真珠な令嬢はダイヤモンドな御曹司と踊る

 私は、ラウンドカットでスカートがふんわりしたそのワンピースの事を思い出した。気に入ったので特別な時に着ようと買ったままになっていた。
「そうね…あれなら私もあんまり気後れしないかも。ありがとう。やっぱり莉子に聞いてよかった」
 着ていくものが決まると何だか気持ちが落ち着いた。
「そうでしょ?でも、私がトモ君との初デートの時も文香に着ていく服決めてもらったのよ。おあいこね」
 ああ、そんなこともあった、と思い出した。
「トモ君と仲良くやってる?喧嘩してない?」
 ふふふ、と莉子の笑い声が聞こえてきた。
「もちろんよ。この間だってね…」
 そこからはお惚気モードの莉子になってしまった。でもこういう時間も決して嫌じゃない。友達が嬉しそうなのはこちらも嬉しい。もちろん、恋人がいるうらやましさだってある。私も莉子みたいに惚気られる日が来るといいなあ、とぼんやり思った。

「あら、お嬢様、夕食はいらないって言ってらしたけど、今日はお出かけですか?」
 18時半頃、着替えていると家政婦の飯田さんが言った。六十代後半でいつも明るいので助かっている。
 私がラベンダー色のワンピースを着ていたのでおや、と思ったようだ。
「そうなの。ちょっと人と会って食事をするだけですよ」
 すると、飯田さんの顔がにこっと笑顔になった。
「お嬢様もデートなさるんですね。よかった。こんな日が来ると思ってましたよ」
 デ、デート?!
「違うの飯田さん。仕事がらみで同業者の人と会うだけなのよ。そんなんじゃないの」
 まあまあ、と飯田さんは笑みを崩さない。
「いいじゃないですか。お相手は男性なんでしょう?」
「まあ、そうだけど…」
 やっぱり、と飯田さんは深く頷いた。
「あら、お嬢様、フラットシューズで行かれるつもりですか。いけません。こういう日はきちんとハイヒールを履いてください」
 厳しい指導を受けてしまった。ほんとに仕事の話をしに行くだけなのに、どうしてこう色恋沙汰っぽくなるんだろうか。
 飯田さんの勢いにのまれて私は白のハイヒールを履いて出かけた。階段を降りていく。私の住まいはビルの三階にある。一階が河原真珠の店舗で、二階がオフィス。そして三階が父と母、私の住居だ。
 父はこの店をたたんで家も売るかも、と言っていたからこのビルまるごと売りに出さなければならないかもしれない。当然、飯田さんを雇うことも、できなくなるだろう。
 半年後、そんなに何もかも変ってしまうんだろうか。
 せっかく綺麗な恰好をしているのに、胸の奥はどうしてもグレーだ。

