「椎名、この資料、お願いしてもいいかな」
「あ、はい。
大丈夫です」
「ありがとう。
できるだけ早めに頼みます」
先輩が去ったあと、僕は気づかれぬよう、小さくため息を吐いた。
また断れなかった。
こうやって断りきれず引き受けた資料が、机の片隅に山積みになっている。
おそらく会社の中で、僕はそういう都合のいい社員として確立しつつあるのだろう。
疲れてきた目元を揉みながら、立ち上がる。
一度、人気のない階段に座り込み、深呼吸をした。
大学生の頃、ふとした瞬間に治った場面緘黙症は、再発していない。
大人になれば治るし、またなってしまう可能性は極めて低いと言われてはいたけれど、時折、不安になってしまう。
治った今もなお、人間関係は苦手だし、人と接していると疲れてしまう。
「辛かったら、人と関わらない仕事をするのも一つの手かもしれないね」
そんなお医者さんのアドバイスも無視して、普通の会社に就職した自分が、今は憎い。
就活中はこういう自分を克服したいと思ってやる気がみなぎっていたけれど、そんなに簡単ではない現実をまざまざと見せつけられ、心が折れそうだった。
こんなだから、もちろん親しい同僚もいないし、頼れる先輩もいない。
完全に孤立状態だった。
「ん ?
え ?」
ふと頭上から声がして顔を上げた。
驚いた顔をして僕の方を見ているのは、確か三浦だったか。
僕と同期のはずだ。
「え、大丈夫 ?
え、え、え、待って。
なんかこれって結構ヤバいやつ ?」
勝手にパニくっている同僚を見て、僕はどんな顔をしていただろう。
おそらく、ものすごく間抜けな顔をしていたに違いない。
「え、一旦落ち着こう。
椎名、だよね ?
誰か呼んだ方がいいか ?」
落ち着くのはお前だけだと思いながら、かぶりを振る。
「大丈夫、です」
タメに慣れることができず、やはり敬語になってしまう。
「そっか、よかった。
え、じゃあ、どうしたの ?」
三浦も休憩中であったのか僕の隣に腰を下ろしてきた。
「なんか、悩みごと ?」
「いや、悩みごとというか、少し疲れてしまって」
うまく話す自信がなかった。
自分の話をするのは病院以外で初めてだった。
「疲れた ?
そりゃあんなに仕事引き受けてたら疲れるだろうよ」
そんなことも知っているのかと少し驚いた。
僕なんか自分のことに精いっぱいで、三浦が何をしているのかなど、これっぽっちも知らない。
「断れないんです。
断れるほどの身分でもないし。
あと、なんていうか、話すと長くなるんですけど、学生の頃色々あって、人が苦手なんです」
「なるほどね。
うん、まあ、なんか苦手そうだもんね、人付き合い。
タメなのにずっと敬語だし」
軽くそう言う三浦の顔に、あの子の顔が重なった。
『そっか。
まあ、生きてりゃそう思うこともあるよね』
僕が、意味深な言葉を言っても、気を遣ってか深入りしてこなかった、涼風さんの顔が。
「まあまあ、マイペースに頑張ればいいよ。
なんかあれば、いつでも言いなよ」
そう言って、三浦は立ち上がって、仕事に戻っていった。
これから、辛くなったとき、僕はきちんと言葉にすることができるだろうか。
あの頃のように心を開くことができるのだろうか。
「あ、はい。
大丈夫です」
「ありがとう。
できるだけ早めに頼みます」
先輩が去ったあと、僕は気づかれぬよう、小さくため息を吐いた。
また断れなかった。
こうやって断りきれず引き受けた資料が、机の片隅に山積みになっている。
おそらく会社の中で、僕はそういう都合のいい社員として確立しつつあるのだろう。
疲れてきた目元を揉みながら、立ち上がる。
一度、人気のない階段に座り込み、深呼吸をした。
大学生の頃、ふとした瞬間に治った場面緘黙症は、再発していない。
大人になれば治るし、またなってしまう可能性は極めて低いと言われてはいたけれど、時折、不安になってしまう。
治った今もなお、人間関係は苦手だし、人と接していると疲れてしまう。
「辛かったら、人と関わらない仕事をするのも一つの手かもしれないね」
そんなお医者さんのアドバイスも無視して、普通の会社に就職した自分が、今は憎い。
就活中はこういう自分を克服したいと思ってやる気がみなぎっていたけれど、そんなに簡単ではない現実をまざまざと見せつけられ、心が折れそうだった。
こんなだから、もちろん親しい同僚もいないし、頼れる先輩もいない。
完全に孤立状態だった。
「ん ?
え ?」
ふと頭上から声がして顔を上げた。
驚いた顔をして僕の方を見ているのは、確か三浦だったか。
僕と同期のはずだ。
「え、大丈夫 ?
え、え、え、待って。
なんかこれって結構ヤバいやつ ?」
勝手にパニくっている同僚を見て、僕はどんな顔をしていただろう。
おそらく、ものすごく間抜けな顔をしていたに違いない。
「え、一旦落ち着こう。
椎名、だよね ?
誰か呼んだ方がいいか ?」
落ち着くのはお前だけだと思いながら、かぶりを振る。
「大丈夫、です」
タメに慣れることができず、やはり敬語になってしまう。
「そっか、よかった。
え、じゃあ、どうしたの ?」
三浦も休憩中であったのか僕の隣に腰を下ろしてきた。
「なんか、悩みごと ?」
「いや、悩みごとというか、少し疲れてしまって」
うまく話す自信がなかった。
自分の話をするのは病院以外で初めてだった。
「疲れた ?
そりゃあんなに仕事引き受けてたら疲れるだろうよ」
そんなことも知っているのかと少し驚いた。
僕なんか自分のことに精いっぱいで、三浦が何をしているのかなど、これっぽっちも知らない。
「断れないんです。
断れるほどの身分でもないし。
あと、なんていうか、話すと長くなるんですけど、学生の頃色々あって、人が苦手なんです」
「なるほどね。
うん、まあ、なんか苦手そうだもんね、人付き合い。
タメなのにずっと敬語だし」
軽くそう言う三浦の顔に、あの子の顔が重なった。
『そっか。
まあ、生きてりゃそう思うこともあるよね』
僕が、意味深な言葉を言っても、気を遣ってか深入りしてこなかった、涼風さんの顔が。
「まあまあ、マイペースに頑張ればいいよ。
なんかあれば、いつでも言いなよ」
そう言って、三浦は立ち上がって、仕事に戻っていった。
これから、辛くなったとき、僕はきちんと言葉にすることができるだろうか。
あの頃のように心を開くことができるのだろうか。
