「先輩、オレ……っ」
沢西君が何か言い掛けた時、戸が開けられる音がした。
「内巻先輩も人使いが荒いよねー。『ハンカチ忘れたかも』って……自分で取りにくればいいじゃんねーっ」
「シッ! 誰かに聞かれたらどーすんのっ! あの人は私たちの憎悪を上手くコントロールしてくれてるんだから、文句言うのは筋ちが……っ」
女子二人が喋りながら室内に入って来る。びっくりしたような彼女たちと目が合う。直前に……慌てて沢西君から離れたけど、間に合ったかな?
「先輩行きましょう」
沢西君に促された。手早く荷物を持って、廊下へ出る。手を引かれて後に続く。
先程、第二図書室にやって来た女子たちは晴菜ちゃんの話をしていたような……。
「ねぇ、沢西君」
前を行く協力者に声を掛ける。…………返事がない。
そう言えばさっき……彼は何か言い掛けていた。聞きたいけど、聞ける雰囲気じゃなさそうな気配がある。しかし。意を決して問う。
「沢西君? 何か怒ってる?」
「何で怒ってると思うんです?」
反応してくれたのでホッとする。でも、やはり怒っているような言い草だ。
「私……何かした?」
「先輩は、本当に復讐したいと思ってます?」
鋭く言及されてハッと目を開く。足を止めた彼が振り向く。
「オレたちの今の関係って、何なんです?」
「恋……人……」
自分では満点の答えを返したと思った。
「そうですよね。オレ、そう言いましたもんね。ちゃんと、そのつもりでいてくれていいんですけど……いやよくないのか? ……とにかく。恥ずかしかったのは分かりますけど、さっきはチャンスだったのに。相手方に知らしめる絶好の。人づてに聞くのも、ジワジワ傷に響くと思うんですよね」
沢西君が何を言いたいのか分かった。さっき……第二図書室に人が来たので、慌てて彼を押しのけてしまった。その事を言っているんだ!
「ご、ごめん! そっか。そうだよね! 見せ付けるいい機会だったのに、私ったら……」
「…………いえ。オレの方こそ、すみません。本当は違う理由なのに、ちゃんと言えなくて。何でもないです。……あっ! もしよかったら今日、帰りに商店街に寄ってもいいですか? ちょっと行きたい所があって」
「う、うん分かった」
途中、話をはぐらかされたような気もするけど。無理に聞き出さなくてもいいかと思って、沢西君に合わせた。
塾へ行く道を辿った先に、商店街はある。昨日も同じ道を沢西君と一緒だったけど。昨日の今日でこんなに、この恋が進展しているとは思わなかった。
数歩分前を歩く彼の手を握る。ぎゅっと握り返してくれる。凄く凄く、幸せな気持ちになる。
これがただの……復讐が終わるまでの「フリ」だとしても。
せっかくの満たされた心情がしぼんでしまいそうな気がしたので……それ以上、考えるのはやめた。
商店街の通りに入った。「沢西君はどこへ行くのかな?」と、ワクワクしてくる。
でも……この日は結局、目的の場所には行かなかった。何故かというと偶然……知り合いと遭遇して、沢西君が「オレの用事は今度で大丈夫です」と言い出したからだ。
商店街の中程を歩いていたら、前方右側の建物から出て来た二人と鉢合わせした。足を止めて見ていた私と沢西君に、あちらも気付いたようで……二人とも顔を強張らせて動きを止めている。
朔菜ちゃんと……ほとりちゃん。組み合わせに違和感がある。
……二人は確か、対立していなかったっけ?
「朔菜ちゃんと、ほとりちゃん?」
四人で向かい合ったまま立ち尽くしている状況だったので、とりあえず呼び掛けた。
彼女らが今しがた出て来たお店に目を向ける。手芸屋さんのようで、二人の持っている袋からも布のようなものが見えている。
一番、疑問に思っている事を聞いてみる。
「二人は、実は……仲がいい?」
「ちょっと!」
朔菜ちゃんが睨んでくる。
「声が大きい! 上で話すから。付いて来て」
朔菜ちゃんに促されて、私と沢西君も移動する。「朔菜ちゃんの方が声が大きいよ~」と、耳を塞いでいるほとりちゃんの後に続く。手芸屋さんの横にある階段を上った。
建物二階は美容室だった。中へ入る前に気付いて、思わず声が出る。
「あっ! ここ、来た事ある!」
見覚えがある。以前一度、晴菜ちゃんと訪れた。……ああ、そうか!
