真珠な令嬢はダイヤモンドな御曹司と踊る

 あの後、改めて考えた。確かにジュエリーブラッドと提携したら、うちは業績アップにつながるだろう。でもうちが借金にまみれていることは知らないかもしれない。そんなマイナス点のある店と提携したくない、と言われても仕方ないのだ。そんな話までしっかりしておけばよかった。棚からぼた餅のように降ってきた願ってもない提携話だったので、つい詰めが甘くなっていた。こういうところがまだまだだな、と自分でも思う。
 スマホの着信音がして、見ると母からのメッセージが来ていた。病院に顔を出してほしいらしい。
 家政婦の飯田さんの作ってくれたフレンチトーストを食べた後、病院に行った。
「ああ、来た来た。悪かったわね、呼び出して」
 母はベッドに半身を起こして私に微笑んだ。母の手元にはやりかけの編み物用の毛糸と編み針があった。母の入院するようになってからの趣味だ。これを見ると秋が来たな、と思う。
「ううん。今日休みだから大丈夫。何か買ってきてほしい物でもあるの?」
 新しい毛糸とか。
「欲しい物っていうか。お父さんとあんたとで食事に行きたいのよね。ほら久しぶりに『柊』に行きたいなあって」
『柊』というのは格式のある料亭だ。うちのお得意様をもてなす時に使う。家族で行ったのは随分前だ。本当に久しぶりだ。
「どうしたの、急に」
「あそこの茶碗蒸しが食べたくなってね。あるでしょ、そういう時って」
「ああ。あそこの銀杏と百合根の入った茶碗蒸しね。確かに美味しい」
 私と父はああしたい、こうしたいが人よりも薄いタイプなのだが、母は違う。思い立ったらすぐに!みたいな大胆なところがある。
 母は車椅子は使っておらず、短い時間の散歩や半日の外出は許されている。病院にいると、病室で過ごす事に慣れてしまって、自分の欲求そのものが潜んでしまう事がある。母にそうなってほしくなくて、ちょっとしたわがままにもつきあうことにしている。
「わかった。外出届出さなきゃね」
「そうね、明後日の夜がいいかな。あんたの仕事が終わった後」
 母は、嬉しそうに、にっこりした。
「それでね、あの赤茶のスーツが着たいの。持ってきて。それと、あんたは…そうね、グレーで襟元がレースのワンピースあったでしょ、あれを着なさい」
「へ?食事するだけなのに、気合入れすぎじゃない?」
 家族で集まるだけなのに。あまりにもかしこまっているような。
「何言ってるの。きちんとした恰好でちゃんとしたいの。絶対持ってきてね」
 母はこう、と言い出したらきかないので、わたしは了承するしかなかった。確かにきちんとした恰好で三人で食事するのも悪くない。
 ジュエリーブラッドとの提携話がなかったら半年後、料亭に行くような事はできなくなるから。
 つい悪い方に考えてしまう気持ちを鼓舞する。私は顔に出やすいらしいから、母に心配させないようにしないと。
 その後、ひとしきり他愛ない話をしてうちへ帰ることにした。
「文香、二十六歳になったのよね」
 え、と病室のドアに手をかけていたのを振り返った。
「いつの間にか大人になっちゃってたのよね。気づかなかった」
 どうしたの急に、と返すと母は笑って手を振ってバイバイをした。

二日後の夕方に、家族三人で『柊』に行くことになった。病院に父の運転で母を迎えに行き、着替えを手伝ってから一緒に移動した。
 公園の近くにある『柊』は、ひっそりとした佇まいでそこにあった。玄関から入ると仲居さんが部屋へ案内してくれる。個室があるのが『柊』のいいところだ。落ち着いて食事することができる。
 訪れた部屋は六人座れる和室だった。電話予約はが父がしてくれたのだが、いつもの四人の部屋は空いてなかったのだろうか。
 仲居さんが持ってきてくれたお茶を飲みながら料理を待つ。父がおもむろに口を開いた。
「しかし、こんな日が来るとはなあ」
「そうね。意外と早かったわねえ。もっと先かと思ってたわ」
 うん?何が?まさかうちの店がつぶれること?
 もうそんなどうあがいても無理、という状況なんだろうか。胸の内にじわじわと不安が広がる。お店がなくなったらこんな贅沢できないから最後に、とか…母が服装に気合を入れたのはそのせい?
「あの、今日って」
 たまらず両親に聞こうとした時だった。
 すっと障子が開き、仲居さんの後に男性が続いて入って来た。
「すみません、遅れました」
 聞きお覚えのある低い声。長身のスーツ姿。美麗な顔立ち…桐生社長!!
「桐生くん、待ってたよ。さあ、座りなさい」
「はい、では」
 そう言って桐生さんは私の隣に自然に座った。
 うん?
「今日はいい天気でよかった。…祝いにはぴったりだな」
「そうですね。わたしもそう思っていました」
 え、何?お父さん、今、何祝いって言った?
