「心は生きてるから、ゆっくり自然に任せたらいいよ。俺は気長に待ってるし、紗英だってながーく至れり尽くせりされたいだろ?」
「至れり尽くせり期間が終わったらどうなるの?」
「そりゃあ、紗英が俺に、至れり尽くせりするんじゃない?」
そっか。時間をかけて榛原君のことを好きになって、至れり尽くせりしたくなるってことか。
「それも一興ね」
気持ちが落ち着いて、視線を周囲に巡らせる。最後に満開の藤の花へと戻った。
おばあちゃんと見た藤の花が一番好きだ。
桜もバラも、チューリップも梅も、ひまわりも椿も、花は全部好きだけど、藤の花が好きだ。
おばあちゃんと手をつないで、会ったことのないお母さんを想って……
藤の花に、私の気持ちの全部がのっかっているからなのかな。
会ったこともないお母さんとか、あんまりよく覚えていないおじちゃんとか、大事にしてくれたおばあちゃんとか。
ん?
それって……
「あ」
なんか、来た。
「紗英?」
「私、花が好きなんだけど」
「うん?」
「いつも、なんでこんなに花が好きなんだろうと思っていたんだけど」
「うん」
「花の麗しさを見ながら、想いを重ねていたんだ」
「想い?」
「思い出、想像、楽しかったこととか、こうだったらいいなぁとか。その花その花が持つ美しさに自分の期待を乗せてた」
「夢じゃなく、期待なのか?」
「うん。期待」
榛原君の指先が迫ってきて、目元に触れた。
指先が私に涙を教えてくれる。そう思ったら、わっとこみ上げてきた。
「俺、やっぱり紗英が好きだな」
「榛原君?」
「綺麗だから。やっとこ形になりそうなイメージ、ちゃんと企画して実現してくれよ。俺、しっかりサポートして大々的に宣伝するから。絶対」
「ありがとう。頼りにしてる」
泣いてる自分が情けない気もするけど、自分をしっかり保ちながら、でも榛原君に寄りかかっていこう。そしたらきっとうまくいく。
「社長に言ってくる」
優しいまなざしにほろっとくる。
「閃きかけてること、伝えてくる」
「うん。ついでに、仲直りも」
「そだね。ついでに」
立ち上がり、二人で会社に戻る。
あれ、こんなに近いところだったんだ?
必死に走ってきたけど、かなり会社の近くだったことがわかって、滑稽で笑えてきた。
エントランスで榛原君が立ち止まった。
「ここで待ってる」
言いつつ、私の後頭部に手をやり、動けなくしてから額にチュッとキスをした。
「切り火もどき」
「それはまた威力がありそうな。ありがとう。行ってくる」
榛原君に見守られながらエレベーターのボタンを押し、それから乗って、会社が入っているフロアに向かう。到着して、エレベーターから降りて、気合いを入れる。
頑張れ、私。
一歩、一歩、自分の中にある感情を把握していく。
榛原君が支えてくれてる。
大丈夫。寂しくもないし、不安もない。
大事なこと、ちゃんと言える。
社長室の明かりはまだついている。私は大きく深呼吸をしてから扉をノックした。
「誰?」
「私。入る」
OKの返事を待たずに扉を開けるのはいつものこと。それから重厚な執務机の前まで大股で歩き寄り、ヤツ、いや、社長、いや、お兄ちゃんの顔をじっと睨んだ。
「さっきの暴言は許せないけど、今はいい。ずっと私の中にあったモノが形になりそうなので、今回の企画、頑張りたい」
「ダメだ」
「……は?」
「ダメだ、それは次だ」
次?
「俺は気の毒な異母きょうだいに同情してここに置いてるわけじゃない。お前が描くモノを見込んでいる。硬い殻の中にあったタマゴの中身がようやく雛になって、外に出ようとしている。それを焦って外部から壊したら、中の雛は死ぬ。出てくるまで待つ」
「でも、日が迫ってるんだよ?」
「今回の企画は、今回に合わせて作り出せ」
「…………」
「お前のもやっとしていたモノは、金と時間をかけて大々的にやる。なんか文句あるか?」
ない。
でも、言いたくないな、この言葉。この状況では。
「わかった。じゃあ、そうする。それから、私、実は香田将正のこと、ずっと、なんで血が繋がってるんだろう思ってきた。でも、人を見る目はあるんだな、この人、とも思ってた。今回、やっぱり、そうなんだって思った」
「なんの話だ?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔してる。それを見たら、ふふふっと笑いがこみ上げてきた。
「榛原君とつきあうことにした。だから、これからはちゃんと〝お兄ちゃん〟だからさ。もう私の心配はしなくていい」
「…………」
「じゃ、お兄ちゃん、お先に」
くるりと身を翻して戸口に向かい、取っ手を掴んで捻った。
「社長だろ」
飛んできた言葉に顔を向けて手を挙げる。
「お疲れ様です、社長」
そう言って扉を閉めた。
誰もいない廊下を歩き、エレベーターに乗って、一階へ。
エントランスで榛原君が待ってくれている。
「お待たせ」
「待ちくたびれたよ」
「そだね。じゃ、行こっか」
意味深に笑うと、榛原君も微笑み返してきた。
「アッチ《・・・》の意味で取っていいのかな」
「いいよ」
「じゃあ、今のは俺のセリフだから、これからは俺に言わせて」
「了解。ところで、頑張る前に腹ごしらえしない? お腹すいた」
「じゃ、ラーメンでも」
「いいね」
寄り添って、夜の喧騒の中を歩く。
生きてるといろいろある。これからもいろいろ起こる。
私は今日から、この人に酔いながら生きる。
そうしていろんなことを形にしていくんだ。
終
「至れり尽くせり期間が終わったらどうなるの?」
「そりゃあ、紗英が俺に、至れり尽くせりするんじゃない?」
そっか。時間をかけて榛原君のことを好きになって、至れり尽くせりしたくなるってことか。
「それも一興ね」
気持ちが落ち着いて、視線を周囲に巡らせる。最後に満開の藤の花へと戻った。
おばあちゃんと見た藤の花が一番好きだ。
桜もバラも、チューリップも梅も、ひまわりも椿も、花は全部好きだけど、藤の花が好きだ。
おばあちゃんと手をつないで、会ったことのないお母さんを想って……
藤の花に、私の気持ちの全部がのっかっているからなのかな。
会ったこともないお母さんとか、あんまりよく覚えていないおじちゃんとか、大事にしてくれたおばあちゃんとか。
ん?
