真珠な令嬢はダイヤモンドな御曹司と踊る

 社長は頷いた。
「そうだな。君の店のような小さな真珠店だったら、女将さん問題は大きいな。でも、それでもそこに屈せずに君は店に立っているわけだ。偉いじゃないか」
 ストレートに褒められてしまった。
「母の真似まではなかなかできませんが……」
 話しながら食事を進めていた。もうコースは中盤にさしかかっている。ウニのソースのカッペリーニがすごく美味しい。
「ちょっと聞いてみたかったんだが。正直なところ真珠と宝石のどっちに惹かれる?」
 私はちょっと考えてみた。
「そうですね……宝石って自分が主役みたいなきらびやかさがあるでしょう。真珠はそれよりも、もっと着けている人に寄り添ってくれるというか。ささやかだけど支えてくれているような気がして。私の場合、真珠に囲まれて育ったせいもあるでしょうが、やっぱり真珠に惹かれますね」
 社長は「そうか」と言ってワインを口に含んだ。
「じゃあココ・シャネルのように真珠をじゃらじゃら着けてアピールするのなんかはどう思う?あれはやはり真珠びいきじゃないとできないだろう?」
 次に出てきたかぼちゃのスープもすごく美味しい。社長は食べながら難なくおしゃべりできるタイプのようだ。
「じゃらじゃら着けるよりは、やっぱりささやかな見せ方が好みです。襟元にちらりと見えたり、指輪にちょこんと輝いていたり。気後れなく使えていいなって」
 メインの蒸した鰆が出てきて、じんわり沁みるお魚ならではの美味しさに感動する。
「ふうん。そうだよな。君も今、真珠の指輪をつけてるもんな」
 社長の言葉に、はい、と頷く。
「これは十八歳の誕生日に叔母からもらったものです。私が子供のころ、母は店が忙して私の世話ができなくて。叔母に面倒をみてもらっていました。育ての親と言ったらオーバーですが、私にとってはすごく大事な人です。母はいつも店のことで頭がいっぱいで。叔母からスキンケアの仕方や、ニキビの直し方を習いました。いわゆる女子力みたいなものを身につけられたのは叔母のおかげかもしれないです」
 ワインを口にしながら社長は「そうだろうな」と頷いた。
「その指輪、よく似合っている。君のことをよく知っている人ならではのチョイスだ」
 私は頷き、残っていた鰆を食べ終えてしまった。
「この指輪をしだしてなおさら真珠が好きになったかもしれません。身近にある真珠たちだけど、とても大事にしたいです。そして同じような気持ちでお客様にも真珠を大切に思ってほしい。そんな気持ちで店に立っています。」
 鰆を食べ終えた社長は、またさらにワインを口にした。割とお酒が進むタイプなのかも。
「いい心がけだ。自分が売る商品を愛せるのが一番だ。ずっと愛し続けることが可能だからな」
「叶うことならおばあちゃんになっても真珠店で立ち働きたい。それが私の夢です。……でも、お店はあと半年しか続かないので夢は叶いそうにないですけどね」
 ついポロリと言ってしまった。社長が聞き上手なので、口からこぼれてしまったというか。いや、私の悩みの根幹はそこにあるので、どうしても触れざる得ないのだ。
「半年って…河原真珠さんが?」
 社長が目を見開いて驚いた顔をする。
 私は観念して口を開いた。
「はい。父が資金繰りに失敗して、あと半年で店をたたむと言っています」
 社長はワイングラスをテーブルに置き、私の目を見つめた。
「そうだったのか。君がひめか嬢に熱心に売り込んでいた理由がわかった。なんとか河原真珠を立て直したい。そうなんだな?」
 私は、しっかり頷いた。
「はい。何かきっかけがあれば、うまくいくんじゃないかと……先日はとっておきのダイヤつき三連パールを見せても、最終的にはひめか嬢に買い物はナシ、と言われてしまって。
さすがに落ち込みました。雨宮家で誰かがうちの真珠をよく思ってくれたら、少しずつ浸透して行ってお得意様になるんじゃ…なんて、甘いことを考えていました」
 ワインも飲み終え、デザートとコーヒーがやってきた。社長はエスプレッソ。私は普通のブレンドコーヒーだ。
 社長はエスプレッソに口をつけた。
「まあ、わかるよ。雨宮財閥に売り込みにきたんだ。そんな風に思うのは当然のことだよ。ただ、相手がひめか嬢だとなあ。まとまる商談もまとまらない」
 私はふと疑問がわいて口にした。
「ひめか嬢とは古いおつきあいになりますか?」
 ひめか嬢の社長に対する態度はわがままで横暴だった。でも子供の頃から知っているような間柄とかなら少し分る気もする。
「いや。ひめか嬢が留学から帰ってきてばかりの……二年前くらいだったかな。留学先でVIP扱いされなかったのがかなり悔しかったらしい。あれでわがままに拍車がかかったんだ」
 あー、留学して何かを学んできたというよりは、ままならないことに不満を爆発させて帰ってきたと。うーん。お嬢様ならではの展開。そんな彼女に迫られたら社長も困るというのは容易に想像できた。
 少しの間黙っていた社長が。おもむろに口を開いた。
「なあ、文香さん。どうだろう。ジュエリーブラッドと提携して、うちの真珠コーナーを河原真珠さんでやってもらえないだろうか」
「ええっ」
 唐突な申し出に目が点になる。ジュエリーブラッドで、うちの真珠を?
