「知ってるよ。同業者みたいなもんだからな。改めて自己紹介するよ。ジュエリーブラッドの桐生雅敏だ」
 そう言ってさっと名刺を渡してくれたので、私も名刺を渡す。
 渡された名刺を見ると、そこには桐生雅敏という名前の横に代表取締役と記載してあった。
 この人がジュエリーブラッドの社長?!
こんなに若い社長だなんて知らなかった。しかも向こうは私のことを知っているらしい。明らかに私の勉強不足だ。
 ただ腑に落ちない点がある。どうして社長自らここに来ているのだろうか。うちのような小さな真珠専門店と違って普通ならジュエリーブラッドの営業のエースが来るところではないだろうか。
 雨宮財閥、という大きな顧客には社長自ら動くということ?
「なんで社長が直々に来てるんだ、って顔してるな」
 思い切り心情を読まれてしまった。
「すみません。うちと違ってジュエリーブラッドさんは大手なので……びっくりしました」
 桐生社長は、目を伏せた。
「まあな。……ちょっとした理由があってな」
 歯切れの悪い返答だった。ひめか嬢に何か弱みでも握られてるんだろうか。
「とりあえず座れば。この向かいの席にひめかさんが来るはずだ」
 長いソファの向かいには一人掛けのソファがあった。私は桐生社長の隣に座るのはためらわれたけれど、立ってひめか嬢を待つわけにもいかない。
 おずおずと桐生社長から少し離れた席に座った。
 てっきりひめか嬢と一対一だと思い込んでいたので、調子が狂う。だがジュエリーブラッドが今回の売り込みの競争相手だとしても負けるつもりはない。
 もしもここに来ているのが母だったら悠々とした構えを見せるだろう。私もそうありたくて背筋をしゃんと伸ばした。
「あら。今日は雅敏さん一人じゃなかったのね」
 凛とした声が響いた。大きな全面のガラス窓の近くにあったドアからひめか嬢がやって来た。事前に調べていた通り、綺麗で愛くるしい顔をしている。今日はベトナムのアオザイのように身体にぴったりしたピンク色のドレスを着ていた。プロポーションが抜群でないと着れない衣装だ。髪の毛は毛先が巻いてあり、ゴージャス感に拍車をかけている。
 飲まれないようにしないと、と私は自分を鼓舞して立ち上がった。
「初めまして。河原真珠と申します。水巻時計店さんからの紹介できました」
 ひめか嬢は、明らかにどうでもよさそうな顔をした。
「そういえば、あのおじさんが誰かを紹介するって言ってたけど。あなただったのね。私、舐められているのかしから。てっきり文香さんって社長夫人の名前かと思ってたんだけど」
「……母は入院していまして。現在は私が店頭に立たせてもらっています」
 ふうん、と不服そうな声を出してひめか嬢は一人掛けのソファに座った。
「まあ、いいわ。雅敏さんのとこのは後の楽しみにとっておいて。早速河原真珠さんの持ってきたものを見せてちょうだい」
 私はごくりと息をのんだ。
 真珠アクセサリーのケースが三つ入っている鞄の鍵を開ける。
 緊張を解きほぐすようにこっそり深呼吸をして、まず一つ目のケースをソファの前のローテーブルに置いた。もちろんひめか嬢の目の前だ。
 ケースを開けて、私は口を開いた。
「こちら8ミリのピンクパールのネックレスとなっております」
 淡いピンクの真珠でつややかな光沢がある。うちの店でも人気のある商品だ。
 ひめか嬢は眉をひそめた。
「…普通すぎるわね。そんなの学生さんがつけるものじゃない?」
 ひめか嬢の言いたいこともわかる。財閥令嬢からしたら安物に見えるだろう、ということは読んでいた。私は続けた。
「そうですね。オーソドックスなものに見えると思います。ただ…ピンクパールがいつの誕生石かご存じですか」
「パールは六月でしょう。そんなの誰でも知ってるわ」
 あからさまにツンとされた。私は微笑んだ。
「ピンクパールは六月七日の誕生石なんです」
 ひめか嬢の眉毛がぴくりと動いた。
「……私の誕生日の石がピンクパール?」
 ネットでひめか嬢の生年月日を調べておいてよかった。
「はい。ご自分の誕生石だったら一揃えしたくなるのでは……と、一粒ネックレスや指輪、イヤリングなどピンクパールの物をお持ちしました」
 私は用意していたそれらのケースを順に開けていく。
 ひめか嬢はあからさまに大きなため息をついた。
「わかってないのねえ。こんなもの、真珠専門店で探せば出てくるでしょ。確かに私の誕生石がピンクパールとは知らなかったけど。悪いけど帰ってちょうだい」
 誕生石では刺さらなかったか……でもここまでは予想通りだ。これはいわば前哨戦だ。
「実は、どうしてもひめかさんに見ていただきたい品物があります。バブル期に私どもの店が作ったオリジナル商品です」