 父にはっきり聞き返そうと思った瞬間、料理が運ばれて来てタイミングを逃してしまった。
 私は、向かいに座る母に言った。
「お母さん、家族三人での食事、って言ってたじゃない」
 母はフフッと笑った。
「だってね、桐生さんが文香にはサプライズにしたいって仰って。面白そうだから乗っちゃった」
 サプライズする必要なんかあるだろうか。どうも桐生社長は私を驚かすのを面白がっている節がある。隣に座る桐生社長は父と話し込んでいて私が睨んでも気づかない。
 父は社長のジュエリーブラッドの活躍ぶりを褒め、恐縮する社長だったが、宝石の話になると饒舌になりドイツの希少な宝石アウイナイトの話をしてくれて皆聞き入った。
「さすが桐生くん。宝石に詳しいな」
 父が顔を綻ばせる。
「ほんとね。安心して任せられるわ」
 母の言葉に私は、はっとした。桐生社長が「俺が動く」と言っていた提携話は私の知らないとことでしっかり進んでいたのだろうか。それなら祝いの席というのも納得がいく。
 つまりこれは提携を結んだお祝いの会……
「そう言ってもらえると嬉しいです。文香さんを幸せにできるよう頑張ります」
 うん?社長は続けた。
「文香さんは、聡明でしっかりした女性です。文香さんが伴侶になってくれたら、私も大変心強いです」
 は、はんりょ?!
「まあまあ。うちの文香なんかを気に入ってくれて。まともに花嫁修行もしてませんけど大丈夫でしょうか」
 母が眉毛をはの字にして言う。
「いえ、ご立派に店に立っておられて。そういう仕事がきちんとできる女性を探していたので願ってもないことでした」
 父が大きく頷く。
「いや、親バカになりますけどね、文香のお陰で常連客も離れていかなかったし、おっとりしているようですが商売のセンスはあるんですよ」
「ええ。お話していてそれはよくわかりました。文香さんとなら人生を共にしても悔いがないでしょうね。うちの祖父もこの結婚話を喜んでいます」
 結婚話!
 これは提携祝いじゃない!私と桐生さんが結婚する体のお祝いだ!!
「き、桐生さんっ」
 思わず声を荒げてしまう。父と母がきょとんとした顔で私を見る。
 瞬間、頭をめぐらせる。話の流れだとジュエリーブラッドとうちの店の提携話はうまくいっているようだ。しかし私と桐生さんが結婚するなんて一言も聞いてないが、両親には話が通っている。私が騒いで、この結婚話、ひいては提携話がなくなったら両親はひどく落胆するだろう。借金まみれの店を立て直し、娘を大手宝石店社長の嫁にすることができる。両親が手放しで喜んでいるのも無理はない。
 とにかくここで私が騒ぐのは得策ではない。深呼吸して両親に言った。
「ちょっと体調悪いみたい。外の空気吸ってくる。…桐生さんついてきてもらっていいですか?」
「もちろんだ」
 両親はニコニコしてゆっくりいいわよ、なんて言っている。
 私は料亭の廊下を歩き、両親の待つ部屋からだいぶ遠くなった。庭に面したガラス張りの場所があった。二人掛けのソファがあり座って庭を眺められるようになっている。私は桐生社長に向き直った。
「桐生さん、私とあなたが結婚することになってるみたいですけど!」
「うん。そうだね」
 にっこり微笑んで社長は言った。
「ひどいじゃないですか。私には一言もないなんて。こんなの騙し打ちです」
「まあまあそう気を荒立てないで。俺から動くって言ったろう?こうするのが一番スムーズな方向だと思ったんだ。ジュエリーブラッドが河原真珠を乗っ取ったなんて言われるより、婚姻関係ができて提携するそうだ、の方がよっぽど聞こえがいい。とりあえず外堀を埋めさせてもらった」
 全く自分に非がないように言う。
「簡単に言わないでください。結婚ですよ?あなたと私が一緒に暮らすなんて突然すぎます」
「そうかな。二回会って、二度目はじっくり話し込んで食事した。見合いだと思えば不自然じゃない」
 どうしてこう落ち着き払っていられるんだろう。わけがわからない。
「この間も聞きましたが、結婚相手は私でなくてもいいでしょう。うちとの提携話はありがたいですが、結婚の話はナシにできませんか。私から両親に言います」
 ふう、と社長は息をついた。
「君が結婚に反対するのは目に見えていたよ。先に君に結婚の打診をしたら断っただろう?」
「もちろんです。それに私との結婚なんか、あなたにとってマイナス面ばかりじゃないですか?」
 河原真珠店は負債を抱えているし、私はすごい美人でも何でもない。桐生社長の周りにはひめか嬢ほどではないにしろ、美しく裕福な家柄の女性がいくらでもいそうだ。
「いや、二つのメリットがある」
 社長は顔色ひとつ変えず言葉を続けた。