遠くても、近くても ─君を想う1ヶ月間─



 ――放課後。敦生先輩は、三島先輩から借りてきたバイクに私を乗せた。
 「連れていきたい場所がある」と言われ、到着した先は数々のお墓が立ち並んでいる墓苑だった。
 駐車場にバイクを停め、ヘルメットを下ろした。
 髪を整えて辺りを見渡すと、冷たい風が頬を撫でる。

「もしかして、綾梨さんのお墓……?」

 ヘルメットを渡すと、彼は小さく息を吐いて、コクンと頷いた。

「実は今日、初めて来たんだ」

 木枯らしが吹いて、足元に小さな渦を巻いた。
 私の心の中と同じように。

「うそっ……」

 胸の奥がキュッと縮まった。

「あいつが亡くなってから、辛くてずっと来れなかった――来なきゃいけなかったのにね」

 その声には、後悔と優しさが混じっていて、私は思わず息を呑んだ。
 彼は綾梨さんを思い浮かべるように、静かに軽くまぶたを伏せた。
 お墓の前に立つと、彼はしゃがんで線香に火をつけ、線香皿に置く。

「綾梨。来るのが遅くなってごめん。今日は大切な友達を連れてきたよ。……偽彼女って正直に言ったら、怒るかな」

 彼は両手を合わせて、綾梨さんとのひとときを過ごした。
 その背中に、私の気配が消されているような気がした。
 彼が戻ってきたので、私も線香をあげた。

「初めまして。水城里宇です。挨拶がこんな形でごめんなさい。敦生先輩とは仲良くさせてもらってます」

 頭を下げて、元の場所に戻った。
 線香の煙が揺れる。
 肩が並ぶと、彼は小さな声で呟いた。

「実は、里宇の好きな人と同じ日に亡くなった。あの日、綾梨は同じバスに乗ってたんだ」

 衝撃的な言葉に、私の心臓がドクンと音を立てた。

「うそ……」

 目の前が真っ白になった。
 亡くなっていたことは聞いていたけど、まさかあのバスに同乗していたなんて。
 どんよりとした曇り空が、私たちを包みこむ。

「どうして教えてくれなかったの? バス事故の話をしたときに、言ってくれればよかったのに」

 震えた声で聞くと、彼は右手で顔を覆った。

「言えるわけないだろ……。おまえの傷口、塞がってないのに」

 いまにも消えそうなくらいのかすれた声だった。
 胸が切り裂かれそうになる。

「もしかして、イヤホンを壊す前から、私のこと……知ってた?」

 事故当日、けが人は近くの救急病院に搬送された。
 私は自分のことで精一杯だったけど、多くの悲しみに包まれている雰囲気が頭の中に残っている。

「おまえが入学してきたとき、見たことがあるなって。病院で、ナースの腕を掴んで泣き叫んでいたのを覚えてた」

 言葉を失った。
 あの日の叫びが、耳の奥で蘇る。

「最初はその程度だった。でも、不器用に生きてるところを見ているうちに、気になっていた」

 ふっと和らいだ視線に、目が釘付けられた。
 車の走行音が、時おり私の心をざらつかせる。

「それまでは、綾梨の影を無意識に探していた。誰も俺の本心なんて見てくれなかったけどね」
「それが、しょっちゅう彼女を変えていた本当の理由?」

 鼻の奥がツンと痛くなったまま、彼を見上げた。

「彼女を変えたくて、変えてた訳じゃない――探していたんだ。俺を救い出してくれる人を」

 彼は目に影が宿ったまま、腕にかけている紙袋から一枚のマフラーを取り出して、私に巻いた――准平からもらったマフラーだ。
 震えた指先で軽く撫でると、縫い目に当たる。

「おまえなら俺を変えてくれると思った。あの日の偶然が、背中を押した。もう一度人を信じられたら、過去から抜け出せるような気がしていたし」

 片手でマフラーをぎゅっと握りしめた。
 ツギハギな縫い目が見えた瞬間、彼が苦労しながら縫い合わせている光景が、不思議と頭に浮かんだ。

「壊れたものを修復する方法、考えてた。おまえもイヤホンを壊したときに、どうすればいいか一生懸命考えてくれてたんだって気づいたよ」
「……っ」
「でも、壊れたものは元に戻らない。お詫びとして、できる限りのことをしてあげたかった」

 マフラーが切り裂かれたあの日、私は彼を見た瞬間に投げつけた。
 ファンからの仕業なんだと思って、彼を腹立たしく思っていた。
 自分が弱くて、吐き出す場所が必要だった――彼はなにも悪くないのに。

 気付いたときには、瞳から雫が溢れた。
 泣いちゃだめなのに――止まらなかった。
 冷たい風にさらされ、涙の筋が痛くなる。

「バカじゃないの……。こんなに下手くそな縫い目じゃ使えないのに」

 顎から滴った雫が、マフラーの上でコロンと転がり、小さく輝いた。

「それでも、世界でたった一つの宝物には変わりないから」

 もう、二度とこの首に巻かれることがないと思っていた。
 切り刻まれていたところは、新しい糸で丁寧につなぎ合わされている――まるで、私の過去といまのように。
 まさかこんな形で再会するなんて……ずるい。

 マフラーを両手で掴み上げて口元に当てた。
 ウールのふわふわな感触、嗅ぎ慣れた柔軟剤の香りが漂ってきて、息が詰まった。

「バカ……。もう、こんなんじゃ使えないよ……」

 彼の優しさが温もりとして伝わると、鼻をすするたびに胸の奥が痛んだ。
 もう二度と手放さないように、ぎゅっと握りしめた。

「ごめん。でも、どうしても手元に戻してあげたかった。あのままじゃ、おまえの笑顔、もう見れなくなると思ったから」

 敦生先輩も、イヤホンを壊されたときは同じ気持ちだったんだよね。
 なのに、私は弁償のことばかり。
 彼の気持ちなんて二の次だった。

「ありがとう……」

 出会った時は迷惑だなと思っていたけど、いまは違う。
 もしかしたら、私の方が彼に救われているかもしれない――。

 震えている手でマフラーを顔にうずめ、涙を零した。
 私はもう、未来へ進まなきゃいけない。