真珠な令嬢はダイヤモンドな御曹司と踊る

 社長の事だってそうだ。会長からひどい言葉を投げつけられても怯まず受け入れていたから、これまで会長が社長をぞんざいに扱ってきたことは想像がついた。
 あんな人のもとで仕事をしていくのはきつかっただろう。
 でも。ここにちゃんと社長の味方はいたのだ。社長の屈託のなさ、強引だけれど人を巻き込んでいくような人間力。それはこのおじい様と一緒にいることで培われたものかもしれない。
 そこまで考えてはっとした。私自身、今日一日で、随分社長への評価が変っている。強引なところや私を驚かすところばかり見ていてずっと振り回されそうと思っていたけれど。
 今は違う。これから一年間社長と暮らす事に少しずづだが魅力を感じている。
 社長のことをもっと知りたい……。
 それが今の私の素直な感情だった。
 おじい様はそれから最近凝っているガーデニングの話をしてくれて秋に咲いたバラの鉢植えをいくつも見せてくれた。素晴らしい出来で心ときめいた。
 おじい様の持っていた水筒のコーヒーを頂いて、お暇することになった。
 別れ際におじい様がちょっと声のトーンを低くして社長に言った。
「雅敏、あれは続けているか?」
 社長はにやりと笑った。
「もちろん。しかも朗報がある。この文香さんはバレエを習ってるんだ」
「ほう。それはまた逸材じゃの。抜け目がないな、雅敏」
「たまたまだけどね、でもこれでアウイナイトが少し近づいた気がする」
 アウイナイトは『柊』での食事会の時に話していた希少な宝石のことだ。それと私のバレエ教室通いが関係する?ぱっと結びつかなくて社長の顔を見る。
「それじゃ、帰ろうか」
 社長が笑い、温室の外が暮れかけているのに気づく。
 おじい様が温室の出口でずっと手を振ってくれていたので暖かい気持ちでこのお屋敷を去ることができた。
「バレエと宝石って何か関係があるんですか?」
 社長はにっ、と口角をあげた。
「これからいろいろわかってくるよ。まずは新生活スタートだ」
 夕空の雲は綺麗に染まっていて。新しい生活へ背中を押してくれている気がした。
   
