向けられた視線に、逆にこっちが咎められている気配がする。

「いいですか? オレたちの復讐は、岸谷先輩が坂上先輩を好きだからできる事なんです。オレがあなたをけが……っゲホゲホ。オレたちが親密になればなる程、岸谷先輩はダメージを受ける。つまり、オレたちがイチャイチャするのが復讐になる訳です」

 自分の目が点になった気がした。聞いてないよ!
 呆然としている私をよそに、沢西君は続ける。

「キスもその通過点の一つです」

「通過点」

 愕然として、問題を含む語句を繰り返す。

 キスって結構……イチャイチャの極み……みたいなイメージを持ってたけど、更にそこを越えた先まで行く予定なの?

 色々大丈夫?

「もしかして、からかってる? 冗談?」

 はははと笑って相手を窺う。じっと……こちらを見ている沢西君の目はマジだ。つい口が滑る。

「え? 本気?」

「オレが頭のおかしい奴みたいに言わないで下さいよ。こっちも恥ずかしいんですから」

「全然恥ずかしそうに見えないよ! 余裕たっぷりに見えるよ!」

 すぐさま言い返す。頭を抱えた。

「でも……イチャイチャって……。実際にするとなると、沢西君の好きな人に申し訳なさ過ぎるよ!」

「言いましたよね? その人の心を揺らしたいって」

「……沢西君の好きな人って、もしかして」

 言いかけてやめる。もしそれが……私だとしたら。辻褄が合うけど…………そんな都合のいい話ってある? でも……そうだとしたら。何も問題ないように思える。

 こちらを見ている沢西君を見つめる。

 紺色の制服上下。上着の下は白のカッターシャツで、ネクタイは女子のリボンと一緒の渋い赤色。黒の鞄を右手に持ち、学校指定のサブバッグを左肩に下げている。

 因みに女子の制服は男子の制服と同じ紺色で……膝下までのジャンパースカートと丈が短めの上着の中に、丸襟の白いブラウス……胸元にリボンだ。

 沢西君の顔に視線を戻す。眼鏡をしているので、分かりにくいけど。美男子なのは、さっき認識した。きっと凄くモテるだろうから、私など相手にしないだろう。うん……この思考は、もう終わろう。

「何です? オレの好きな人、気になります?」

 ニイッと笑ってくる。

「誰だと思います? 当てて下さい」

「うーん、誰だろう。教えてよ」

「そうですねー。先輩が言い当てたら……白状しますよ」

 さっきまでの思考の経緯があるので、はっきりと確認したかったんだけど。「もしかして、私?」などと聞ける筈もなく……苦笑いする。

 沢西君も美男子だし、並んで歩いたらお似合いの子だろうと想像した。ちょっと羨ましく思いながら口に出す。

「きっと凄く綺麗で、可愛い子でしょ?」

 沢西君は驚いたような顔をして、私を見返した。

「……そうですね。凄く綺麗で可愛い人です。多分……坂上先輩の思い浮かべる、その人のイメージよりも……実際のその人の方が可愛いです」

 言ってくれるねぇ。私じゃない事は分かったよ。口の端がピクピク引きつるのを感じつつ笑った。

「じゃあ、当たったから教えて」

 はっきり名前を答えていないけど、図々しく言ってみる。彼の目が細くなる。わざとらしく不快そうに。

「坂上先輩……? 本当はオレの好きな人なんて、興味ないでしょ? さっきの先輩の答え方は狡いので、やり直しです! ちゃんと誰か分かってから言ってきて下さい」

「やっぱり、ダメだよね」

 あははと笑っていると、沢西君が歩き出した。私も後を追う。
 この大通りに来る道すがら、色々と話をしていた。沢西君の家も私の家のある地区と一緒の方角にあるらしいので、途中まで同じバスで帰れる。
 帰りにいつも乗車しているバス停は、大通りの反対側に位置する。その手前にある横断歩道が見えてきた。

