エンドロール

 夏みたいな暑い朝だった。
 窓から射し込む太陽の光は、天使のはしごみたいに部屋の中を幻想的に照らしている。
 日の出が早くなってきていつもより早くに起きた私は、ベッドから起き上がり、いつも通り支度をしていく。

 高齢者が住むような和室のアパート。
 決して綺麗とは言えないけれど、もう愛着が湧いてきてしまった。

 「この家とももうすぐでお別れか」

 トーストが焼きあがるのを待ちながら部屋を見渡す。

 まだ引っ越してきてから半年と経っていない。
 そんなに長くいられるとも思っていなかったけれど、さすがにこんなに短い間に引っ越すことになるとも思ってなかった。

 あいつが来なければ。

 父親のことを思い出した途端、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを覚える。
 きっと、私はこれからも何度となくあいつとあって過去に向きあう。

 どうしようもないほどぐちゃぐちゃになってしまった、あの頃に戻らなければならない。

 「チン!」

 トースターの人工的な音で我に返る。

 「うわー、焼きすぎた。
 あ、こぼした」

 黒く焦げたトーストとグラスを持って、椅子に腰かける。

 「え、ねじ外れてる」

 テーブルの下に潜り込み、外れたねじをつける。

 「イタ」

 ガンと音を立てて頭をぶつけ、無性に苛立ってきてしまう。

 「あーもう、今日ツイてない」

 やっとありつけたと思った朝食もすぐに食べ終わり、登校の時間になる。

 「ピンポーン」

 急いで髪を整えていると間の抜けたインターフォンの音が来客を告げた。

 「何、こんな急いでるときに」

 とりあえず後ろで束ねてゴムで縛る。

 急かすようにもう一度鳴り、

 「はーい!」

 と、急いでドアを開けた。

 「あ、東雲さん」

 「こんにちは、瑞輝ちゃん」

 お隣に住んでいる大家さんの東雲さんだった。

 ボストンバッグ一つで、あてもなく来た私を快く引き受けてくれた優しい人だった。

 「どうしたんですか?」

 もわっとしている屋外で立ち話というのもあれだったので、とりあえず中に入った。

 「ごめんね、支度途中だったでしょ」

 「まあ、準備はしてますけど、まだ時間あるんで大丈夫ですよ」

 嘘をついた。
 本当は時間なんてないけれど、今の私にはきちんと学校に行く理由もそれといってない。

 「ちょっと大事な話があって」

 真剣な声でそう言うので向き合う形で椅子に腰かけた。

 「これ。
 使ってほしいの」

 そう言って茶封筒を渡された。

 「え、そんな、使えるわけないじゃないですか。
 第一、何に使うんですか?」

 封筒の中に入っていたのはお金だった。
 ざっと見ただけでもおそらく十万はあるだろう。

 「この前ね、瑞輝ちゃんの担任の先生が来て。
 もしかしたら、あの子の父親が来るかもしれないから、そのときは守ってやってほしいって言われて。
 私なんかに守れって言われても大したことできないけどね、このくらいはと思ったの」

 「どういう意味ですか?」

 「引っ越すんでしょ?
 そういう秘密がバレてしまったからにはもうここにはいられない。
 あなた、ここに来たときもそうやって来たんでしょ?
 前のところにはもういられなくなってバッグ一つで来た」

 全部、見抜かれてたんだ。

 ワケありということは理解してくれているだろうとは思っていたけど、やっぱりこういう人にはかなわない。

 「お金、使って。
 高校生じゃ、そんなにバイトできてないだろうし、瑞輝ちゃん、色々忙しそうだったから、あまり貯金ないでしょ?」

 「でも、私、家賃も今月分払えてないし」

 叔母さんは仕送りすると言っていたけど、そんなの申し訳なさすぎてこの住所も送っていなかった。

 それに東雲さんの言うことは図星で、PTSDのことやもちろん勉強のことも年齢もあってバイトなんかほとんどできていなかった。

 「そんなの気にすることじゃない。
 私、もう年だし、お金は使ってほしいの。
 私の消費に協力してちょうだい」

 こんな女神みたいな人がいていいものか。

 部屋に入ってくる陽光も相まって、本当に輝いて見えた。

 「ありがとうございます。
 本当に、助かります。
 恩に着ます」

 ありがたく茶封筒を受け取って、大事なものが入っている棚にそっと入れた。

 「じゃあ、もう行くね。
 瑞輝ちゃんもさすがに学校行かなきゃね。
 サボりはダメだよ?」

 「え」

 驚く暇も与えず、東雲さんは外に出て行ってしまった。

 「頑張ってね」

 そう一言を残して。

 全然幸せじゃないと思っていたけれど、そんなことを思ってしまってはなんだか周りの人に申し訳が立たない気がした。