真珠な令嬢はダイヤモンドな御曹司と踊る

 にっこりと微笑まれる。近くで見るとなお美しかった。そして抜群なのはスタイルだ。無駄なところのない肢体でさすがアスリートは違う、と思わされる。
「はじめまして。本当にダンス初心者なので、よろしくお願いします」
 私は頭を下げた。
「あら、バレエをやってると聞いていたわ。謙虚な方ね」
「バレエもそんなに上級者ではないので」
「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。文香さんにはぜひ社交ダンスの楽しさを知ってほしいと思ってるんですよ」
 朗らかに言われて私の緊張も少しほぐれてきた。
「深町先生、今日は今後のスケジュールを決めたくて来ました。早速ですがご都合を伺ってもいいですか」
 社長が言うと深町先生は悪戯っぽい目つきをした。
「もう。いつも佐緒里でいいって言ってるでしょ。文香さんも私の事佐緒里って呼んでほしいわ。イギリス育ちなのでファーストネームを呼ばれるのが性に合ってるの」
 私は自分の身体がびくん、と揺れたのがわかった。
 この人がさおりさん?!社長にとって何らかの特別な人がこの深町先生ってこと?!
 気になっていた人と対面することになるなんて予想外だったので驚きを隠せない。社長と深町先生はスケジュール帳を付き合わせて話しあっている。
 いや。私の考えすぎかもしれない。偶然さおりという名前かもしれないし...
 そう思っても心臓がばくばく言っている。
「えっと文香さんの休みは水曜日と金曜日だったよな」
 社長に言われてはっと我に返る。
「は、はい。そうです」
「じゃあ、水曜日と金曜日の夕方18時からのレッスンにしましょう。その時間は初級のクラスをやってるからちょうどいいわ」
「そうだな。それだったら水曜日の19時とかに俺も顔を出せるかもしれない。それでいこう。なんたって時間がない。ドイツの新年会の舞踏会に間に合わせたいからな」
 今は十一月上旬。二か月でワルツ好きの人が見ても感心して気に入るように踊れるようにならなくてはならない。私はさおりさん問題はいったん考えないことにした。
 今はワルツが踊れるようになることが優先だ。
 
 年内のスケジュールを大まかに決めた。11月いっぱいは私が週二回、初級クラスに通うことがメイン。12月に入ったら社長とレッスンに入れる日はできるだけ時間を合わせて私もレッスンすることになった。社長と上手に踊れることが目標なのでここは大事なところ。クリスマス商戦でジュエリーブラッドも大忙しの頃だから、社長の都合を優先して時間を合わせることで話はついた。
 それからストレッチや柔軟運動した後にダンスのレッスンがあった。初歩のステップが主でまだ社長とは踊れない。
 基本のダンスの姿勢を覚えるだけでも大変だった。自分の身体がこんなにままならないなんて。バレエを始めた頃に苦労していた事を思い出した。何だって最初は難しいのだ。
 社長は今日はダンスレッスン用に長袖のTシャツとパンツという恰好だった。すでに教室に通っていただけあってダンスの基本姿勢もさまになっている。
「じゃあ最後に桐生さんとワルツを踊るから、文香さん見ていてね。あなたもこれくらい踊れるようになるのよ」
 今日はダンス教室のお休みの日で特別に深町先生に来てもらっているから他に生徒はいない。
 クラッシックの音楽が鳴り響くと社長と深町先生が向き合って手を取り合う。
 どきん、と心臓が跳ねた。
 音楽に乗って二人が踊り始める。社交ダンスは男性がリードするものだ。社長は少し身を固くしてステップを踏んでいた。それをカバーするように深町先生がふわりふわりと優雅にステップを踏む。なめらかで綺麗な動きだ。チュールスカートが揺れてうっとりしてしまう。
 美男美女で絵になるなあ......
 ついさおりさん問題を考えまいとしていたのに考えてしまう。こんなに素敵な女性だったら社長だって気持ちを持っていかれるんじゃないか。
 私とは契約結婚だ。社長にも私にもメリットがあるから成立した結婚。社長は私にすごく優しく親切にしてくれるけど、社長の性格だったらルームメイトにだってそうしたと思う。
 私だから優しいんじゃない。誰にでも優しくて、だから私にも優しくしてくれてるのよね。
 二人が踊っているのを見ると、今まで思っていた以上にそのことが何倍も大きなこととして心に迫ってきた。
 社長に他に特別な人がいたっておかしくない。社長の結婚のメリットは真珠店の立て直しと結婚を迫る女性達から解放されることだったのだから。
 来年の秋、この契約結婚が継続されるかどうかが決まる。
『俺、好きな人がいるから離婚してくれないか』
 そう言う社長を想像してしまった。
 胸がぎゅっと痛くなる。
 そんなことない、と言ってほしい。でもその資格が私にはなくて。
 踊る二人をただ見つめることしかできないのが象徴的だった。
 私は、暗い瞳で二人を見てしまわないよう、懸命につくり笑いをしていた。