「坂上先輩」

 呼ばれて左を向く。横を歩く沢西君が真剣な表情でこっちを見ている。

「急にこんな事言ったら驚くかもしれないけど……驚かないで聞いて下さいね。今は余所見しないで、オレだけを見てて下さい」

 何だろう。告白の前振りみたいな台詞だ。しかし、さっき沢西君の好きな人は私じゃないって分かったから……別の案件だ。

「分かった」

 私も真剣な心持ちで頷く。

「尾行されてます」

「え……」

 大きく声を上げて振り返りそうになる。危なかった。何とか小声を出しただけで踏み止まれたのは、事前に沢西君から釘を刺されていたから。言われていなかったら、やってたと思う。

「学校の近くから付いて来てます。さっき、わざと立ち話して時間をずらしたのに……つかず離れず五十メートルくらい後方にいます」

「な、何の為に……?」

 沢西君も与り知らない事だと分かっていたけれど、呟かずにはいられなかった。私の問いについて考えるように、彼は右手を顎に当て俯いている。

「さあ……? でも、ひょっとして内巻先輩と関係あるのかな?」

「え? 晴菜ちゃんと?」

 沢西君が再び顔を上げた。

「よくは知りませんけど。内巻先輩ってウチの学校の悪女って噂、聞いた事ありません?」

「晴菜ちゃんが……悪女?」

 今日という日まで考えた事もなかった。とても優しい、いい子だと思っていた。……今日まで。
 普段なら即刻否定している場面で、私は何も言えなかった。彼女が岸谷君とキスしてるところを見てしまった時から、分からなくなっている。

 沢西君が一瞬、道路側を気にしたように見えた。彼は振り向きざまに、私の手首を握ってきた。

「先輩、信号変わりそうです走って! 上手くいけば、あのバスに乗って撒けるかもしれない」

 引っ張られるまま、バタバタと横断歩道を走る。渡っている途中で歩行者側の信号が赤になった。二人とも渡り終え、息を整える。

 横断歩道の反対側を見る。道路を隔てた向こう側の歩道に一人、女の子が立っていた。

 黒いスカジャンのポケットに左手を突っ込み、信号機の柱に寄り掛かっている。右手でスマホを操作していて、こちらを見ていない。デニムのホットパンツから伸びた白い脚は、クリーム色のスニーカーへと続いている。髪型が独特だった。切り揃えられたショートカットはこちら側から見て左側は耳下までの長さなのに、右側は肩下まである。全体的な髪色は黒だ。ただ……長い側の髪の房、下半分くらいが紫になっている。

 あれ……? あの子をどこかで見た事がある。確か……晴菜ちゃんと一緒にいた時、どこかで……。

「坂上先輩、バスに乗りましょう!」

 腕を引かれて思考を中断する。沢西君の後をバス停に向かって走った。バスが私たちの横の車道を通り過ぎ、道の先にある停留所に止まる。お客さんが降りているので、このまま走れば間に合う!

「あー! やっと来た来た!」

 バス停には先客がいた。三人の内……二人はベンチに座っていて、もう一人は立っている。

 ベンチの背凭れに左手を置いた格好で立つ同年代くらいの女の子が、楽しそうに目を細めている。反対の手に持った棒の先に付く、丸い飴を舐めながら。さっきの言葉は、その子の発したものだ。ミルク色の腰まで届きそうなツインテールを揺らして、大きく手を振ってくる。

「坂上先輩、知り合い?」

 沢西君に聞かれた。

「違うよ? 沢西君の知り合いでもなかったら、きっと後ろの誰かに振ってるんだよ」

 後方に顔を向ける。だけど……。長く続く歩道には、珍しく誰もいなかった。


「坂上明さんですね?」

 話し掛けられて、心臓がドクンと鳴る。バス停に視線を戻す。ベンチに座っていた内の一人が立ち上がり、こっちを見た。ウェーブが特徴的な明るい色味の茶髪を背に垂らしている。私よりもやや背が高く、切れ長な目元がクール美人という印象を抱かせる。落ち着いた声音で……要求してくる。

