その場限りの効果しかない。
 王妃である母は、この宮殿で一番偉いはずだ。母なら世話役の人員配置の決定権も持っているだろう……と、見込んでいたのだけれども。

「……どなた?」

 侍女たちの中で一番アネットに同情的な娘が、周りから押しつけられ、どこか怯えた様子でアネットから身を引きつつも案内してくれたのは、宮殿の奥の日当たりの悪い一室だった。
 部屋のカーテンは閉め切られ、室内にはどんよりと湿った冷たい空気が滞留している。そんな空間で、か細い声を聞いたものだから。

「うわっ、かびくさいなっ! あっ、はじめまして、おかあさま! あなたの娘のアネットです!」 
「ごほっ……わたくしの、娘……そう、あの子が、こんなに大きく……よかった……陛下も、きっと喜んでくださるわ」
「あの、おかあさま! 娘から一つていあんがあるのですがっ!」
「なあに?」
「このへや、今すぐに換気してもよろしいですか!?」

 カーテンをぐいと引っ張って、窓を外へと開け放つ。ようやく動かされた空気に、宙を舞った埃が、きらきらと光を弾いた。
 光の差し込んだ寝台の上で、やせ細った王妃は大きな目を丸くして、初対面の『娘』がちょこまかと部屋の中を動き回る様子を眺めていた。