真珠な令嬢はダイヤモンドな御曹司と踊る

 私が微笑むと佐藤さんは少し照れ笑いをした。
「あなたを見てたら蚊帳の外で何もわからないんだろうなって思ってもやもやしてたの。
 正直、高瀬さんたちとつるむ気はないから……年末までよろしくね」
 ぱっと眼前が開けた気がした。でも、それでいいのだろうか、という気持ちもある。
「いいんですか。私と一緒にいたら佐藤さんも高瀬さんたちから何かと言われちゃうんじゃないですか?」
 ううん、と佐藤さんは首を振った。
「高瀬さん達みたいに群れるのがもともと嫌いなのよ。あなた村八分にされてもレッスン休んだりしないし。根性あるなって感心してたの」
 私は佐藤さんの一匹狼みたいなところに感じ入った。私のこともちゃんと見ててくれたんだ、とストレートに嬉しい。
「ありがとうございます。私も年内に目途をつけようと思ってるんです」
 何かあるの?と聞かれてドイツの新年会でウィンナーワルツを上手に踊る、というミッションがある話をした。
「そういうことだったのね。私は春に結婚するから式の準備で忙しくなるからなの。文香さんは新米奥さんの先輩ね。いろいろ教えてね」
「そんなに教えることなんてないけど、嬉しいです。よろしくお願いします」
 こうして少し楽にレッスンに来れるようになった。

