真珠な令嬢はダイヤモンドな御曹司と踊る

「一つ目は、河原真珠店を立て直すこと。潰れかけた真珠店なんて最高じゃないか。どうやって再建しようかとワクワクするね。ジュエリーブラッドは、俺が継いだ時にはもう大手だった。マイナスから再生させるビジネスをやってみたいんだよ」
 そんなことを考えていたのか、と呆気にとられてしまった。店を立て直すのをワクワクするなんて、私にはない発想だ。大企業の御曹司ってそういうものなんだろうか。
「二つ目のメリットだが。今、五人の女性から結婚を迫られている。皆うちの宝石狙いだ。いい加減、辟易していて、早く追っ払いたいんだ。そんな時だったから君との結婚はベストタイミングだった。俺が結婚してしまえば、彼女たちも、もう近寄ってこないだろう」
 五人もの女性をその気にさせてたのか……。宝石狙いと言うけれど、社長の容姿と地位もきっと大きく関わっている。妙齢の女性が色めき立つだろうな、というのはたやすく想像できる。
 かと言って、じゃあ私と結婚、という考えになるのがわからないところだ。怪訝な顔をしていたせいか、社長が私の目を覗き込む。
「もちろん君にもこの結婚にはメリットがある。君は俺と結婚すれば半永久的に河原真珠店で働くことができる。俺は妻が働くことを応援するタイプだ。ずっと真珠店の店先に立ちたいんだろう、おばあちゃんなるまで。それが夢だと言っていた」
 どきりとした。私が結婚に前向きになれない理由。それは結婚しても真珠店で働くのを続けられるのかわからないからだ。
 仕事に理解がある、と言っていた彼氏が結婚した途端、難色を示した、なんて話も聞いたことがある。仕事を応援してくれる夫は確かに理想的だけれど。
「それはそうですが…」
 私が言葉を濁すと社長はにこっと微笑んだ。
「もちろん、裕福で退屈しない生活も約束する」
 思い切りドヤ顔だった。そんな生活を夢見ているわけじゃなくて。私は恥ずかしかったが自分の弱点をきちんと言うことにした。
「その……私、男性とつきあった事もないんです。それがいきなり結婚なんて。全然覚悟ができていないというか…」
 言いながらはたと気づく。前回の食事会で社長が言っていた「覚悟しておいて」とはまさにこのことだったのでは。
 社長は「そうだろうな」と頷いた。
「確かに結婚は一生の一大事だ。簡単に踏み切れないのもわかるよ」
 その言葉を聞いてほっとした。自分をさらけ出した甲斐があったというもの。
「ではどうだろう。期間限定の契約結婚をしてみては」
 結婚話が消えるのを期待していたので耳を疑った。
「契約…結婚?」
「そう。一年お試しで結婚してみて、うまくいかなったら離婚だ。うまくいったら継続。これなら君の気も軽くなるんじゃないか」
 あらためて頭の中で社長の言葉を反芻する。お試しでしてみる結婚……私がこの結婚話を断ればうちの店とジュエリーブラッドの提携話もなくなり、店をたたむのをただ待つ日々が始まる。
 でもこの結婚にOKずれば、社長は真珠店を立て直してくれて、私はずっと店先に立つことができる……
 目の前に最高級に美味しいにんじんをぶらさげられた馬になった気分だった。
 私の返事ひとつで父や母の今後も大きく変わるのだ。
 私は改めて社長の目を見た。
「もう一度お聞きしますが、本当に私が共に暮らすパートナーになってもいいんですか?桐生社長が後悔するかもしれませんよ?」
 桐生社長は、にやりと口角をあげた。
「後悔するつもりはないね。君は貴金属業界のことを知っているし、河原真珠店に立ち続けたいと思っている。実家によりかかっていないような、そんな女性を探してたんだ。君は俺にとって理想的だ」
 つまり桐生社長に言い寄ってくるタイプはいいところのお嬢様で、実家に依存しているタイプが多かったのだろう。そんな彼女たちとは私は違うと思われた……真珠店の仕事を大事にしていることを評価してくれるのは確かに嬉しい。
 何かの本で読んだことがある。その人の一番大事なものを理解してくれる人こそ最高の伴侶になる、と。
 料亭『柊』は次第に宵闇に包まれようとしている。廊下を隔ているふすまの向こう側からは楽しそうなざわめきが聞こえてくる。仲居さんの静かな、しかし少しせわしい足音も響く。
 私は深呼吸した。
 どちらかと言えば地味な人生を送ってきていて、これからもそれは変らないと思っていた。でも、時にはこんな大博打を打つことだって必要かもしれない。
「わかりました。桐生社長との契約結婚、お受けします」
 桐生社長は唇に笑みを浮かべた。
「よろしく頼むよ」
 遠くでカラスの鳴く声が聞こえた。