それって……
「あ」
なんか、来た。
「紗英?」
「私、花が好きなんだけど」
「うん?」
「いつも、なんでこんなに花が好きなんだろうと思っていたんだけど」
「うん」
「花の麗しさを見ながら、想いを重ねていたんだ」
「想い?」
「思い出、想像、楽しかったこととか、こうだったらいいなぁとか。その花その花が持つ美しさに自分の期待を乗せてた」
「夢じゃなく、期待なのか?」
「うん。期待」
榛原君の指先が迫ってきて、目元に触れた。
指先が私に涙を教えてくれる。そう思ったら、わっとこみ上げてきた。
「俺、やっぱり紗英が好きだな」
「榛原君?」
「綺麗だから。やっとこ形になりそうなイメージ、ちゃんと企画して実現してくれよ。俺、しっかりサポートして大々的に宣伝するから。絶対」
「ありがとう。頼りにしてる」
泣いてる自分が情けない気もするけど、自分をしっかり保ちながら、でも榛原君に寄りかかっていこう。そしたらきっとうまくいく。
「社長に言ってくる」
優しいまなざしにほろっとくる。
「閃きかけてること、伝えてくる」
「うん。ついでに、仲直りも」
「そだね。ついでに」
立ち上がり、二人で会社に戻る。
あれ、こんなに近いところだったんだ?
必死に走ってきたけど、かなり会社の近くだったことがわかって、滑稽で笑えてきた。
エントランスで榛原君が立ち止まった。
「ここで待ってる」
言いつつ、私の後頭部に手をやり、動けなくしてから額にチュッとキスをした。
「切り火もどき」
「それはまた威力がありそうな。ありがとう。行ってくる」
榛原君に見守られながらエレベーターのボタンを押し、それから乗って、会社が入っているフロアに向かう。到着して、エレベーターから降りて、気合いを入れる。
頑張れ、私。
一歩、一歩、自分の中にある感情を把握していく。
榛原君が支えてくれてる。
大丈夫。寂しくもないし、不安もない。
大事なこと、ちゃんと言える。
社長室の明かりはまだついている。私は大きく深呼吸をしてから扉をノックした。
「誰?」
「私。入る」
OKの返事を待たずに扉を開けるのはいつものこと。それから重厚な執務机の前まで大股で歩き寄り、ヤツ、いや、社長、いや、お兄ちゃんの顔をじっと睨んだ。
「さっきの暴言は許せないけど、今はいい。ずっと私の中にあったモノが形になりそうなので、今回の企画、頑張りたい」
「ダメだ」
「……は?」
「ダメだ、それは次だ」
次?
「俺は気の毒な異母きょうだいに同情してここに置いてるわけじゃない。お前が描くモノを見込んでいる。硬い殻の中にあったタマゴの中身がようやく雛になって、外に出ようとしている。それを焦って外部から壊したら、中の雛は死ぬ。出てくるまで待つ」
「でも、日が迫ってるんだよ?」
「今回の企画は、今回に合わせて作り出せ」
「…………」
「お前のもやっとしていたモノは、金と時間をかけて大々的にやる。なんか文句あるか?」
ない。
でも、言いたくないな、この言葉。この状況では。
「わかった。じゃあ、そうする。それから、私、実は香田将正のこと、ずっと、なんで血が繋がってるんだろう思ってきた。でも、人を見る目はあるんだな、この人、とも思ってた。今回、やっぱり、そうなんだって思った」
「なんの話だ?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔してる。それを見たら、ふふふっと笑いがこみ上げてきた。
「榛原君とつきあうことにした。だから、これからはちゃんと〝お兄ちゃん〟だからさ。もう私の心配はしなくていい」
「…………」
「じゃ、お兄ちゃん、お先に」
くるりと身を翻して戸口に向かい、取っ手を掴んで捻った。
「社長だろ」
飛んできた言葉に顔を向けて手を挙げる。
「お疲れ様です、社長」
そう言って扉を閉めた。
誰もいない廊下を歩き、エレベーターに乗って、一階へ。
エントランスで榛原君が待ってくれている。
「お待たせ」
「待ちくたびれたよ」
「そだね。じゃ、行こっか」
意味深に笑うと、榛原君も微笑み返してきた。
「アッチ《・・・》の意味で取っていいのかな」
「いいよ」
「じゃあ、今のは俺のセリフだから、これからは俺に言わせて」
「了解。ところで、頑張る前に腹ごしらえしない? お腹すいた」
「じゃ、ラーメンでも」
「いいね」
寄り添って、夜の喧騒の中を歩く。
生きてるといろいろある。これからもいろいろ起こる。
私は今日から、この人に酔いながら生きる。
そうしていろんなことを形にしていくんだ。
終