十日後。夕方、河原真珠店で閉店作業をしていた。今日も女性の富裕層らしいお客様が来てくれて、真珠のネックレスを二つ購入してくださった。
 その方も新規のお客様で紹介クーポンを持ってきて通常の二割引きの値段でお売りした。紹介クーポンというのはジュエリーブラッドの真珠コーナーで真珠を買うと河原真珠店んで使える割引クーポンがもらえるようになっているものだ。しかも二枚。真珠を買ったお客様とそのご友人も利用できる仕組みだ。
「こういうシステムは昔からあるやり方だけど、確実なんで廃れないんだ。河原真珠店に来店する客数が増えると思うからそのつもりでいて」
 そう社長に言われていてまさにその通りになった。スーパーマーケットのようにお客様がざわざわ来ることはない。でも真珠は単価が高いので一日に一人二人来店があり、そのお客様が購入してくれるだけでかなりいい方向にいく。
 明らかに今、河原真珠店の売り上げは右肩あがりで父もすっかりご機嫌だ。負債もすこしずつ減ってきている。
 何もかも、桐生社長のおかげだ。
 会って御礼を言いたい気持ちが膨らんでいるけれど、最近会えていない。予想よりジュエリーブラッドの仕事が早くから忙しくなり、社長は水曜金曜のレッスンに参加できずにいた。
 だいぶステップを覚えたから……社長と踊ってみたいんだけどな。 
 そう思った次の瞬間、店の自動ドアが開いた。
「お疲れ様、やっと間に合った」
「社長!」
 息を切らして駆け込んでくれたようで、額に汗が光っている。
「閉店して行き違いになったら、と思って慌てて来たんだ」
「何か急用のお仕事の話が?」
 スマホで連絡するのでなく、わざわざ来てくれるなんて。何があったのだろう。
「何言ってるんだ。ダンスだよ。文香さんと踊りに来たんだ」
 わ、そうなんだ。と心が弾んだ。
「でも今日は土曜日ですよ。ダンススタジオは開いてないでしょう」
「深町先生から鍵を預かってる。今日は二人で貸し切りで踊れるよ」
 深町先生の名前を社長から聞くと、胸の内がざわついた。しかしそれよりも社長とダンスができるうれしさの方が勝っていた。
「すぐ出られるよう準備しますね」
 私は速攻で閉店作業を片づけ、更衣室で制服から私服に着替えた。今日はたまたま社長からもらったベージュのワンピースを着てきていた。
 店の駐車場に止めてある黒の高級車の前に社長が立っている。
「お待たせしてごめんなさい」
 社長はいや、と首を振り私をじっと見つめた。
「その服は俺が買ったやつかな」
「はい。素敵なので着ていると嬉しくなります」
 本当にそうだった。私は好きな服を繰り返し着るので、そう服を新調する方ではない。だが社長が新しい服でクローゼットをいっぱいにしてくれていたので、最近は服選びが大変だけど、とっても楽しい。
「それはよかった。よく似合ってる」
 その一言で、ふわっと足元が軽くなる気がした。好きな人に褒められると文字通り地に足がつかなくなってしまう。
 これからダンスをするんだから、気を引き締めないと、と自分に活を入れる。
「話していた水曜や金曜に来れなくて申し訳なかったな。どうしても時間が取れなくて。深町先生とは時間のやりくりをして練習させてもらったんだが」
 社長と深町先生が二人だけで踊っているところを想像すると胸が痛む。
 それでも、今日は社長を独り占めできるんだ、と気持ちを切り替えていこうと思う。
 ダンススタジオに着いて更衣室でTシャツと長めのスカートに着替える。着替えとダンスシューズの予備を置いていてよかった。
 スタジオに行くとTシャツとパンツ姿の社長が待っていてくれた。
「今日は仕事終わりに踊ることになるけどつらくないか?しんどくなったら言ってくれよ」
 社長の気遣いが嬉しかった。
「大丈夫です。私も社長と踊ってみたかったですし」
 言って自分が赤くなるのがわかった。なんだか告白っぽくなっていないだろうか。
 社長は目を細めた。
「嬉しいことを言ってくれるな。俺も同じ気持ちだよ」
 社長の言葉が甘く響く。だめだめ。社長は人たらしなんだから。人を喜ばせる言葉のストックがたくさんあるんだから。真に受けちゃだめ。…ダンスに集中しよう。
 社長がステレオを操作してくれて、音楽が流れ始める。
「文香さん」
 呼ばれて社長の目の前に立つ。社長の手が差し出され私は手を重ねた。すると一気に社長の胸元に身体を引き寄せられ、踊りが始まった。もちろん集中的に習っているワルツだ。
 踊り出すと社長のリードがすごくよかった。どういうステップを次に踏めばいいかが自然とわかる。これくらい踊れるようになるまで、どれだけ練習したんだろう。
 そして改めて身体をくっつけあっていることにドキドキしてしまう。社長の胸板は厚く、私を軽々と支えてくれる。
 音楽が終わる。一曲踊るのにあっという間だった。
「驚いた。想像よりずっと踊れるようになってるんだな、文香さん」
 そう言われてほっとした。どうやら足手まといにはなっていないようだ。
「少し自主練したのがよかったのかもしれません」
 深町先生の教え方だとダメだしばかりで何をどうしたらいいのかわからなくなってしまう。そこでワルツの動画をパソコンで見る事を思いついた。調べたら初心者向けダンスの動画がたくさんある。教え方もとても丁寧だった。仕事あがりで確かにきつかったけれど、上達するのは嬉しかったので毎晩のように練習していた。
「自主練?どうして、深町先生が教えてくれるだろう」
 深町先生からはダメだしばかりで、とも言うわけにはいかず。
「覚えが悪いから復習が必要なんです」
「努力家だな、文香さんは」
 嬉しい褒められ方だ。
「社長こそ。とても踊りやすくて練習をされてたんだな、ってわかりました」
 社長は頷いた。
「もちろん。文香さんとなめらかに踊れるように、と必死だったんだ。想像してたよりお互いうまく踊れてるが、まだ完全じゃない」
 今度は私が頷く番だった。一曲踊り終わるまでの後半の展開に難しいステップがあり、そこで息を合わせるのが難しい。
「ゆっくり、かつ丁寧に何度でも踊ってみよう」
 私と社長はひたすらワルツを踊り続けた。
 踊れば踊るほど気持ちがほぐれていく。最初は緊張していたのが取れて、社長の表情を見たりする余裕が出てきた。
 踊りを完璧なものにしようとする真剣な眼差し。だがそれだけでなく、単純に踊っていて楽しいという気持ちも滲んでいた。
 私は初心者で理解が浅いけれどこういうのをチャーミングンなダンスというのではないか、と思った。
 そしてそろそろレッスンも終わり、という時間が近づいた頃、私と社長は思い切りみつめあってダンスしていた。
 そこにもう照れはなかった。ただ純粋にこの空間にいるのがふたりだけで、それを余さず味わおう、お互いそんな気持ちじゃなかっただろうか。
 展開が難しかったステップもほぼズレずに踊れるようになってきた。
 自然に顔が綻ぶ。
 楽しい。
 私は好きな人を独り占めして踊ってる……!
 こんな素敵なことってあるだろうか。

 曲が終わり、私と社長ははあはあ言いながら同じタイミングで水分補給をした。持ってきていたペットボトルの水も、もう残り少ない。
 喉の渇きがいやされ、私は社長に言った。
「完璧じゃないけど……楽しい、です」
 そうだよな、とかそんな台詞が返ってくると思っていたのだが、社長がじっとこちらを見つめている。
 しばしの沈黙があって、やっと社長が口を開いた。
「君は……何ていうか、まぶしすぎるよ」
 かすれた声だった。
「え……」
 社長が私の手を取った、と思った次の瞬間にはもう抱きしめられていた。
「踊りで君を独り占めするだけじゃ足りない」
 社長の顔が間近にある。うっとりさせられる美しい睫毛。堀の深い目元。吸い込まれそうと思った瞬間、言われた。
「文香さん、キスしたい。してもいいか?」
 どきん、と胸の鼓動が鳴った。かあっと顔が赤くなってしまう。
 恥ずかしい。でも嫌じゃない。ダンスで身を重ねる時に何度でもお互いが溶けあうような錯覚があった。
 私は男性とキスしたことがないし、したいとも思ったことがなかった。
 でも、今、すぐ近くで熱い吐息をもらしている社長の唇に自分の唇が重なることは自然なことに思えた。