6年、彼は私を「桜ちゃん」と呼ぶ距離に置いた。〜曖昧な優しさからの脱却〜

​――桜 side――(22歳)
高校を卒業し、大学生活を経て就職して数ヶ月。
あれから5年間が過ぎた冬。

​駅前のカフェのガラス越しに、私は見覚えのあるコートの背中を見つけた。

​「…あの、遠野さん、ですか?」

​声をかけた瞬間、彼はゆっくりと椅子を回した。
5年前と変わらない、少し困ったような優しい笑顔。

​「……桜ちゃん?」

​遥斗さんの目が、驚きでわずかに見開かれる。

​「っ…!やっぱり、遥斗さんだった…」
(心の声:会いたかった…)

​静かなテーブルを挟んで、向き合う。
5年間という時間が、重い沈黙をもたらしていたが、その沈黙は決して不快なものではなかった。

​「まさか、ここで会えるなんてな。桜ちゃんがこんなに大人になってるのが信じられないよ」

​遥斗さんが静かに笑った。

​「遥斗さんは、何も変わらないですね。」
​「そうか?俺は色々変わったつもりだけどな。…桜ちゃんは、立派な社会人になったんだな」
​「はい。この数年、ずっと遥斗さんの引いた線を超えられるようになりたいって思ってました」

​その言葉は、軽い近況報告などではなかった。遠野さんは、一瞬で顔を曇らせたが、すぐに優しい笑顔に戻した。

​「……もう、随分話し込んだな。そろそろ、店を出るか。寒いし、どこか温かいところへ行かないか」

​遥斗さんがそう言って立ち上がり、私も立ち上がる。静かに会計を済ませ、カフェから出て、二人は夜の駅前を並んで歩き始めた。

​「…あの時、ちゃんと会って話していれば、こんなに遠回りしなくて済んだのかな」

​桜は思わずつぶやいた。
​並んで歩く道。歩きながら、指先が偶然触れた。その瞬間、遥斗さんの手が、静かに絡まるように、私の手を握った。

​「桜……ごめん。あのとき、ちゃんと向き合えなかった」

​気づけば、二人は駅前のホテルの前に立っていた。
遥斗さんの手が、絡めた手を強く握り締めた。

​「桜……もう、曖昧な優しさを捨てる。もう引き返せないぞ」

​大人の温度。切なくて、苦しい、溶けてしまいそうな、触れてはいけない温度。
​朝。夜明け前の、薄暗い部屋。
遥斗が、桜の髪を撫でながら、静かに言った。

​「……桜ちゃん、ごめん」

​その謝罪は、曖昧な関係を『捨てる』と言いながらも、未だ『未来』を差し出せない、彼自身の臆病さへの後悔だった。

​「わかってる……」

​コートを羽織る彼の背中を見送りながら、桜は静かに息を吐いた。
――きっと、もう一度離れる。
でも、もう、この想いを止めることはできない。高校生の頃の「憧れ」とは違う。
5年間、心の奥で燻り続けた**「真実の恋」**が、抑えきれずに再燃したのだ。