「今度の君が休みの日、お互いを知るためにも、デートをしてみないか」
『柊』での食事会の翌日の夜。私のスマホに桐生社長から電話があった。
 デートという単語に、思わずどきりとしてしまう。デートのお誘いなんて生まれてはじめてだ。私は咳払いひとつして、声を改めた。
「ええっと、桐生社長はお忙しいのでは?」
「いや、自由な時間を作れるよう、他の日に残業やら出張やらしてるんで問題ない。どこか行きたいところはないか?」
 行きたいところと言われても、急には思いつかない。
「特には…」
「そうか。じゃあデートの段取りは、こちらでしよう。お楽しみに」
 そう言って通話は切れた。お楽しみに…含みのある言葉だ。桐生社長と三回会って、少し行動パターンは読めてきた。こちらにくれる情報は少ないが、有言実行のタイプだから本気で私を楽しませようとしている気がする。
 御曹司とのデートか。やっぱりきちんとした恰好が必要な所に行く予感がする。クローゼットを開けて、着ていく服を選ぶ。あれこれ悩んだがお出かけ用のコーディネートの中から一つを選んだ。
 ちょうど観ていたドラマが恋人同士のデートのシーンになった。夜景の見える高級レストランで食事している。こういうのって鉄板だ。社長とのデートもこんな感じだろうか。
 社長は五人の女性から追いかけられるくらいだから、色恋沙汰には慣れていて、デートだって私の何倍もしているはず。デートのシチュエーションをいろいろ想像してみたけれど、映画やドラマでありそうなありきたりなことばかりだ。
 いいや。桐生社長にまかせよう。形だけの結婚なのだから、何が好きか、とか生活を一緒にするために必要な事をお互いがわかるようになればいい。
 私はティーカップにお茶を入れなおし、ドラマの続きを観た。

 デートの日はすぐにやって来た。いつも通り私はバレエ教室に行って、家に帰ってきてシャワーを浴び、デート用に決めた服を着た。
 赤のカーディガンと茶色のスカートの組み合わせ。靴はちょっと迷って茶のショートブーツにした。
 約束の時間にインターホンが鳴り、玄関のドアを開けると、いきなり目の前にバラがあふれた。
「これ、プレゼント」
 バラの花束の向こう側に桐生社長がいた。
「わ…綺麗」
 白、赤、ピンクと色とりどりのバラがたっぷりと。確かにこういうプレゼント映画とかで観た気がする。嬉しいというより圧倒される気持ちの方が強い。私のためにくれたんだ、御礼を言わなくちゃ、と桐生社長を見る。
「ありがとうございます」
 社長は、満足げに口角をあげた。今日はスーツではなく、ダンガリーシャツとデニムというさっぱりした装いだった。それでも安定のキラキラ感だ。彼に首ったけの女子からしたら飛び跳ねて喜ぶところだろうか。そこまで、できなくてごめんなさいという気持ちになるが、社長だってそれを期待してないのでは、と思い直す。
「準備はできてる?行こうか」
 花束を飯田さんに渡しに台所に慌てて行く。
「まあお嬢様、よかったですね。こんな日が来ると思ってましたよ」
 と飯田さんから満面の笑みで言われて、微妙に「こんな日」でもないのよ、と言いたくなる。とりあえず花束は渡して花瓶に活けるようお願いする。
 ブーツを履いてビルの一階まで降りる。社長は車の助手席の前に立っている。私が近づくと助手席のドアを開けてくれた。
 こういう事ってマナーみたいなものなんだろうけど、ことさら恋情がない女性にもやるから五人もの女性から追いかけられるのでは、とちょっと思った。
 車は順調に走り出し、私は花束の次は助手席のドア、とここまで来たら、次は高級レストランだろう、と予想した。
 ところが。車は公園の地下駐車場に停められ、私と社長は地上に出て、公園の敷地内にいた。
「おなかはすいてるだろう?」
 社長の言葉にはい、と頷く。バレエ教室の後なので、正直に言うとおなかはぺこぺこだった。
「美味いキッチンカーがあるんだ。あ、あった。あそこだ」
 社長が歩き出すのについて行く。キッチンカー?
 ベンチやテーブルと椅子が並ぶその場所に、紺色のキッチンカーがあった。黒板タイプのメニュー表に大きくバインミーと書いてある。確かベトナムのサンドイッチだ。莉子が好きだと言っていた。
「ここのチャーシューの入ったバインミー、美味いよ。食べる?」
「はい、食べてみたいです」
 わあ、初バインミーだ。高級レストランよりも、こういうのって嬉しい。美味しそうと思っても自分一人だとなかなか立ち寄らないから。
 私がベンチで待っていると、社長がバインミー二つと紙コップのコーヒーを抱えて持ってきてくれた。
「もうちょっと遅かったら行列になるところだった。運がよかったな」
 嬉しそうに社長が言って、差し出されたバインミーを見ると、私の想像よりずっと大きなサンドイッチだった。大きめのバゲッドにチャーシューだけじゃなくて野菜もたっぷり。これは食べ応えありそうだ。わくわくしたが、思わず社長の顔を見る。
「何?」