「私たちと一緒に来てください」

 風が彼女の髪を靡かせる。私が立ち竦んでいる間に、バスは走り出してしまった。
 目の前の女の子たちは三人とも、他校の灰色い制服を着ている。

 状況に戸惑っていた。右にいる沢西君を見る。
 彼女たちに苦笑いしている横顔。ボソッと呟くのを聞いた。

「まずい。挟まれた」

 恐る恐る後方に顔を動かす。信号が点滅している。
 両手をスカジャンのポケットに入れた……どこか気だるげな歩みの少女が、こちらへ近付いて来る。視線を向けると、その足取りが止まった。きつい目付きで睨んでくる。

「私はアンタが大嫌い!」

 いきなり、言い捨てられた。まるで長年抑えていた鬱憤を吐き出すかの如き剣幕で、面と向かって。

 私を睨んでいた黒いスカジャンの少女は、感情を押しとどめようとする風に口をへの字に結び……こちらへ歩き始める。

「でも」

 擦れ違う際、囁かれる。彼女は確かに言った。

「何も知らなくて、かわいそう」

 胸の奥が不規則に脈打つ。振り返って尋ねようとした。それはどういう事なのかと。

 少女の身長は、私よりも少しだけ低い。スカジャンの背部には金色の糸で大きな蝶の翅を模した刺繍が施されてある。

 彼女は私と他校の女子の間で足を止めた。先程、私に話し掛けてきたクール美人の目が細まる。その大人びた風貌の女子はスカジャンの少女を見据え、静かに口にする。

「出たわね」

「人を害虫みたいに言うのやめてくんない?」

 スカジャンの子が不本意そうな声で言った。クール美人が返す。

「邪魔しないで。私たち、坂上さんとお友達になる為にここへ来たの。坂上さん……! 内巻晴菜は……あの『悪女』は、坂上さんに友達ができないように仕向けているの! 私たちの話を聞いて?」

 クール美人が私へ訴えてくる。その内容が衝撃的で、目を見開いたまま数秒……返事ができなかった。

 え? 晴菜ちゃんて、私に友達ができないようにしてたの? もしかして、今まで晴菜ちゃんしか友達いなかったのって……そのせい?

「……教えてくれてありがとうございます」

 内心納得できる部分があり、情報をくれた女の子へそう微笑んだ。だけど……。

「だけど私の友達を『悪女』って呼ばないで下さい。嫌な気分になりました。詳しい事は明日、彼女に聞いてみます」

「えっ……と」

 私の返答に満足していない様子で、クール美人が口籠もっている。スカジャンの少女が、こちらを横目で見てくる。彼女が呟くのを聞いた。

「へぇ」

 気のせいかもしれないけど……その表情は、どこか嬉しそうに見える。スカジャンの子は、もしかしたら晴菜ちゃんの味方なのかもしれないと感じた。

 それにしても、本当なのだろうか。晴菜ちゃんが、私に友達ができないように仕組んでいたって。そうだとしても、きっと何か……理由があるんじゃないかな。

「お願い。一緒に来て? あなたに会って話がしたいと、私たちに頼んできた人がいて。その人を待たせてるの」

「さ、さりあちゃん」

 猶も食い下がるクール美人を、ベンチに座っていた別の女の子が止めようとしている。ふわっと丸みを帯びたショートカットで、自然なクセが可愛くまとまっている髪型の子だった。髪色は灰色で……背丈はここにいるメンバーの中で一番低く、小柄な体型だと思う。

「さりあちゃん、日を改めよう? いきなり押し掛けてきた、こっちが不躾だよう」

「ほとり、黙ってて! 今日は千載一遇のチャンスなのよ! あの女が一緒じゃないから、ナンバーツーが来たとしても手薄なの! もう今日しかないの。絶対に来てもらう!」

 クール美人は、さりあちゃんという名前らしい。彼女は座っている女の子……ほとりちゃんに力説している。

「もう! さりあちゃん喋り過ぎ~! 仲間割れしないの!」

 ツインテールで飴を銜えていた女の子が、呆れ声で二人を窘めている。彼女は口から棒を引き抜いた。飴は食べ切ったらしい。

 不意に、その子と目が合う。一瞬……真剣な瞳を向けられた気がした。

「ねぇ、坂上さんっ! お菓子も用意してるから、姫莉たちと行こーよ!」