社交ダンスの初級クラスでダンスを教わるようになって二週間が過ぎた。今日は五回目のレッスンだ。初級クラスに来ている生徒さんは十人ほど。五十代の女性が六人、三十代の女性が二人、そして五十代の男性が二人。予想していたように私よりも年上の方が多い。
 二回目に参加した時の休憩時間に私は三十代の女性に声をかけた。歳が近いので親しくなれるのでは、と思ったからだ。
「やっぱり最初はきついですね。もう長く通われているんですか?」
 するとその女性はふいっと顔を反らして五十代女性たちのグループの方に行ってしまった。
 私の声が小さくて聞こえなかったのかな、と思い、次の三回目の時も他愛ないことで声をかけたが無視されてしまった。五十代の女性たちは固まって何やらささやきあっている。
 私語が禁止なわけじゃない……これは明らかに村八分にされている。
 何だろう。私が最年少だから?
 腑に落ちないままレッスンに通うことになった。
 友達を作りに来たわけじゃない、ワルツを覚える年末までの間だけだ。レッスンに集中してシンプルに技術を身に着けよう、そう思ってやり過ごそうとした。
 ところがそのレッスンそのものでも深町先生にきついダメだしをされる。初心者なんだから仕方ない、こんなところで音を上げてはいけない。
 そう自分を鼓舞したのだけれど。
 あきらかに私よりもミスが多い女性に深町先生は優しかった。大丈夫、すぐ上達するわと声をかけてあげる。
 だが私には違う。
「ちゃんと私の言うことを聞いてましたか?レッスンに集中できない人に教える余裕はないんですけど」
 あからさまにきつい物言いで私に詰めてくる。
 被害妄想かもしれない、と何度も打ち消そうとしたが冷静に客観的に見ても、やはり私は特別つらく当たられているようだった。
 そして五回目の今日、来る前に少し頭痛がした。きっとそんな居心地の悪い場所に行くのに身体が嫌がっているのだろう。
 それでもほんの少しワルツのステップを覚え始めていたので自分をなだめすかしてこのダンススタジオに来た。スタジオにまだ深町先生の姿はなく、三十代の女性、確か佐藤さんという名の人がレッスンの準備をしていた。彼女はイヤリングを外そうとしていてそれを床に落とした。私の足元の近くに転がってきたので拾って佐藤さんに手渡した。
「…ありがとう」
 ぼそり、と佐藤さんは言った。
「イヤリング、片方なくすと残念ですものね」
 こう言ってもまた無視されるのかな、と思いながらも佐藤さんに微笑みかけた。佐藤さんはちょっと考え込んでから私を見た。
「ねえ。あなた旦那さんの方からプロポーズされた?」
 唐突な質問に面食らった。なんだろう恋バナ的なもの?と私は怪訝に思いながらも返事をした。
「ええ。主人からされました」
 結果的には契約結婚になったけれど。
「そうなの…あのね。私、年内でこの教室やめるから言うんだけど……あなたが桐生さんに言い寄って深町先生から桐生さんを奪ったって話になってるわよ」
 私は驚いて目を見開いた。
「奪ったって……そんな事していません。じゃあ、深町先生と主人はつきあっていたんですか?」
 佐藤さんは神妙な顔をした。
「そこなのよね。五十代の高瀬さんたちのグループがやけに先生と桐生さんがお似合いだって騒いでたの。深町先生もそんなに否定しないからそういう関係なのかな、って皆なんとなく思っていたというか。そうしたらあなたが桐生さんの奥さんとしてやって来たでしょう。高瀬さん達はすっかり深町先生の肩を持ってね。可哀そう、恋人を盗られたのねって言ってるわ」
 私は口を開けてぽかんとしてしまった。なんとも思いがけない展開だ。桐生社長のいい奥さんに見られたいと思っていたけれど、まさか全く逆で略奪婚をした悪女となっていたとは。
「私は主人を誰かから盗った覚えは全くないんですが……」
 途方に暮れながら佐藤さんに言った。佐藤さんは頷いた。
「そうよね。私から見ても桐生さんは深町先生を特別扱いしたりしていなかったし。高瀬さんたちが騒いでるだけだと思う。でも高瀬さんたちに睨まれると面倒くさいから岡部さんもあなたのことを無視したりしたんだわ」
 私が最初に声をかけたのがその岡部さんだったのだ。そういういきさつだったのか……
「でも深町先生も特にお付き合いしていないんだったらそう言えばいいのに。先生の態度もよくないと思うのよね」
 この佐藤さんがニュートラルな立場でいてくれた事が嬉しかった。私と仲良くしていたら高瀬さんたちに睨まれるというリスクがあるのに私に話してくれたのだ。
「ありがとうございます。言いにくいことを教えてくれて。なんかすっきりしました」