 ひめか嬢は鼻で笑った。でも出て行けとは言われていないので、アレを見せるチャンスはありそうだ。
 私はゆっくりとアレが入ったケースを取り出し、そっとローテーブルに置いた。
 ひめか嬢の視線がこちらにあることを確認してからケースを開ける。
 出てきたのは三連の真珠にダイヤで作った花が六個ついているネックレスだ。使われている真珠にはさっきのピンクパールよりも上等のテリがある。テリとは一定以上の巻が綺麗に並んでいることを言う。
 明らかに輝きが違うネックレスにひめか嬢は関心を持ったようだった。
「ふうん……まあ、悪くはないわね。いくらするの」
「400万です」
 努めて冷静な声を出す。正直、私がこのネックレスをお客様にすすめるのは初めてのことだ。祖父の代に作ったもので、当時は見せ物件として店内に飾られていた。しかし盗難騒ぎが起こった。すんでのところで警備員が捕まえ、盗難は免れたがそれ以来店頭に出すことはなくなってしまった。上得意の客に父や母が見せることがあったそうだが、それも一年に一度あるかないか。景気の悪さでこんな商品を見たいと言うお客様はあからさまに減っているのだ。
 ひめか嬢がぽんと400万を出すとは思えないが、河原真珠の誇りをかけて、こうしてお披露目させる事になった。
「パールって値段の割りに地味よね。お葬式につけるイメージ」
 ひめか嬢の声のトーンは低かった。私はここでひるんではいけない、と自分を鼓舞した。
「そうでしょうか。結婚式のパーティードレスに合わせたら決して地味じゃないと思います。真珠ならではのシックな輝きと佇まいは女性の格をあげます」
「……言うじゃない。その三連の物は、店に出てるの?」
「いえ。普段は金庫にしまったままです」
「そう」
 ひめか嬢は、しばらく考えた。
「さっきのピンクパールのイヤリングとネックレスをいただくわ。その三連真珠とダイヤのやつは私が買うまでとっておいてちょうだい」
 ありがとうございます、と言おうとして躊躇した。うちの店は半年後にはなくなってしまう。それを言わなればいけないだろうか。今のうちの店にはひめか嬢の気が向くのをじっくり待つ余裕がない。
「あ。あの…」
 私が店のことを言おうとした時だった。
「確かにその三連のネックレスは魅力的だ。ライバルだが認めるよ。ただ…ひめか嬢にはこれが似合うと思って持ってきたものがある」
 桐生社長は、トランクの中から高さのあるケースをだしてきた。ネックレスはもっと薄いケースに入れる。ではこれは。
 す、と社長がケースを開け、ひめか嬢に見せる。
「こちらのティアラならひめか嬢が気に入るかと思いまして」
 そう、社長が出してきたのは、ティアラだった。ダイヤやルビーやサファイアがちりばめられていて、素晴らしくゴージャス。しかもとても繊細なデザインなので、けばけばしくない。ティアラのそっと頭に乗せるような軽やかさはそのまま、しかし、宝石は歴然と光っている…という塩梅だ。
 私はごくりと息を飲んだ。これならデザインも今風で若い女性のハートをつかむ品だ。
「素晴らしいわね」
 ひめか嬢は目を輝かせた。
「500万しますが、ひめかさんが気に入ったなら高くない買い物でしょう」
 淡々と言う社長に、ひめか嬢がふっと笑った。
「言ってくれるわね。っていうか、雅敏さんなら私にそのティアラを譲ってくれるでしょう?いずれ私たちは結婚するんだから」
 え、と思わず横にいる社長の顔を確認してしまった。
 お二人は結婚する間柄なの?!
「またその話ですか……」
 さっきまで淡々としていた社長の眉間に皺が寄っている。
「先月おすすめしたブレスレットも、そう言ってお支払いされてませんが?」
「だって未来の夫からもらえるんですもの。私が慌てて買う必要もないじゃない」
 ひめか嬢は軽やかにそう言うが、社長はあからさまに困っている顔をしている。
「…どうやらお互いの認識にズレがあるようですね」
 社長はやれやれ、といった態度を崩さない。
「なんのことかしら。私は雅敏さんと結婚するってもう決めているだけなんだけど」
 少し状況が見えてきた。どうやらひめか嬢は、桐生社長はにご執心なのだかれど、それは一方的な気持ちで。桐生社長には全然その気がない、ということらしい。
 ジュエリーブラッドの営業のエースではなく社長直々にここに来ている理由もこれだ。ひめか嬢が社長じゃないと逢わない、とごねるか何かしてしぶしぶ社長がやって来ている、
そんなところだろう。さっき社長がここへ来る理由を聞いた時、妙に歯切れが悪かったのもこのせいだ。
 顧客としてジュエリーブラッドを選んでくれるのはありがたいだろうが、毎回こんなやりとりをしているとしたら……桐生社長の眉間の皺もそれは深く刻まれることだろう。
 ライバルだが何だか可哀そうな気がしてきた。