必死で走り続けた。


 どこをどう通って、ここに辿りついたのかわからない。気づいたら会社近くの小さな公園にいた。
 目の前に一本の藤の木があって、紫色の花びらを風に揺らせているのが見えた。

 はあ、はあ、と乱れた呼気が耳に響く。
 呼吸がままならなくて、胸が痛い。

 ヤツの言葉が耳にこだましている。

 ずっとヤツに抱いていた気持ちは〝愛〟だと思っていた。
 私は半分血の繋がった人を好きになってしまったって思ってた。

 許されないことなのに。

 目の前が滲む。紫色が霞んでくる。

 おばあちゃん、どうしよう。私、どうしたらいいの?

 藤の近くにあるベンチに歩み寄って腰を下ろした。
 ぼんやりと眺める。

――うわぁ、すご~い!

 突然、脳裏に子どもの声が響いた。

――ホント、綺麗だねぇ。

 これは……おばあちゃんの声だ。
 ああ、懐かしい。
 ここはどこ?
 満開の藤の大樹。世界を紫色に染めている。

――おばーちゃん、お空がむらさき色してるねー!
――そうだねぇ。

 おばあちゃんが優しく微笑みながら私の手を引く。
 あの時のこと……

――キラキラしてるー。
――紗英ちゃんのお顔もキラキラしてるわよ。
――ほんと? お花といっしょ?
――ほんとよ。お花と一緒。だからずっと紗英ちゃん、キラキラしててね。
――うん!
――天国のママも願ってるから。紗英ちゃんがいつまでもお花のようにキラキラ笑っていること。ずっと、ずっと思ってるから。
――ママも?
――ママも。
――ずっと?
――ずっと
――おばーちゃんも?
――おばーちゃんも。

 キラキラと、いつまでも笑っていて。
 花のように。
 この藤の花のようにキラキラと。

 ふと、意識のピントが合って、目を瞬く。
 藤の花が風に揺れている。
 揺れている。

――紗英ちゃんがいつまでもお花のようにキラキラ笑っていること。ずっと、ずっと思ってるから。

 ああ、泣きそう。
 泣きそう。

 私はこの言葉に支えられてきた。
 この言葉に自分を賭けてきた。
 求めているのは、これだ。

 視界が滲むと、別の顔が浮かんできた。

――俺が忘れさせてやる。

 これは、榛原君?

――俺が忘れさせてやる。

 あの夜、熱かった。
 なにもかもが。
 榛原君、ホントに忘れさせてくれるの?
 この苦しさから救ってくれるの?
 誰にも頼らないって決めて、強情ばっかりだったこんな私から、なにもかも忘れさせてくれる?
 新しい世界を上塗りしてくれる?

 頼っていいの?

 そう思ったら居ても立っても居られなくなって、榛原君の携帯番号をタップしていた。