「真珠って売るまでの段階が何段もあるだろう。養殖場で貝から真珠をとって、加工して、さらにオリジナルデザインでネックレスやブローチ、指輪を作る。今までうちが取引していた真珠ルートは、商品にするまでの工程が大変だから、と随分製造に金をかけさせられたんだ。ところが、いろいろ調べていたら真珠担当社が真珠にかける金を横領していたことがわかった。もう信用できない。新たな真珠ルートを探しているところだったんだ」
 私は胸がドキドキしてきた。ジュエリーブラッドみたいな大手でうちの真珠が扱ってもらえたら、すごくプラスになるんじゃないだろうか。
 ジュエリーブラッドの客層はずばり富裕層がメインだ。確かにショッピングモールに来た若い人向けの安価な宝石もあるが、それは一部であって、七割くらいが高額商品となっている。
 その富裕層がうちの真珠を見て買ってくれたら…今のボロボロの状態から脱け出せるかもしれない。
 喉がからからに乾いていて、置いてあった水を飲んで気持ちを落ち着かせる。
「そ、それでは父と相談してみます」
 そう言うとなぜか社長は片眉をあげた。
「うーん…できれば俺から動いてみたいね。文香さん、覚悟していてほしいな」
 覚悟。提携するという覚悟?いや、何か別の含みを感じた。どう覚悟すればいいのかも教えてもらえないのだろうか。とにかく何かが動き出したというのはわかる、そんな食事会だった。

「はい。今日はここまでにしましょう」
 バレエ教室の講師、田代先生がパンパンと手を叩き言った。私を含む生徒たち皆が息をつく気配がする。バーレッスン中心の授業だが一時間、先生について習うだけで汗だくになる。私はタオルで額や首まわりの汗を拭いた。
 喉がカラカラで、ペットボトルの水を飲む。
 少しだけ背中を壁に預けて辺りを見回す。このレッスンを受けているのは主婦や働いている女性が多い。私は4年ほど前からこのバレエ教室にに通っている。駅前のビルの二階でやっていて通いやすい。通い始めたきっかけは、真珠店の店先に立つようになって足がすぐ疲れてへとへとになっていたからだ。フルタイム勤務をしてバテないような身体がほしくて、このバレエ教室に通うことを選んだ。
 通い始めた最初は筋肉痛になるし、先生は厳しいしで、弱音を吐きたくなるくらいだったが、ある時から急に身体が楽になった。母からも姿勢がよくなった、と言われ店に立つのに役立った。
 毎週、真珠店のシフトで休日にしてもらっている水曜日に習っている。午前中に来てさっと帰ってうちでゆっくり過ごすのが私の休日のパターンだ。
「文香ちゃん、お疲れ」
 この水曜日のレッスンにいつも来ている真実ちゃんが声をかけてくれた。年も近いのですぐに仲良くなった証券会社勤めの女の子だ。
「文香ちゃん、今日機嫌よさそう。先週、思い詰めた顔してたから心配してたんだ」
「え、そう?わ、ごめん。ありがとう」
 先週は、きっとうちの真珠店のことで思い悩んでいたからだろう。大人なのに何でも顔に出てしまうみたいで恥ずかしい。
「あはは、あやまらなくていいよ。悩めるアラサー、なんだってアリだよ。でも、恋の悩みじゃないと見た」
 うーん。そこまでバレてしまうのか。真実ちゃん、するどいかも。
「そうね。うちのことでちょっと。でも少し風向きが変わるかもしれなくて」
「へえ。いい方にいくといいね。今度、劇に行った時、いろいろ話そうよ」
 真実ちゃんとは同じ俳優さんが好きで、一緒にその俳優さんが出る舞台を見に行く推し仲間でもあるのだ。来月も舞台があるのでチケットはもう取ってある。
「うん、楽しみにしてる」
 更衣室で着替えて真実ちゃんとは駅前で別れた。何故一緒にお茶しないかと言うと、一刻も早くうちでシャワーを浴びたいからだ。
 寄り道せずに帰宅し、シャワーを浴びながら考える。
 桐生さんが「俺から動いてみたい」と言っていた提携話。あれはどうなったんだろう。父は何も言ってこない。