真珠な令嬢はダイヤモンドの御曹司と踊る

「ねえ、文香はどんな人と結婚したいと思ってる?」
 親友の莉子が急にそんな事を言うので、飲んでいたコーヒーをむせてしまった。
 お互い仕事が終わった後、カフェでのんびりしていた時のことだ。
「うーん、具体的にはあんまり考えていないけど…」
 自分でも歯切れの悪い返答だと思う。でも、仕方ない。現在二十六歳の私は結婚どころか男性とつきあった経験すらないのだ。なかなか自分の結婚をイメージすることは難しい。
「そう?私、トモくんとつきあう前から考えてたけどな。スーツが似合って、あんまり嘘をつかない、優しい人がいいな、とか」
 高校時代からのつきあいの莉子は昔から何にでも自分の考えがあるタイプだった。でもはっきりし過ぎるところがあって同級生の中心グループからはじき出されていた。そこから教室の隅にいた地味な私と話すようになった。私は、そのグループの子達とは違って莉子のはっきりしているところが好きだった。自分にはないものなのでたまに羨ましくなるくらいだ。
 最近の羨ましいポイントはトモ君というラブラブの彼氏ができたこと。私はそんなに恋愛に積極的ではないけれど、やはり彼氏がいるのはいいな、と思う。
「そうね。私も優しい人がいいかなあ」
 莉子はそうでしょ、と嬉しそうな顔をした。最近また可愛くなった気がする。ふわふわの巻き髪がよく似合ってる。私はショートボブで化粧も薄い。地味であることを自覚している。莉子を見ると羨ましくなるけどどこから真似すればいいのだろう。
 莉子は続けた。
「やっぱり生活を共にするんだから、何かと自分の言うことをきいてくれる人がいいわよ」
 ふうん、と相槌を打って、あれっと思った。
「莉子、ひょっとしてトモ君と結婚の話とか出てるの?」
 そう言うと莉子は少しだけ照れて小声になった。
「まあ……正式なプロポーズじゃないけど、ずっと一緒にいようね、とか」
 莉子は商社に勤めている。結婚退職したい、と言っていたからトモ君の言葉は嬉しかっただろう。
「わあ、よかったじゃない。おめでとう」
 莉子が声が大きいよ、と笑う。
「まあ、私もそうなればいいかな、と思ってたから……。でも私だけじゃなくて文香にも幸せになってほしいなって思ってこの話をしてるのよ。トモ君の友達、紹介しようか?」
 私は首を横に振った。
「ううん。いいの。なんていうか…まだお店のこともあるし。今じゃない気がするの」
 私は駅近くの商店街の中にある真珠専門店の一人娘だ。曾祖父が創業者で現在は父が経営している。 
 私が大学を卒業する年に母が病に倒れた。入退院を繰り返し、今も入院中だ。そのため、私が稼業である真珠専門店の手伝いをするのは当然の流れだった。母がしていた店番を私が代わりにすることになった。
 真珠の専門知識を勉強しながら店に立ち、三年が経つ。まだまだ完璧とは言えないが、常連のお客様と話し込むくらいのことはできるようになった。
 手の空いている時に、自分の今後のことを考えることはもちろんある。
 例えば私に彼氏ができて、結婚しようとなったら、この店はどうなるんだろう、と思う。
 私ははっきりと口に出したことはないけれど、ゆくゆくはこの店を継ぎたいのだ。父と母が地道に年を重ねてやってきたこの仕事を誇りに思っている。
 でも、そうすると結婚は?と考えるとそこで思考がストップしてしまう。結婚しても真珠店の仕事はできるだろうか。子供が生まれたら仕事を離れなくてはいけない。第一、仕事に理解のある旦那様じゃない可能性だってある。
 じゃあ、もっと根本的なところから考え直し、婿養子をとることにする。それなら私は真珠店の仕事を続けられそうだ。
 でも、私の婿養子になってくれるような男性が現れるだろうか?莉子のように華やかな美人ではない私に、そんな魅力があるとは到底思えない。
 こんな風に私が内気だからとか奥手だからという理由の他に、恋愛に前向きになれない理由があるのだった。
「文香が真珠屋さんのことを大事にしてるのは知ってるけど…恋愛もいい経験のひとつだと思うよ」
 莉子が私の目を見つめた。私は親友の心遣いが嬉しかった。
「ありがとう。当分は莉子の恋バナをたくさん聞かせて。それで十分よ」
「そう?まあ、恋って人が世話するものじゃないかもね。いつの間にか落ちている、それが恋だもんね。フォーリンラブよ」
 莉子が明るく笑った。
 フォーリンラブか、遠いな、と私は心の中で呟いた。

 その日の夜。私は父と商店街の外れにある老舗の洋食レストランに来ていた。誕生日や受験に合格した時など、お祝いの時にいつもこの店に家族で訪れていた。
 父は滅多に来ないんだから奮発しよう、とコース料理を頼んでくれた。確かに母が入院してから足が遠のいていた。母は毎日病院食なのに、私と父だけ美味しいものを食べるのは気が引ける。
