遠くても、近くても ─君を想う1ヶ月間─



 ――活気あふれる声に包まれた廊下を歩き、教室へ戻っていると、後ろからポンっと肩を叩かれた。
 振り返ると、そこには三島先輩がいる。

「よっ、里宇ちゃん」
「あっ、ども」

 明るい三島先輩とは対照的に、暗い表情で返事をした。

「元気なさそうだけど、大丈夫?」

 彼は心配そうに顔を覗き込んできた。
 その優しさが、胸に沁みた。

「……ちょっと、色々あって」
「よければ話、聞くよ。力にはなれないかもしれないけど」

 その声に、心の奥でずっと抑えていたものが一気にほぐれた。

 私たちは校庭の前のベンチに移動した。
 目の前でサッカーをしている生徒たちの声を浴びたまま、マフラーの件を伝えた。
 もう二度とマフラーが巻けないし、敦生先輩に投げ捨てたまま行方不明に。
 思い出すだけで、指先が震える。

 三島先輩は軽くのけぞり、ふっとため息をついた。

「そっか。じゃあ、里宇ちゃんもいま敦生と同じ心境……ってことか」
「どういうこと?」

 私は丸い目を向けた。
 二人の間に冷たい風がそよぐ。

「実はさ……口止めされてたけど、敦生のイヤホン、亡くなった彼女からもらったものなんだよね」
「えっ!」
「初めてのバイト代で、プレゼントし合ったんだってさ。あのときは惚気てたから、いまでもはっきり覚えてる」

 一瞬、時が止まったかのように周りの音が消えた。

 ――亡くなった、彼女?
 そんなの、聞いてない。
 心臓がひときわ強く打った。

「……敦生先輩の彼女、亡くなってたんだ」

 声が震えた。
 一瞬、敦生先輩が自分の姿と重なり、胸がぎゅっと締めつけられる。
 三島先輩はこくんと頷いた。

「あいつ、彼女の綾梨さんに一途だったよ。イヤホンにこだわってるのは、そういう意味ってこと」

 綾梨さん――どこかで聞いたような名前。
 そうだ、繭花さんのお姉さんで。敦生先輩の好きな人。
 すべての点が、一本の線に繋がってしまった。

「私、そんなことも知らずに、綾梨さんの名前に触れてた。酷い……よね」

 綾梨さんが好きなら、私と契約解消して、彼女にすればいいって。
 でもそれを『できない』って言ったのは、こういう意味だったんだね。

「あっ、あれっ? 里宇ちゃん、綾梨さんのこと知ってたんだ」

 三島先輩は、大きく目を見開いた。

「ちょっと知る機会があって。でも、イヤホンのことや、亡くなっていたことは知らなかったの」

 目頭がじわじわと熱くなり、感情の波に溺れた。

「じゃあ、気にすることはないよ。それに、里宇ちゃんだって、偽彼女になってくれてるんだし、少しは理解できると思う」

 冷たい風が髪を撫で、胸の奥に静かに染み込んでいくようだった。

 イヤホンのことを思い出すと、いまでも胸が熱くなる。
 あのイヤホンは、綾梨さんへの想い。
 どんなときでも傍にいたいという気持ちが、いまならわかる。
 喉の奥がギュッと詰まった。

「綾梨さんはボーカルやっててさ。敦生はよく歌を聴いてたんだよね」

 彼はふっと笑う。

「あいつにとってイヤホンは、綾梨さんとの思い出そのものかもしれない」

 まるで幸せだった頃の敦生先輩を眺めるように、空を見上げていた。
 校舎から響いているざわめき声が、心と重なり合う。
 敦生先輩は、イヤホンが綾梨さんからのプレゼントだったってことを、どうして言わなかったんだろう。

「三島先輩は、どうしてそれを伝えようと思ったの?」
「里宇ちゃんなら、あいつの気持ちをわかってくれるんじゃないかと思ってね」
「えっ」
「俺じゃ力不足みたいだし、あいつ自身も里宇ちゃんを信じようとしているから」

 三島先輩は立ち上がって、「じゃ、そろそろ俺行くわ」と言って場を離れた。
 遠くから聞こえているサッカーをしている生徒たちの笑い声が、胸の中のざわめきをかき消すように響いた。

 視界がぼやけたまま、スカートの上で拳を握った。

 私、バカみたい……。
 イヤホンを壊したとき、敦生先輩はなにも言わなかったのに、自分はひどい言い方で責めてしまった。
 知らなかったとはいえ、弁償すればいい……ただそれだけを考えていたから。

 このままじゃだめ。
 後悔しないように謝ろう。


 ブレザーのポケットからスマホを出した。
 震えている手でLINEを開くが、一瞬でイヤホンの件がよぎる。
 指がその先に進まない。

 でも、話し合わなければ、私たちはすれ違ったまま――。
 ため息を落とし、指先に力を込めた。
 心の中で”ごめんなさい”と呟きながら、敦生先輩にLINEを送った。
 スマホをそっと胸に抱え、空を見上げた。