――12月8日、放課後。
里宇はジャージ姿で、マラソン大会に向け、校庭を走っている。
俺は教室の窓枠に手をかけ、その様子を見ていた。
部活の邪魔にならないように外周を走り、時おり汗を拭う様子に、ふっと口角が上がる。
「里宇ちゃん、すんげぇ本気じゃない? マジで50位以内を目指してるんだろうな」
三島は隣の窓を覗き込んで、俺と同じように眺める。
「そういうところが、他の女子と違うんだよね」
窓辺に揺らぐ風がやけに冷たい。
綾梨と別れてから、色んな人とつきあった。
多分、無意識のうちに綾梨の影を探していたんだと思う。
「ニューヨークへ行きの話、里宇ちゃんに話したの?」
三島はそう言って俺を見た。
俺は静かに首を振り、目を細める。
「俺らは1ヶ月の契約だから」
期限つきの恋人関係。
そこに、情を挟んでいいのかわからない。
教室内のざわめき声が、胸の奥をざらつかせた。
三島は俺の肩に手を乗せて、顔を近づける。
「おまえのためにゴミ袋をあさる女なんて、いままで何人いた?」
「……」
「ちゃんと話した方がいいよ。信じているんだったらね」
肩をポンっと叩き、離れていった。
どうせ会えなくなるなら、言う必要なんてないと思っていた。
それでも、ふとした瞬間に里宇の顔が思い浮かぶ。
綾梨と一緒にいたときのように。
ポケットのイヤホンを握りしめ、胸の奥のざわめきを押しこめ、教室を出た。
校庭に向かい、外周から戻ってきた里宇の前に立った。
彼女は息をきらし、肩を揺らしながら、俺の前で足を止める。
「練習までしているなんて、バカバカしいと思ってるんでしょ」
「いや、普通に応援しに来たんだけど? 頑張ってるな~って」
俺は涼しい顔で腕を組んだ。
相変わらず尖ってるな、なんて思いながら。
「じゃあ、邪魔しないで。あんたと関わると、ロクなことが起きないんだから」
彼女はプイッと顔を背けて走り始めた。
俺は後を追い、距離を縮め、その隣を走る。
「そんなこと言わないでさ。50位以内にゴールできるように手伝うよ」
「無駄な遠回りをするくらいなら、さっさと別れてよ」
減らず口を叩いていても、彼女のことはもうわかっている――目標は、変えたくない。
彼女はむくれた表情で、足を止めた。
「走り方を教えてあげようと思ってね。中学んとき、陸上部だったんだから」
「もしそうだとしても、余計なお世話。放っておいてよ」
「まぁ、その走り方じゃ50位以内は厳しいだろうね」
俺は腕を組み、ハハッと笑う。
「コツを教えるから、一緒に走って50位以内目指そう」
「あんたに言われなくても、一人で頑張るし!」
”頑張る”と言う言葉に、負けず嫌いの一面が映し出された。
「相変わらず可愛げがないね。とりあえず、3周走ってからアドバイスするよ」
「そんなの、いい! 自分でなんとかできるし」
彼女は文句を言いながらも、再び走った。
ほんと、不器用だなって思う。
しかし、そんな言動とは対称的に、2周ちょっと周っただけで、息切れが激しくなっている。
同時にペースが落ちて、隣から消えた。
「もうダウン?」
振り返ると、彼女は「まだまだ、これから!」と気合を見せた。
が、次の瞬間、シャーッと滑って、あっという間に砂利の煙に巻かれる。
俺は足を止め、彼女の元へ向かった。
「おい、大丈夫かよ」
「いてて……、大丈夫」
彼女はゆっくり立ち上がろうとすると、左側によろけた。
顔を歪め、指先で足首を触る。
どうやら足首をひねったらしい。
「背中に乗って。保健室連れて行くから」
俺は彼女の前でしゃがんで、おんぶの姿勢に。
彼女はなんとか体制を整えるが、足をふらつかせたまま、首を振った。
「はぁ? 無理に決まってる!」
足を下ろそうとしていたが、地面に着いても力が入らない様子。
立ちたい気持ちと、動かない足のギャップが痛々しい。
「仕方ねぇな」
彼女の前へ行き、左手を俺の背中に滑らせて、彼女をおんぶした。
体にズシッと重みが増し、軽く体勢を整え、彼女の足を両手で固定した。
二、三歩あるくと、校舎の窓の方から、女子たちのキャアという悲鳴が耳に入った。
「バカバカ、おろしてよ! みんなが見てるし」
彼女は俺の背中で両手足を動かし、ジタバタする。
でも、そんなのお構いなしに、俺は足を進めた。
「保健室に着くまでだから、暴れないで」
「無理! こんなことされたら、女子にまた嫌がらせされる」
「そのときは……守るよ。今度こそ」
彼女から、ただ与えてもらうのを待ってるだけじゃダメだ。
残りの時間は、後悔したくない。
「なによ、バカ……。いい人ぶっても、別れたいことに変わりないからね」
「それはそれ。これはこれ。ってか、……案外重いな」
「うるさい! いまダイエット中なの! 嫌なら下ろしてよ」
彼女は恥ずかしさを隠したいのか、俺の背中をドンドン叩く。
でもぶら下がっている足は、しっかりと俺の腕に預けている。
「50位以内、目指すんだろ。だったら、大人しく背中に乗ってな」
「……っ」
次第にひそひそ声が増え、視線が俺たちに集中した。
でもそれが、恥ずかしいとは思わない。
こんなに生意気な彼女でも、身も心もあったかいから。
――最近、こんな時間が楽しい。
自分らしくいられるし、つい目が彼女を追ってしまう。
雲の隙間から差し込む太陽が、俺たちの影を一つにした。
彼女に出会うまでは、影に目もくれなかったのに。
いまは一つの大きな影を、温かい目で見ていたい。