「美味しいね。お母さん、元気になったら絶対また三人で来ようね」
 子供のころから馴染んだ味のチキンソテーやクラムチャウダーを堪能しながら私は言った。
「そうだな」
 父は、穏やかな目をして食事を進めていた。
 今日は父から話があるから、と誘われていた事を思い出す。コースがデザートで終わろうとした頃、私から切り出した。
「お父さん、今日の話って何?」
 父は、うんと呟いてコーヒーのカップをソーサーに置いた。
「実は、店をたたもうと思うんだ」
 え、と私は目を見開いた。
「店ってうちの真珠店のこと?」
 信じられなくて確認せずにはいられない。
「そうだ。すまん。言ってなかったが…今、店の経営状態はかなり悪い。そして私が原因なんだが投資詐欺にあった。投資で店の運転資金を何とか稼ごうとしたんだが、裏目に出た。借金だけ残っていて…店や家を売る必要が出てきた」
 淡々と話す父を呆然と見つめた。父は私に経営の相談をすることはなかったので、常連客さえ確保できていれば何とかなるのだろうと思っていた。
「経営状態が悪いのは、リリスモールができたから?」
 三年前に駅の近くにできた大型ショッピングモールの事を思った。確かに三年前から新規のお客様が来ることが、がくんと減った。リリスモールの影響力は大きく、この商店街でも小さな飲食店は閉店を余儀なくされた。悲しいけれど、シャッターの閉まった店があちこちにある。
「そうだな。リリスのせいで確かに店の売上が落ちた。リリスにはジュエリーブラッドが入っているからな」
 ジュエリーブラッド。ここ数年で全国に支店をふやしつつあるジュエリーショップのことだ。ジュエリーに縁がない若年層でも買えそうなプチジュエリーが充実しているだけでなく、富裕層も満足させられるオリジナルジュエリーもしっかり展開しているところが魅力だ。それに何と言ってもショッピングモールの中にあるというのが大きい。結婚式のパーティードレスを買った後にふらりと寄ってアクセサリーを買うことができる。
「いくらフォーマルアクセサリーとして必要だと言っても、真珠は真珠専門店で買わなきゃいけない、なんて言う人はもう少数派だろうな」
 父は静かに息を吐いた。経営者の三代目である父は、穏やかだが、悪く言えばおっとりしている。
 投資詐欺にも、たやすく引っかかってしまったのかもしれない。その点、祖父は商売人らしく、人を疑うことを厭わなかった。子供心におじいちゃんは怖いな、と思ったこともあった。祖父に守られて育った父は人が好すぎて経営には向いていなかったのだろう。
「…お父さん、店を閉めるのはいつ頃?」
 私は、手元のコーヒーカップを見つめた。父の顔は見れなかった。
「そうだな。半年後くらいだろうな。いろいろ後始末もあるしな」
「そう……」
 父はもう真珠店を経営していくことを放棄しているように見えた。
 私は、ずっとあの店に立ちたいと思っていた。ゆくゆくは仕入れも任せてもらってイベントを企画して集客を増やしたり。……いろんなことを思っていたけれど、それは夢物語だ、と突きつけられた気がした。
 コーヒーも飲み終えて父が会計をしに行った。私は真珠店をたたまなくてはいけないショックで頭がぼうっとしていた。
 外の空気が吸いたくて会計をしている父よりも先に店の外に出た。
 夜気がひんやりと冷たく心地よかった。
 本当に父が言うままに真珠店を閉めていいのだろうか。
 母の入院のことだってある。
 考えなくてはいけないことがたくさんありそうなのに、今はただただ呆然としてしまっている。
 ひゅっと風が吹いて前髪が乱れた。かきあげてなおそうとすると、不意に視線を感じる。
 顔をあげると数歩先に若い男が立っていた。こちらを見つめて口を開いた。
「お姉さん、一人?これから飲みに行かない?」
 つまらないナンパだ。私は首を振った。お父さん、早く来て、と心の中で願う。
「いいじゃない。行こうよ」
 男がさっと詰め寄り、私の手首をつかんだ。
「ちょっ、やめっ…」
 やめてください、と言いたいのに、うまく言葉にならない。
「ほら、いい店知ってるから」
 男は私に肩を抱き寄せ、ぐるりと方向転換させようとした。私は振り切りたいのに、男の肩をつかむ力が強い。
「よせ。嫌がってるだろう」
 低い声が響いた。顔をあげると、長身の一人の男性が立っていた。スーツを着ているように見える。
「なんだよ。じゃますんなよ、おっさん」
 ナンパ男がスーツの男性の横を通り過ぎようとする。
 次の瞬間、ナンパ男につかまれていた肩がふっと自由になった。スーツの男性がナンパ男の手をひねりあげて、突き飛ばした。
「いてえ、何すんだよ!」