春夜君に行きたいお店を聞いた。彼は自らの頬を人差し指で掻き「えっと……」と呟いた後、口ごもっている。

「春夜君?」

「そうですね……あっ! あっちの方に、靴専門の店がありましたよね? 見に行きませんか?」

「う、うん! 行こう!」

 春夜君の探している物は、靴なのかもしれない。

 それにしても。今日の春夜君、ちょっとどこか……様子がおかしい? まだ考え事をしているのかな? 

 ショッピングモールの中央に幅の広い通路がある。靴屋さんの方向へ歩く。もちろん春夜君に、くっついた状態で。

 途中、右手にあるお店のショーウィンドウを眺めている。マネキンにコーディネートされた物の一つに、視線を奪われる。ふわふわした素材の白いマフラーで「いいな、あったかそうだなぁ」と、ぼーっと思考しつつ通り過ぎる。

 直後にハッとして振り向く。もう一度、ショーウィンドウを見る。

「明?」

 私が後ろを気にしたので、春夜君も立ち止まっている。

「あっ、ごめんね。何でもないの。早く、靴屋さんに行こう?」

 焦って促す。ここで気取られる訳にはいかない。

 白いマフラーを見て思った。春夜君へのクリスマスプレゼントをマフラーにしたらどうかなって。ただ、色は白じゃない方がいいかも。

 春夜君に似合いそうな色のマフラーを、今度探してみよう。



 靴屋さんの前に到着する。「春夜君の探し物をチェックしながら、私も自分の気になる靴を試してみたいな」と考えていた。

「こんにちは」

 耳に届いた声に、顔を上げる。靴屋さんの右にあるお店の店員さんらしい女性に、朗らかな笑顔で会釈された。

「あ……っ、こんにちは!」

 春夜君が、どこか嬉しそうに挨拶を返している。
 「もしかして知り合いの人かな?」と感じて、春夜君の顔を窺い見る。視線に気付いてくれた。

「実は先週、用事があってここに来たんですが……その時にちょっと」

 説明してもらえたけど。何だろう。歯切れが悪いような……?

 店員のお姉さんは二十代くらいに見える。キラキラと明るい笑顔で言われる。

「どうぞ」

 『どうぞ』? 内心で引っ掛かっている。
 お姉さんはそのまま、目的の店の隣にあるお店の中へ案内しようとしてくる。

 彼女の案内しようとしているお店は宝飾店で、私のお財布事情では手も足も出ない品々の並ぶ……眩しくて高級なイメージを孕む場所だった。

 アクセサリーは好きだけど、ここでは買えないよ。
 即、断ろうとした。

「あっ! すみません。私たち、お隣の靴屋さんに……」

「明」

 呼ばれて、春夜君の方へ振り返る。落ち着いた微笑みを向けられている。

「もしよかったら、見て行きませんか? 折角なので。見るだけならタダだし」

 誘い文句に心が揺らぐ。返事をする。

「う、うん……」

 そうだね。普段見る機会のない美しい宝石の付いたネックレスやおしゃれな指輪にも、本当は興味がある。


 お姉さんに案内され入店する。ショーケースの中に並ぶアクセサリーに感嘆が零れる。

「わぁ、綺麗……!」

 好みなデザインの指輪にうっとりする。落ち着いた銀色で、小さいダイヤモンドのような石が中央に一つ付いている。

 いつか……春夜君と、お揃いの指輪をしたい。想像して口元が緩むけど、すぐに我に返る。

 私の馬鹿! 春夜君に嫌われているかもしれない現状なのに。幸せな未来を夢想している場合じゃないよ。

 下唇を噛む。指輪から目を逸らそうとしていたのに。
 試しに着けてみるようにと、同じデザインでサイズの合う指輪を勧められた。

 私の指に銀色に輝いている。その存在感に圧倒され、語彙力のない感想を呟く。

「凄い」

 ダメだよ。こんなの。欲しくなっちゃうもん。買えないのに。指輪との別れがつらくなってしまう。

 だから、わざと明るく微笑む。お礼を言って指輪を返した。

 一生に一度は、好きな人とお揃いの指輪を持ちたい。だけど。それ以上に今は。
 春夜君と一緒にいたい。できれば、ずっと。




 靴屋さんの店内を見て回った後、フードコートを訪れた。

 休日なので人が多い。ハンバーガーのセットを注文し、テーブル席で食べる。
 春夜君とハンバーガーを食べるのって初めてかも。凄く楽しい。

 私がポテトを食べていた時、春夜君が何かを見ているのに気付いた。私の斜め後ろ……?

「春夜君?」

 不思議に思う。何があるのか確かめようとした。

「明!」

 不意に呼ばれ、ドキッとする。春夜君に視線を戻す。
 手に温もりが伝わってくる。ぎゅっと握られている。

 俯いている彼が口を開く。途中で、ためらうような沈黙があったのちに紡がれる。

「クリスマスイブの日に、会いたいんですけど……」

 思いがけず誘われて、目を瞠る。

「私も誘おうと思ってたんだよ!」

 嬉しくてニコニコしてしまう。声も弾んでいたと思う。……だけど。
 浮かれていたのは、私だけだったのかもしれない。春夜君の神妙な雰囲気に気付いた。

 もしかして。

 一瞬、とても嫌な予感が胸を掠める。

 まさか。違うよ。
 内心必死に否定する。

 もしも春夜君に嫌われているとしたら。その日に振られる……?

