ヤツは来年五十になるけど、顔は年齢を感じさせない若々しさがある。
見た感じ四十前半だ。髪は染めていない。ジェルで固めているから光って白髪が目立ちにくい。さらに肌艶がよく、ジムで鍛えているから引き締まっていてスリムだ。本人曰く、肉食でエネルギーが漲っているとのことだけど、確かに私の知る限り、この男はこの年齢にして連日でも平気でガッツリ肉を食べる習慣だった。
若く見えるのはそれだけではない。服飾デザイン会社の社長だけあって、身だしなみや服のセンスがよかった。今もノーネクで第一ボタンを外しているという砕けた格好なのに、その崩し方が絶妙で、派手な色と地味な色の重ね具合も洒落ている。
だからカッコイイ。認めたくないけど。
「そーなのぉ? うそぉ~ん」
ヤツは椅子に深く凭れかかり、タバコを銜えて火をつけた。
「当たり前だ。クソ親父が四十七の時に二十歳の娘に産ませた腹違いの妹だなんて言えるかよ。恥ずかしくて顔を上げて歩けねぇ」
そうなのよ。愛人だとかなんとか囁かれているけど、実際は腹違いの兄妹だ。
私は二十二歳年の離れた兄をぼんやり眺めた。この男が兄だと知ったのは八つの時。祖母に手を引かれ、香田家に行って、兄だと教わった。
〝父親〟って言われたら嫌ったと思う。でも〝兄〟と言われて、〝かっこいいお兄ちゃんができた〟って思ったんだろう。でもその〝かっこいいお兄ちゃん〟は成長とともに〝イケてる男〟なってしまった。
思春期を迎えた私は、ヤツにすっかり落ちていた。誰にも言えないけど。
「好きにするさ。お前の母親がクソ親父の犠牲になったのは事実だし、言われなかったことをいいことに、知らないまま死んだってのも愚かすぎる事実だ。お前の祖母《ばあ》さんが病気になったって言いに来なかったら、俺もお前の存在を知らなかった。おふくろは歯ぎしりしてたけどな。けどよ、一ケタのチビが路頭に迷った挙げ句、死んだなんてことになったら、お前、俺たちは極悪人扱いだぜ。俺とお前を繋いでいるのは、義務感と、罪悪感だ。いや、人間としての良心かな。お前はそれを利用しろ。それでいい」
畳みかけるように言うヤツに対し、私は呆れて言葉がなかった。
この男はこんな言い方をするけど、本妻が激怒する横で、今まで何不自由なく暮らせるように取り計らってくれていた。デザイナーになりたい私のために学校に行かせてくれ、また会社にも入れてくれた。どんな男かよくわかっていたし、恩と信頼を感じていることは間違いのない事実だ。
その想いは行き過ぎちゃって、惚れちゃったんだけど。
「いい仕事をしろ。恩返しは後にも先にもそれだけだ。お前だって成人した以上、義務で保障されるより、実力で稼ぐほうがいいだろう?」
「うん」
「お前の才能は認めている。早く、その、なんとかっていうイメージを形にしてくれ。俺は見込んでいるんだ。マスコミは金とコネで動かせるが、消費者はそうはいかない。売れてるのはお前の実力だ」
私は頷いた。
「あ、それから、紗英。お前、もう二十七だろ? 早く男作って結婚しろ」
「は?」
「じゃなきゃ、俺も安心できない。っていうか、娘共が控えてんだ。後がつかえてんだから、さっさと片づいてくれ」
娘たちはまだ中学生だろう――そのツッコミを私はのみ込んだ。
智恵《ちえ》ちゃんと知佳《ちか》ちゃん。青春真っ盛りの中学生。私がお祖父さんの愛人の娘だと聞いても動じず、仲間扱いでやいのやいのと騒ぐ仲だった。なにかと口うるさい母親は煙たく、一人我が道を行く私が〝孤高の女〟みたいに見えるとか言って懐いてくれている年頃の女の子たち。
