「呪いではなく、特性です」ーーASD氷帝の孤独を癒やしたら、自由区の女王への溺愛が止まらないーー

■ カイゼル視点 ■

 カイゼルは、目の前の報告書から、視線を上げた。
 疲れているのだろう……リリアンが、執務机に突っ伏したまま、眠りに落ちていた。
 普段は「総監」という鎧を纏い、完璧に『システム』を回すリリアンの、無防備な寝顔。 規則正しい寝息が、カイゼルの特性である、鋭敏すぎる聴覚に、なぜか、心地よく響く。
 この音だけが、カイゼルの脳内の、膨大な情報の奔流を、唯一、凪がせてくれる。

――その時だった。

「……や……いや……」
 リリアンの眉根が寄せられ、苦痛に歪んだ。
「……ちち、うえ……すてない、で……」

 ――悪夢か。 カイゼルは、即座に椅子を立った。
 リリアンのうなされる声。呼吸数の急激な上昇。
 リリアンは、今、苦痛を感じている。 それは、カイゼルにとって、許容できない事態だ。

 カイゼルの脳内ライブラリが、瞬時に、該当データを検索する。
『リリアン・アークライト……本名、クレア・エヴァンス。父は、公爵の……トーマ・エヴァンス。氷槍のような戦闘スキルを期待される家柄、か』
 皮肉にも、リリアンはもともと、カイゼルの結婚相手ともなり得る家柄の出身だった。
 運命など信じるカイゼルではないが、二人の人生がどのような道筋を辿るにせよ、必ずリリアンとは出会っていた気さえする。
『11年前、最弱スキルの発現により、実父の手で辺境に追放』
 スキルを知られることは、その人物の弱みにもなりかねない。有力貴族の場合は、その家に伝わるスキルが家名を高めるから、あえて喧伝するケースもあるが……平民の場合は、隠すのが普通だ。
 リリアンも、賢くそのスキルを隠していたようで、帝国の諜報部でさえ、リリアンのスキルは掴めなかった。しかし、おそらく『土いじり』程度の役に立たないスキルだろうと、見当はついた。

 大したスキルも持たず、たった一人で、絶望の淵から這い上がった少女。
 カイゼルが10年かけて、帝国を立て直したように。
 リリアンは10年かけて、荒れ地を緑に変えた。
(貴方と俺は……同士だ。他の誰も、俺を理解できない)

 カイゼルは、リリアンの細い手首に、右手で触れる。
(……速い。脈拍数、平常時より32%上昇)
「……っ」
 リリアンが、カイゼルの指の冷たさに、驚いたように、薄らと目を開けた。
  潤んだ翡翠の瞳が、焦点を結ばないまま、カイゼルを捉える。
「……へい、か……?」
「……魘されていたが、夢だ。現実ではない」
 リリアンはぼうっとしている。脈拍は、むしろ速くなっていく。

(どうすればいい? リリアンの苦痛を取り除くための、最適解は? ……ああ、そうか。 俺は、リリアンが俺にしてくれたことを、模倣すればいい。 俺の『呪い』を『力』だと、肯定してくれたように)
 カイゼルは、ぎこちなく、左手を伸ばした。 そして、その小さな頭に、掌を置いた。
「……リリアン」
 カイゼルの声は、震えていなかっただろうか。
「貴方は、よくやった。……ずっと守られていたであろう貴族令嬢が、誰にも頼れず、たった一人で、ここまで……。よく、頑張ってきたな」

 リリアンの瞳が、大きく、見開かれた。
 驚愕と、安堵。 リリアンは何も言わず、ただ、カイゼルの手を乗せられたまま、静かに一筋、涙をこぼした。
 指先で涙を拭ってやると、リリアンは安心したように、ふわりと笑った。思わず、涙を溜めた目元に、口づけると、リリアンが固まった。
 絶対に泣かせたくない相手なのに、こんな涙なら、もう一度見たいと思った。