【 雅敏ターン 】

 高校二年生の頃、俺は平日は中華料理店でバイトし、土日はガソリンスタンドでバイトしていた。少しでも家計の足しにしてもらおうと必死だった。
 中学生の頃、シングルマザーだった母が勤めていた食品会社が潰れてしまった。正社員だったので給料はまあまあだったはずだ。しかし、突然の倒産で退職金は出なかった。母は俺と暮らすために何度も再就職をしようとしたが正社員のクチはなかなか無く、パートのかけもちをするようになっていた。昼間はクリーニング店で働いて、夜は定食屋でお運びをする。一日中立ちっぱなしで足がむくむわ、と笑っていた。
 俺の中華料理店の残り物と、母の定食屋の残り物がかぶってしまい、ずいぶん豪華な食卓になることもあった。
「たまにはいいわよね!これゼロ円だもん」
 そう言って疲れを吹き飛ばすように笑って母は、旺盛な食欲を見せた。俺は成長期でいつも腹をすかせていたから食卓が潤うのは何よりも嬉しかった。
 夕飯を食べ、風呂に入ってから勉強をした。母がシングルマザーだろうと俺の成績には関係ない。そう自分に言い聞かせて机に向かった。短時間で効率よく勉強するには、昼間の授業をいかにモノにするかが大事だった。授業を理解していれば宿題も早くすむ。教師が熱く語っているところに線を引き、テストのヤマを当てるのも得意だった。
 うちの経済状況を考えると俺が高校卒業したら働くのがベストだろう。教師には
「進学しないのか、惜しいな」
 と言われたが、俺は働くのに躊躇はなかった。成績がトップだったこともあって税理士事務所で働けることになった。働きながら税理士になる勉強もできる。母を楽させたい。その一心だった。
 ところが高校卒業を控えた二月に母が倒れた。末期のガンだった。医師には手を尽くしてもらったが、もうどうにもならないところに来ていて。四月に亡くなった。
 俺は呆然としたけれど、生活のために働かなくてはいけない。理性ではそう思っているのだが、母を喪った空虚感でフレッシュな新入社員になれそうもなかった。
 そんな時に。アパートの前に一台の高級車が停まっていた。コンビニからの帰りでTシャツにジーンズ姿だった俺は、その高級車から降りてきた男性に呼び止められた。
「佐藤雅敏様ですね」
男性は俺を桐生家に連れて行った。すぐにジュエリーブラッドの社長である桐生浩一に引き合わされた。
 太い黒縁眼鏡の浩一は自分が俺の父親であること、そして俺にジュエリーブラッドを継いでほしいことを何の謝罪もなく言った。俺は母を捨てた人間として謝って欲しかった。
 しかし、そんな暇はなかった。あてがわれた俺の部屋には宝石関係の書籍で埋め尽くされ、跡継ぎになるなら読破するように、とあっさり言われた。
 俺は跡継ぎにふさわしいかテストされているのだと直感でわかった。父を簡単には許せなかったが、目の前に山があったら登りたい俺はそのテストを受けることにした。
 くる日もくる日も宝石について学び、商売や経営学について学んだ。
 だが読んだからって何ができるというわけでもない。俺は知識をため込みながら自分はジュエリーブラッドを背負って生きていけるんだろうかと不安になった。
 そんな時、祖父に出会った。
 祖父は慇懃無礼な父とは違って、俺を孫として歓迎してくれた。そして父親らしい事を全くしようとしない父のことも謝ってくれた。桐生家で初めて俺を人間扱いしてくれたのが祖父だったのだ。
 祖父はまず宝石のいろはを俺に教えようとした。祖父は鉱物図鑑を俺に見せてくれた。
 俺ははっとした。
「これなら見たことがある」
 母と暮らしていた小三くらいの頃、俺は誕生日プレゼントに鉱物図鑑をもらった。
「あなたに関わるものだから大事にしなさい」
 母の言っている事がわからなかったが、今はわかる。母には今の俺のような状況に陥ることに感づいていたのだ。
 子供だった俺はきらきら光る鉱物たちが美しくて何度もその図鑑を見た。おかげで鉱物のそれぞれの特性なども覚えてしまった。
 祖父にその事を打ち明けると祖父は嬉しそうに言った。
「お前は宝石に導かれるタイプかもしれんなあ。どうだ、本腰入れて勉強してみるか」
 そう言って祖父から宝石のことを教わり、父からの宿題もこなす生活が始まった。宝石の世界は奥が深く知れば知るほどのめりこんでいった。
 一か月経った頃には結構な宝石の知識を身に着けていて、父から大学進学を勧められた。
 どうやら俺はテストに合格したらしい。大学には行ってみたかったので、父のことを依然として許せていなかったけれど有難く行かせてもらうことにした。
 大学時代は宝石や経営について学びながらも、まあまあ青春を謳歌することができた。アルバイト三昧で友人と遊んだこともなかった俺はテニス部の先輩のおかげで人見知りが直り、たくさんの友人ができた。
 大学を卒業するとジュエリーブラッドで働くことは決まっていて、俺はこの四年間で勉強したことを実践したくてうずうずしていた。
 ジュエリーブラッドで働きながらも、俺は店をよりよくする企画書を出し続け、祖父の助けもあって上司達に見てもらえるようになった。俺は宝石の仕事が俄然面白くなってきて、通った企画で売上アップにつなげることができた。
 それからがむしゃらに働いて五年、俺は二十七歳で専務から社長に就任した。父は早すぎないか、と懸念したが祖父が
「やらせてみよう。こいつはなかなかの商売のセンスを持ってるよ。何、会長のお前がついていれば、そう大きな失敗もないだろう」
 そう言って応援してくれた。俺にとって社長業は面白い経験だ。高校時代は税理士になるのが夢だったので、長い間人の下で働くのを覚悟していた。それが何と今は社長だ。
 できることの幅も広がり、果敢にジュエリーブラッドの価値があがるよう奔走した。人脈も着々とできていった。あのテニス部の先輩に人見知りを直してもらっていなかったらきっとこううまくはいかなかっただろう。
 数年でジュエリーブラッドの業績はあがり、店舗も増やした。自覚がなかったが俺は経営に向いているようだ。と言ってもジュエリーブラッドの基盤は父の時代にできていたわけだから、そんなに難しい事ではなかったのかもしれない。
 ただ面倒くさいこともあった。社長業についてから、やたらと女性建が俺を狙ってくるようになった。学生時代もそこそこモテたが、社長業になってからのモテ方はその頃とは違っていた。俺を狙う女性たちは、明らかに俺の向こう側に宝石を見ていた。
 つきあってみると必ず宝石をねだられる。プライぺートと仕事は分けたかったのでそんなおねだりは聞く気もなかった。そう対応しているとすぐに関係はダメになる。俺としてはせいせいしたが、同じような女性が次々にやってくるので参ってしまった。
 ついには五人の女性から結婚を迫られる始末だ。
 その頃、俺はジュエリーブラッドの真珠ルートがおかしいことに気づいていた。人を使って真珠担当者をマークすると、真珠にかかる経費以上の金が動いているのがわかった。
 真珠担当者が経費を横領していた事を認め、即刻解雇となった。そこで困ったのが真珠のルートだ。解雇した担当者とつるんでいたわけだから、信用するのは難しい。また金を横領しない保証はどこにもない。そこで、新たな真珠ルートがないか、俺は探すようになった。
 ちょうどN市のショッピングモールにテコ入れしたい時期だった。いくつかの真珠専門店に偵察に行った。