「……っ」

 つい今しがたまであった浮かれた気分が凪いでいく。
 俯いていた春夜君が眼差しを上げる。視線が合う。胸が痛く鳴る。

「あ、えっと……。その日のお昼は、用事があって……夜なら大丈夫!」

 何とか笑顔を作り、返事をする。

「そうですか」

 彼は、ぽつりと口にして視線を下へ逸らす。

「今日は私の見たいお店に付き合ってくれて、ありがとう。えと……春夜君の探している物は見つかった?」

 重い空気に耐えられず、話題を変える。

 さっきの靴屋さんでは、春夜君の様子をチラチラと窺っていた。彼は幾つかの商品を眺めていたけれど。特別に気になっていそうな物が、どの商品であったのか窺い知る事はできなかった。

 だから今、思い切って聞いてみる。

 春夜君はこちらを見て、僅かにきょとんとした表情を浮かべている。一拍後、その双眸が細められるのを目にした。温かく笑み、彼は言う。

「こちらこそ。オレも収穫ありました」

「えっ」

 驚いてしまった。そっか。やはり春夜君の探している物は、さっき見ていた物の、どれかだったみたいだ。どれだったんだろう?

 しかしプレゼントに贈るとしても。クリスマスの頃には既に……彼も購入しているかもしれない。やはりマフラーにしようと、心の中で決定した。



 昼食も食べ終わって、フードコートを出る。もう十五時か。春夜君の隣を歩きながら考えている。

 終わっちゃう……。今日が過ぎていく。どうしよう。まだ一緒にいたいよ。

 足取りが重くなる。

「明?」

 春夜君が振り返り、立ち止まった私へ声を掛けてくれる。

「あっ……えっと……」

 少し迷ったけど。やっぱり、はっきり言おうと口を開く。
 その瞬間、手を引っ張られた。

「明、ごめん。今、急いでて」

 足早に進んで行く。エレベーターの前まで来た。

 エレベーターのボタンを押していた春夜君は、扉の上に表示された数字を見ている。エレベーターがこの階へ到着するまで待てないと言いたげに「階段を下りよう」と、再び手を引かれた。

 エレベーター横にあるドアを開けた彼に続く。広めの白い階段を下る。


 内心、衝撃を受けている。

 もしかして。私が我儘な事を口走りそうだったから、それに気付いたから…………先回りして言わせないようにした? 早く帰りたかった?


「春夜君っ!」

 思わず。前を行く彼の、上着の袖を掴んでいた。やってしまってハッと我に返る。


「ごめんね。何でもないよ?」

 自分でも嘘くさいと思いながらも、誤魔化そうとした。振り向いていた春夜君へ微笑む。彼は階段の二段程下に立っている。睨まれた。

「嘘つかないでください」

 指摘された。

「ちゃんと言ってください」

 真剣な様相で確認してくれる。
 胸には不明瞭な不安が渦巻いていて、目が潤んでしまう。口に出した。

「私、まだ一緒にいたい」

 今日が終わったら、明日からまた……会えない日が続くよね? 我儘なお願いだって分かってるけど。

「だめだ……もう」

 苦々しい顔付きで呟かれる。

 ……っ? 呆れられた? がっかりされた?

 今日……可愛いと思ってもらえるように頑張る筈だったのに、イメージ悪くしちゃった。折角の日を、台無しにしてしまった。

 俯き掛けていた時に、聞こえる。

「可愛いです」

「え?」

 驚く。私の心、読まれた?

 柔らかく微笑む相手を見つめる。

 私が発した疑問を含んだ「え?」を、よく聞こえなかったから聞き返したと思ったのかもしれない。もう一度、伝えられる。

「可愛いです。今日、特に。何でそんなに……可愛くしてるんですか?」

 言葉に詰まる。

「それは……」

 言おうとして……口を閉じる。

 春夜君の、私への好感度を上げたかったんだよ。春夜君は優しい。私の欲しい言葉をくれるんだね。

 目に涙が滲む。
 私、自分の事ばっかりだった。

 上の方からドアの開く音が聞こえてくる。少しして親子連れのお客さんが階段を下りて来た。私と春夜君は踊り場まで下り、道を譲る。

 親子連れのお客さんらが去った直後に引き寄せられる。

「オレ、自惚れてもいいんですか?」

 唇を啄んでくる。

「えっ?」

 動揺した。「本当は嫌われているのかもしれない」と思っていたし、「このキスも、私がしたいのを察してくれている?」と疑う。

 でも! だけど……!

「こんな所で……ちょっと待って?」

 更に接触しようとする彼の胸を押して拒む。

 春夜君のイチャイチャしてほしいという要望に応えようと、心に決めていたとしても。通りがかった人に見られるかもしれない。さすがに恥ずかしい。

 睨まれた。はっきりと伝えてくる。

「嫌です」

「あれー?」

 突如、聞こえた声に震え……階段を見上げる。驚きで、自分の目に力が入っている気がする。上の踊り場から、明るく呼び掛けられた。

「明ちゃんじゃーん!」

 まさか今日、この場所で会うなんて。
 こちらへ駆けて来る晴菜ちゃんに、呆然とした。