 腕時計の針が19時を指していた。店舗スタッフも、もう帰ってしまった。私は閉店した河原真珠店の前に立っていた。昨日、莉子と電話した後に私は桐生社長の名刺の電話番号でショートメールを打った。
『河原文香です。明日、行きます』
 それだけ打つとすぐに返信が返ってきた。
『了解です。19時に店に迎えに行きます。』
 あっさりしたものだ、と思ったけれどそれもお互い様だ。
 ほどなくして、一台の黒の高級車が目の前で止った。運転席から桐生社長が降りてきた。
「こんばんわ。待たせたかな?」
 桐生社長はチャコールグレーのスーツを着ていた。背が高いこともあって品よくまとまっている。
「いえ。そんなには」
 社長は助手席のドアを開けてくれ、私はおずおずと乗り込んだ。
 車はしずかに発進し、前を見たまま社長は言った。
「今日は、俺のために装ってくれてる、と思っていいのかな」
 私は自分の体温がカッと上がるのがわかった。
「お気に入りのワンピースなので、着たかっただけです」
 思わずつっけんどんな声が出てしまった。社長はそうか、と快活に笑った。
 車はしばらくすると、れんが造りの洋館の見える駐車場へと入って行った。車から降り立つと、玄関に小さなプレートがあり、「YAMASIRO」と書いてあった。お店の名前なのだろう。
 席はきちんと予約してあり、スムーズに着くことができた。
「なんでも好きなものを頼んだらいい」
 社長がメニューを手渡してくれる。創作料理のようで、見慣れぬ名前が目立つ。ちょっと考えてから、メニューを閉じた。
「社長にお任せします。どれも美味しそうで選びきれません」
 ふうん、と社長はメニューを受け取った。
「じゃあ、コース料理にしよう。何か食べられないものはないか?」
「大丈夫…だと思います」
 料理が来る前に白ワインで乾杯した。このワインも社長が選んでくれた。きりっとした味で普段あんまりお酒を飲まない私にもわかる美味しさだ。
 ワインを口にしながらおもむろに社長が口を開いた。
「どんなお料理がくるんだろう、とかわくわくしないか?あまり好みの店ではなかったかな」
 社長が私を気遣ってくれるのがわかった。
「いえ。こういう場に慣れていなくて、何を話せばいいかわからないんです」
「こういうレストランが?」
 いや、両親とこういうちょっといいお店に行くこともあった。
「いえ、お店ではなく。私が……あまり男性と食事とかした事がなくて緊張してしまっているんです」
「ほう。差し詰め女子校育ちというところかな」
 簡単にいいあてられてしまった。シャクだけど、そうです、と答える。
「なるほどね…純粋培養のお嬢様だ。可愛がられてきたのがわかるよ。ここは気楽なレストランだから、のんびりすればいい。と、言っても、俺も学生時代までは人見知りだったからこういう場で緊張するのもわかるよ」
「社長が緊張?」
 すごくマイペースで若干、圧だってある。そんな人が人見知り?
「そりゃあ若い頃だもの。人見知りくらいはするさ」
「想像がつかない……」
 思わず思った通りを口にしてしまって、しまった、と思うが、社長は笑った。
「まあ、そうだろうな。俺もよく変ったもんだ、と思う。きっかけは部活の先輩から相談係を命じられてね。人見知りが治るからやってみろって」
「相談係?」
 思わぬ展開になってきた、と耳を傾ける。
「そう。テニス部に入っていたんが、練習が終わった後、部員それぞれの悩みを聞いてやれって言うんだ。お悩み相談室ってとこだな」
「人見知りなのに、人の相談を聞くんですか?」
「そう、そこなんだ。とりあえず俺は人の話を聞くしかないと思った。とにかく聞いてみよう、アドバイスは聞いてから考えよう、そう思った」
 私は引き込まれて大きく頷く。
「そしたら相談の答えも出ていないのに、相手が『聞いてもらえてよかった。すっきりした』とか言い出したんだ。びっくりしたよ。でも実際そうかもしれない、とも思った。悩みなんて人にきいてもらうだけで大半はすっきりするんだよな。心の整理もできるし」
「確かに……私も幼馴染に話を聞いてもらうとすっきりします」
 莉子の事を思い浮かべて言った。
「そうなんだよ。でも聞く一辺倒だけじゃいけないな、とそれなりに悩み相談の本を読みこんだりもした。でもやっぱり傾聴にまさるものはないんだ」
「わかる気がします。河原真珠で接客が初めてだったころ、ついテンパって商品知識を並べ立ててしまって。お客様の言いたいことを十パーセントも拾えなくて。思い切りダメな店員でした」
「そうなんだよな。いかに傾聴が大事かって事だよね。それで、傾聴を進める内に、自分の中で変化がやってきた」
 へえ、と私は目を見開いた。
「人見知りだった頃は、とにかく人と対面するのが苦手だった。何を話せばいいかわからないから常にキョドってる感じだ。いつも正解を考えて縮こまっていた。でも、相談係をしていたら段々そうじゃないと思うようになった」
 私は引き込まれてさらに頷いた。
「俺が相手のことを知らないように、相手だって俺のことを知らないんだ。イーブンなんだよ。だからフラットな気持ちで、『あなたのことを白とも黒とも思ってません』っていう顔ができるようになった。相談内容は恋の悩みから成績や勉強、プライベートや家族問題まで多岐に渡ったが、みんな、話せてよかったと言ってくれてな。たいした答えはなかったけれど、皆最後にはさっぱりした顔をしていて、話しやすかっただとか御礼を言われるようになった」
「はあ…」
 フラットな気持ち。あなたのことは白とも黒とも思ってません、か。確かにそれは大事かもしれない。特に真珠店のお客様は年配の方が多く、私でなくて母に接客してほしいと言われることも多かった。そんな時は根気よくお客様のお話を聴くしかない。私は母ではなくてすみません、という気持ちが強かったけれど、もしフラットな立ち位置でお客様と対峙できたら、お客様の心の開き方も違ってくるかもしれない。
「いいお話ですね。そんな風に言われると今の私の緊張もほぐれたみたいです」
 この話を聴いたおかげで、私の社長に対するイメージが変った。
 もっとオレオレなワンマン社長を想像していたのだ。思っていたよりも穏やかな、余裕のあるタイプなのかもしれない。
「だからと言うのも何なんだが。河原真珠さんは経営が厳しいのか?話、聞くよ」
 確かに、そう言った社長の表情には無駄なものがついていなかった。同情とか同情してるフリとか。そういった感じは見られない。
 私は少し考えたが、確かに社長の経営術的な事が聞いてみたくてここに来ていた。それを教えてもらうには、やはりうちの店の現状を言わないわけにはいかないだろう。
「実は、三年ほど前から母が入退院を繰り返しています。以前は店先に立って、うまく真珠を買わせる腕があったのでお客様も増える傾向があったんです。ところが、母が倒れたのとショッピングモールができたのが同時期で。うちはじわじわとボディブローが効くように痛手を負っていたようです」