「あの時……! 一昨日会った日から、どこかで朔菜ちゃんを見た記憶があるって思ってたけど。前ここへ来た時に、一度会ってるね!」
朔菜ちゃんは横目に、見透かすような視線を送ってきた。
「ああ。晴菜が連れて来た時でしょ? 珍しかったから覚えてる」
朔菜ちゃんは私へ答えた後、入口の戸を開けた。
「いらっしゃいませ~! こんにちは。朔菜のお友達?」
出迎えてくれた女性に、にこやかに笑い掛けられる。黒いシャツに黒っぽい細身のズボン姿で、手にビニールの手袋をしている。耳下くらいまでのショートカットで……見事なストレート具合の黒髪が、朔菜ちゃんの髪に似ている気がする。
三十代後半くらいの年齢に見えるその女性に、美容室の奥……窓際に作られた待合スペースへ誘導される。言われるまま椅子に座る。窓は大きく、少し前に歩いていた商店街の通りを見下ろせる。椅子に腰を下ろすと、窓に背を向ける感じになる。
細長い美容室の……待合スペースとは反対方向の奥で、何かゴソゴソしていた朔菜ちゃんが戻って来た。缶のリンゴジュースを手渡される。
「これ、賄賂」
朔菜ちゃんがボソッと言ってくる。彼女は私の眼前で手を合わせ、神頼みするような姿勢で口にする。
「お願い。黙ってて!」
朔菜ちゃんとほとりちゃんに事情を聞く。四人で缶ジュースを啜りながら。因みに。ほとりちゃんが飲んでいるのはブドウジュースで、沢西君と朔菜ちゃんはコーラだ。
朔菜ちゃんとほとりちゃん……二人は実は。同じ目的を叶える為に手を組んで以来、本当は仲良しらしい。
朔菜ちゃんとさりあちゃんには、何やら因縁があって。今も犬猿の仲なんだそうで。ほとりちゃんはさりあちゃんと姫莉ちゃんの暴走を阻もうと、さりげなく彼女たちの足を引っ張ってくれていたようだ。
「この間……姫莉ちゃんと二人で私と沢西君を追いかけて来てた時も、横断歩道で立ち止まったりしてたね!」
合点がいって右隣に座るほとりちゃんに話し掛ける。あれは、わざとだったのかぁ。
「危ないから、もう絶対にやめてね。でも……ありがとう」
伝えると、ほとりちゃんはふわっと微笑んだ。
「えへへ……もう危ない事はしないよ。私の友達が迷惑かけてゴメンね」
彼女はそう言った後、表情を陰らせ少し俯いている。
「私たちに指示を出したのは……私は舞花様じゃないと思う」
初めて聞く名前に目をしばたたかせて、ほとりちゃんの横顔を見つめる。ほとりちゃんは「あっ」と思い至った様子で、事情を知らない私と沢西君にも説明してくれる。
「舞花様は、うちの学校の『聖女』様よ! 容姿端麗で立ち居振る舞いに気品があって。笑い掛けられたら幸せな気持ちになるの! いじめられている子を救ったり、横暴過ぎる先生に意見して黙らせたり……武勇伝も数知れずあって。慈愛深く真面目なだけじゃなくて。実はこっそりアニメオタクな一面を持つ、お茶目なところも大好き。毎日、あの方の幸福を祈ってる」
生き生きとした声で教えてくれた。ほとりちゃんは両手を合わせ、うっとりと宙を見つめている。
「はぁー」
朔菜ちゃんが盛大な溜め息をついている。
「まだそんな事言ってんの? 同じ人間だよね、その人も。あの学校の生徒って……何でその子を祭り上げる訳? そういう子に限って、裏ではろくでもない奴かもよ?」
朔菜ちゃんの意見に、ほとりちゃんがカチンときたようで反論している。
「もう! やめてよ! 聖女様の悪口言わないでっ! 朔菜ちゃんは会った事ないから知らないだけでしょ!」
「ほとりも騙されてるんじゃない?」
「それ以上言ったら絶交だからっ!」
ヒートアップする口論に、どうしたものかとオロオロしていた。悪くなった雰囲気を変えようと試みる。努めて明るく質問する。
「で? 二人は手芸屋さんで、何を買ってたの?」
「材料を……」
「ほとりっ!」
何やら口を滑らせたらしいほとりちゃんを、朔菜ちゃんが止めている。
「何の材料? 何を作るの? もしかして、二人で作るの?」
「えっと……」
私が立て続けに尋ねたので、ほとりちゃんは戸惑った様子で朔菜ちゃんに視線を送っている。
「チッ」
朔菜ちゃんに舌打ちされた。
「本当に、誰にも言わないでよ」
「言わない言わない!」
念を押す朔菜ちゃんに即答する。左隣の沢西君を見る。彼も頷いてくれた。怪訝そうにこちらを睨んでいた朔菜ちゃんは、やっと少し表情を変えた。
彼女は、口をモゴモゴと動かしている。
「実は……その……私……――が好きなの」
「え?」
よく聞こえなくて、聞き返す。
「――が」
「ええ? 何」
朔菜ちゃんが、もう一度言い直してくれるけど。やっぱり聞こえなくて。再び聞き返す。
「もうっ! 朔菜ちゃん、はっきり!」
ほとりちゃんが強めに激励している。朔菜ちゃんは息も絶え絶えな様相で深呼吸し、告白する。
「私、ユララが好きなの」
…………ユララ?
「幼い頃から。ユララになるのが夢だった」
朔菜ちゃんの言葉に、ピンとくる。
「ユララってもしかして、あの……!」
私の言わんとする事が当たったようで、朔菜ちゃんが頷く。
小学生の頃から中学生くらいの時分まで放送されていた、人気アニメの登場人物の一人だ。美少女がマジカルなパワーで悪と戦うやつ。主人公の仲間ポジションだったキャラクター「花扇ユララ」。
朔菜ちゃんとほとりちゃんは、その衣装を現実に再現したいらしい。作っているのはほとりちゃんで、できた衣装を着るのは朔菜ちゃんの予定なのだそうだ。
話を聞くうちに、ほとりちゃんの恐ろしい計画が発覚する。もう一人分の衣装を、並行して作っていたと言う。着せる予定の人物の名を聞き、朔菜ちゃんが叫んだ。
「嘘でしょ! 絶対嫌だ!」
「朔菜ちゃん大丈夫だよ。ユララが好きな者同士、分かり合えると思うの。衣装ができたら、仲直りの記念撮影をしよう?」
小柄で可愛らしいほとりちゃんの笑顔が、どこか不気味に見えた。
聞くと、ほとりちゃんが作っている衣装は完成間近なのだとか。
「困った……」
腕組みした朔菜ちゃんが、暗い声でポツリと呟いた。
