真珠な令嬢はダイヤモンドな御曹司と踊る

 その中の一つに河原真珠店があった。小さな真珠店だが、つながっている養殖所はなかなかうまく機能している。真珠のデザインや売り方も丁寧で抜けがない。
 俺は客のふりをして河原真珠店に行ってみた。二十代のショートボブの女性が常連らしい客と話し込んでいた。
 その女性は声こそやわらかいが、きびきびしていて、知性も感じられた。なにより真珠にとてもよくマッチしている。真珠の慎ましいけれど毅然とした美しさ。そういったものを売るのにその女性は適していると思った。
 常連客との話が終わりそうになかったので、店舗をさっと見て俺は店を出て行った。その日は近くのカフェで資料を作り急ぎの仕事を片づけた。河原真珠店とジュエリーブラッドの本社は距離があったので、手近なところで仕事をしたかったのだ。
 集中してやっていたら夜になっていて本社に戻ることにした。そのカフェの向かいはイタリアンレストランだった。店の佇まいからして老舗だろう。ふと、ドアが開き、見覚えのある顔の女性が出てきた。
 さっきの河原真珠店で接客をしていたショートボブの女性だ。河原真珠店には一人娘のがいると調べがついている。彼女がそうかもしれない。
 俺は彼女がナンパされて困っているのを助けた。
「一人でこんな所に突っ立って。海外だったら娼婦と間違われるぞ」
 俺は彼女があまりにも美しく、控えめだが色気も感じた。放っておくとまた他の男から声をかけられそうで、そんな言い方になってしまった。
 彼女はうつむいて顔を赤くしている。俺にかみついたっておかしくないのに今どき珍しい大人しいタイプだ。すると河原真珠の経営者である河原社長が出てきて彼女を文香と呼んだ。やはり娘だったのか。もうナンパされる心配はないだろうとその場を去った。駐車場に置いていた車に乗り、事前に調べておいた河原真珠の資料に目を通す。
 改めてさっきの女性が河原真珠店の長女、河原文香だと確認できた。俺は彼女のことをもっと知りたいと思った。今まで会ったことのないタイプだ。宝石を売る女性たちは大抵派手好みで肉食的だ。
 文香さんのように赤くなってうつむような、そんな繊細さはない。
 会ってもっと話がしてみたい。俺は珍しく女性に興味を持っていた。客のフリをして河原真珠店で彼女と話してみようか。だがそうすると俺がジュエリーブラッドの御曹司で彼女のライバル店の者だとバレた時が気まずい。
 何かうまく彼女とお近づきになれないだろうか……
 そんなことを考えていたら思いがけない場所で再会した。
 ひめか嬢にティアラを売り込みに行った時のことだ。ひめか嬢は二人の宝石業者からいっぺんに話を聞くようなことはなかったのだが、今回は何か手違いがあったのか俺と河原真珠が同じタイミングで来てしまった。
 しかも会いたいと思っていた河原文香さんが。
 俺はすぐに自己紹介をして名刺を渡した。彼女は俺がジュエリーブラッドの社長だとわかるとさすがに驚いていた。
 ほどなくしてひめか嬢がやってきて、文香さんがピンクパールを売り込み始めた。ひめか嬢の誕生石だと知っての切り口だ。顧客の情報をよく調べて丁寧に石を積み上げるように営業トークをたたみかける。
 悪くない。もっと大人しい女性かと思っていたがひめか嬢につっぱねようとされてもまだ食らいつこうとしている。さすがに400万の三連真珠のネックレスを持ち出してきた時はやられた、と思った。ピンクパールは前哨戦だったわけだ。
 文香さんは芯がしっかりしていて、ひめか嬢の気分屋でわがままな所を全く苦にしていない。ひめか嬢とは初対面らしいのに堂々と渡り合っている。
 何より「どうしてもひめか嬢に買ってほしい」という懸命さを感じた。その姿勢に感じいった。彼女は河原真珠店を、そして真珠を愛しているのだろう。ただ商品を売りつけたいうのではなく、真珠そのもののよさをわかってほしい、そんな熱意が伝わってくる。
 今まで俺が見てきた宝石の商売人たちは宝石の価値や値段を盾にドヤ顔をする連中ばかりだった。俺にももちろんそういうところがある。
 だが彼女の必死さは相手の心を動かすものがある。俺自身がまさに気持ちを持っていかれていた。
 彼女に近づきたい。このままではただのライバル宝石店の社長という関係で終わってしまう。何かいい策はないだろうか。
 そう思っている内に俺がひめか嬢に売り込む番になった。400万のネックレスを出されたらやはり対抗できるのは500万のティアラだろう。
 ひめか嬢はまんまと気を惹かれていたが、自分へのプレゼントにしろと横暴な事を言い出した。これだからこのお嬢様はやっかいだ。
 俺の事を好きらしく、事あるごとに結婚の話に持っていこうとする。こんな居丈高で傲慢な女性と結婚するなんてまっぴらだ。なんとかして俺のことを諦めてほしい。