「愛人説が流れてるのに男なんかできるわけがないじゃない」
私の嫌味に、ヤツはまたしても声を立てて笑った。
「広報担当の榛原がお前のことを気に入ってるそうだ。くっつけって言っておいた」
その名を聞いて、ドキリと心臓が打つ。
「榛原君ってさ、年下じゃん。ありえない~」
「年は関係ないだろ? 榛原は才能がある。あいつは空気を読むのがうまい。営業に向いている。将来、独立した時、いいパートナーになるだろう」
「独立って」
「するだろ? お前のこったから。だから榛原はいい人材だ。お前にやるから頑張れ」
「……バカみたい」
私はあかんべーをして立ち上がった。
「本気だ」
「…………」
ヤツの目は真剣だった。
「俺もあいつも本気だ。どうにも好きになれないなら仕方ねぇが、そうじゃないならつきあってみろ。人には添うて見よ馬には乗って見よ、って言うもんだ」
「それ、命令?」
「半分半分。俺は早くお前に最善のパートナーを見つけてほしいんだ。けどよ、誰でもいいってわけじゃない。お前は妹で、ウチの大事なデザイナーだ。成功してもらわなきゃ困る。俺は人を見るのが仕事だ。俺のお眼鏡にかなったヤローじゃねぇと許さない」
「……親みたいな言い草」
「似たようなモンだろ?」
これ以上、聞いてられない。
血が繋がってることを思い知らせないでほしい。
私は軽く手を挙げて社長室を後にした。扉を閉めると、深く長いため息をつく。
バタンって音が、兄妹なんだからあきらめろって言ってる気がする。
バカ。そう簡単にいかないのよ。
私の中にイイ男が住みついちゃってるんだから。
そのイイ男を追い出さない限り、どうにもできないっての。
社長室の扉を思い切り睨みつけた。
なんで半分血が繋がってるんだろう。
世の中は無情だな。
でも、血が繋がってなかったら、このイイ男には出会えなかったんだけどさ。
見た感じ四十前半だ。髪は染めていない。ジェルで固めているから光って白髪が目立ちにくい。さらに肌艶がよく、ジムで鍛えているから引き締まっていてスリムだ。本人曰く、肉食でエネルギーが漲っているとのことだけど、確かに私の知る限り、この男はこの年齢にして連日でも平気でガッツリ肉を食べる習慣だった。
若く見えるのはそれだけではない。服飾デザイン会社の社長だけあって、身だしなみや服のセンスがよかった。今もノーネクで第一ボタンを外しているという砕けた格好なのに、その崩し方が絶妙で、派手な色と地味な色の重ね具合も洒落ている。
だからカッコイイ。認めたくないけど。
「そーなのぉ? うそぉ~ん」
ヤツは椅子に深く凭れかかり、タバコを銜えて火をつけた。
「当たり前だ。クソ親父が四十七の時に二十歳の娘に産ませた腹違いの妹だなんて言えるかよ。恥ずかしくて顔を上げて歩けねぇ」
そうなのよ。愛人だとかなんとか囁かれているけど、実際は腹違いの兄妹だ。
私は二十二歳年の離れた兄をぼんやり眺めた。この男が兄だと知ったのは八つの時。祖母に手を引かれ、香田家に行って、兄だと教わった。
〝父親〟って言われたら嫌ったと思う。でも〝兄〟と言われて、〝かっこいいお兄ちゃんができた〟って思ったんだろう。でもその〝かっこいいお兄ちゃん〟は成長とともに〝イケてる男〟なってしまった。
思春期を迎えた私は、ヤツにすっかり落ちていた。誰にも言えないけど。
「好きにするさ。お前の母親がクソ親父の犠牲になったのは事実だし、言われなかったことをいいことに、知らないまま死んだってのも愚かすぎる事実だ。お前の祖母《ばあ》さんが病気になったって言いに来なかったら、俺もお前の存在を知らなかった。おふくろは歯ぎしりしてたけどな。けどよ、一ケタのチビが路頭に迷った挙げ句、死んだなんてことになったら、お前、俺たちは極悪人扱いだぜ。俺とお前を繋いでいるのは、義務感と、罪悪感だ。いや、人間としての良心かな。お前はそれを利用しろ。それでいい」
