ふと角を曲がった瞬間、空とすれ違った。



「お疲れ、帰り?」
と、ほんの少し笑みを含んだ挨拶。


『あ、うん…お疲れ』


素っ気なく返してしまった自分に、少し後悔が混じる。




空は笑顔のまま、まるで何事もなかったかのように廊下の向こうへ去っていく。


その背中を見送りながら、雫の胸は小さくざわついた。警戒心と、わずかな期待が混ざった複雑な感情だ。



……どうしてこんなに、胸がざわつくんだろう
雫は自分の心に問いかける。


きっと、あの海辺の記憶がまだ鮮明に残っているからだろう。


雨に濡れた髪、差し伸べてくれた優しい手の感触、そしてあの自然な笑顔。思い出すだけで、胸の奥が少し熱くなる。



帰り道、雫は傘をぎゅっと握りしめながら、無意識に空のことを思い描く。


知らないうちに、空の存在が少しずつ心に根を下ろしていた。


それでも、自分の気持ちを認めることはまだできない。
弱っていたときに優しくされた記憶が、ただ少し忘れられないだけ——。


雫はそう自分に言い聞かせた。