 そう思った瞬間、隣にいた文香さんが俺のことを心配してそうな視線で見つめていた。
 俺の事をライバルだが理不尽な思いをしている、と同情してくれているんだろう。
 そうだ、この手があった。俺はひらめくとすぐに口にしていた。
「ダブルブッキングじゃないんです。こうなるように俺が仕向けました。何故なら…私はこの河原真珠の一人娘、河原文香さんと結婚するからです」
 文香さんは俺にむかって驚愕、といった顔を見せた。俺がウィンクしてみせると話を合わせてくれ、という意向を汲み取ってくれた。さすがの慎ましさだ。だれがあなたとなんか、などと口走らない。そういうところもいいと思った。
 結果的にひめか嬢は俺のことを諦めたそぶりを見せた。ほっとしたが流れで文香さんから買うことになっていたピンクパールのセットも買わないと言ってきた。
 しまった。文香さんに損をさせるつもりはなかったのに。
 ひめか嬢が想像よりもごねずに退場したのはよかったが、文香さんはひどく落胆していた。申し訳なさで胸がいっぱいになった。俺はひめか嬢にあきらめてもらうのに、文香さんのように慎ましく賢い女性が必要だったことを打ち明けた。宝石を積まれたら俺を裏切りひめか嬢につくことも厭わないような、俺に言い寄ってくる女性たちと文香さんは全然違う。
 俺に必要なのは文香さんのような女性だと思い「お詫びをさせてもらえないか」と彼女を食事に誘った。しかも彼女には恋人はいないらしい。
 素晴らしい展開だ。お詫びをかねて彼女を口説きたい気持ちが膨らむ。何よりも彼女のことをもっと知りたかった。
 文香さんはさすがに慎重だった。考えさせてくださいと言われ、待っていたら俺のスマホにショートメールが来た。お詫びの食事会に来てくれると言う。 
 当日。俺は浮かれていた表情を引き締めて彼女と対峙した。彼女は素敵なワンピースに身を包んでいた。
「今日は俺のために装ってくれてる、と思っていいのかな」
 思わず頬を緩めてそんな事を口走る。
「お気に入りのワンピースなので着たかっただけです」
 そんな固い返しを文香さんはしてきた。宝石目当てで俺に取り入ろうとしてくる女性とはやはり違う。彼女たちは俺に褒められるのを当然という顔をするし、しかもねだれば宝石をくれるだろうという腹積もりだ。
 文香さんにはそういう下心が全くない。落ち着いて向き合えるな、と思ったのでその後の食事会もとても楽しいものになった。
 知り合った女性に自分が人見知りだった事を打ち明けるのも初めてのことだった。文香さんは聞き上手で彼女なら何でも受け止めてくれそうだった。
 食事しながら話していく内に、彼女がとても真珠を愛していることがわかった。それはひめか嬢に売り込む時の懸命さから伝わっていたが、はっきりと彼女の口から「ずっと店先に立ちたい」という言葉が出てきて確かなものになった。
 彼女は真珠とそして自分の父が経営している河原真珠店を大切に思っている。自分の親の金をあてにして生きてきているお嬢様に辟易していたので、文香さんの凛とした佇まいにいっそう惹かれた。
 ところが彼女のひとことで思わぬ展開となった。なんと河原真珠店はあと半年でたたんでしまかもしれないと言うのだ。
 それであんなに必死にひめか嬢に売り込んでいたのか。合点がいった。俺は文香さんとひめか嬢の話をしながら頭の中で目まぐるしく計算していた。
 河原真珠店とうちのジュエリーブラッドが提携したらどうなるか。実は真珠ルートをしらべている時に、見どころがあるな、と思わせるルートのひとつが河原真珠店のものだった。文香さんの父親は店をたたむということを考えているようだが、あの真珠ルートを失くすのは惜しい。河原社長はあの真珠ルートを過小評価している。俺だったらあの真珠ルートをもっと生かすのに。
 そう思うと、もう口が動いていた。
「なあ、文香さんどうだろう。ジュエリーブラッドと提携してうちの真珠コーナーを河原真珠さんでやってもらえないだろうか」
 文香さんは驚いていたが悪い感触ではなかった。そうできたらありがたい、という気持ちが表情に出ていた。もちろん父と相談してみますと言われた。確かに彼女の一存では決められないだろう。
 それで一つ考えたことがあった。俺が動くから任せてほしいと言い食事会を終えた。
 
 翌日から俺は今まで以上に河原真珠店について調べあげた。そしてすぐに河原社長とコンタクトを取った。
 河原真珠店の近くのホテルのティールームで二人きりで会うことになった。俺に呼び出された河原社長は最初こそ「ジュエリーブラッドの御曹司が何の用だろう」という顔をしていたが、俺が河原真珠店の真珠ルートを高く評価していることを話すと顔つきが変ってきた。