畳みかけるように言うヤツに対し、私は呆れて言葉がなかった。
この男はこんな言い方をするけど、本妻が激怒する横で、今まで何不自由なく暮らせるように取り計らってくれていた。デザイナーになりたい私のために学校に行かせてくれ、また会社にも入れてくれた。どんな男かよくわかっていたし、恩と信頼を感じていることは間違いのない事実だ。
その想いは行き過ぎちゃって、惚れちゃったんだけど。
「いい仕事をしろ。恩返しは後にも先にもそれだけだ。お前だって成人した以上、義務で保障されるより、実力で稼ぐほうがいいだろう?」
「うん」
「お前の才能は認めている。早く、その、なんとかっていうイメージを形にしてくれ。俺は見込んでいるんだ。マスコミは金とコネで動かせるが、消費者はそうはいかない。売れてるのはお前の実力だ」
私は頷いた。
「あ、それから、紗英。お前、もう二十七だろ? 早く男作って結婚しろ」
「は?」
「じゃなきゃ、俺も安心できない。っていうか、娘共が控えてんだ。後がつかえてんだから、さっさと片づいてくれ」
娘たちはまだ中学生だろう――そのツッコミを私はのみ込んだ。
智恵《ちえ》ちゃんと知佳《ちか》ちゃん。青春真っ盛りの中学生。私がお祖父さんの愛人の娘だと聞いても動じず、仲間扱いでやいのやいのと騒ぐ仲だった。なにかと口うるさい母親は煙たく、一人我が道を行く私が〝孤高の女〟みたいに見えるとか言って懐いてくれている年頃の女の子たち。
「愛人説が流れてるのに男なんかできるわけがないじゃない」
私の嫌味に、ヤツはまたしても声を立てて笑った。
「広報担当の榛原がお前のことを気に入ってるそうだ。くっつけって言っておいた」
その名を聞いて、ドキリと心臓が打つ。
「榛原君ってさ、年下じゃん。ありえない~」
「年は関係ないだろ? 榛原は才能がある。あいつは空気を読むのがうまい。営業に向いている。将来、独立した時、いいパートナーになるだろう」
「独立って」
「するだろ? お前のこったから。だから榛原はいい人材だ。お前にやるから頑張れ」
「……バカみたい」
私はあかんべーをして立ち上がった。
「本気だ」
「…………」
ヤツの目は真剣だった。
「俺もあいつも本気だ。どうにも好きになれないなら仕方ねぇが、そうじゃないならつきあってみろ。人には添うて見よ馬には乗って見よ、って言うもんだ」
「それ、命令?」
「半分半分。俺は早くお前に最善のパートナーを見つけてほしいんだ。けどよ、誰でもいいってわけじゃない。お前は妹で、ウチの大事なデザイナーだ。成功してもらわなきゃ困る。俺は人を見るのが仕事だ。俺のお眼鏡にかなったヤローじゃねぇと許さない」
「……親みたいな言い草」
「似たようなモンだろ?」
これ以上、聞いてられない。
血が繋がってることを思い知らせないでほしい。
私は軽く手を挙げて社長室を後にした。扉を閉めると、深く長いため息をつく。
バタンって音が、兄妹なんだからあきらめろって言ってる気がする。
バカ。そう簡単にいかないのよ。
私の中にイイ男が住みついちゃってるんだから。
そのイイ男を追い出さない限り、どうにもできないっての。
社長室の扉を思い切り睨みつけた。
なんで半分血が繋がってるんだろう。
世の中は無情だな。
でも、血が繋がってなかったら、このイイ男には出会えなかったんだけどさ。



