私が高校二年生だった頃の話。

 岸谷君とカラオケに行ってしまったせいで、春夜君とぎくしゃくしていた時期があった。一緒に過ごす時間がめっきり減って「もしかして避けられている?」と、不安な思いが過る。そんな中、久々に会う約束をした。

 十一月下旬の休日。私たちの住んでいる地区と学校のある地区の中間くらいに位置する、ショッピングモールへ赴く。大通りに面した結構大きな建物には、人や車の行き来が多い。出入り口付近で待ち合わせている。

 程なく、壁を背にして立つ春夜君を発見した。彼が身に付けているのはフードの付いたカーキ色のジャンパーで、その内側には温かそうな薄茶色のセーターと白いシャツの襟が見えている。ジャンパーとセーターの丈は長め。黒っぽい細身のズボンを穿いている。肩から斜めに掛けているのはボディバッグのようだ。

 いつも見ていた制服も似合っている……だが。今日の春夜君は一際かっこいい気がして、直視し過ぎると心臓に負担がかかりそう。

 それにしても。熱心に本を読んでいるなぁと思った。私がまあまあ近くまで来ているのにも気付かない様子で、本に視線を落としている。ページをめくっている姿を眺めるのも、とても素敵な時間だけど。二人で会える機会は貴重だ。今日を目一杯味わいたかった。なので、早々に声を掛ける。

「春夜君お待たせ!」

 顔を上げてくれた。

「あっ、明。えっ? 今日……何か……えっと髪……」

「あ、うん。今日は変えてみたんだけど、どうかな?」

 昨日の学校帰り……晴菜ちゃんのお母さんの美容室で朔菜ちゃんに教えてもらったヘアアレンジを今朝、自分でやってみた。普段は後ろで一つの三つ編みにしているところを今回は三つ編みにせず大半を垂らしたままに、くるくると緩めのハーフアップにしてリボンの付いたヘアゴムで留めている。

 いつもの三つ編みの名残で髪が波打っている。真っ直ぐにしたいと思う時期もあった。でも、これはこれで結構好きだし。このままでもいい。

 春夜君が自身の口元を押さえている。言われた。

「凄くいいです。かわ……何でもないです」

 目を逸らされる。彼は何か言い掛けていた気がする。よく聞き取れなかった。だけど、よかった。「凄くいい」って、言ってもらえた。

 今日は春夜君に「可愛い」と思ってもらえるように、頑張って準備してきたんだよ。最近、中々一緒に過ごせなかったし。今日会えるのを、ずっと楽しみにしていたんだよ。

「行こう?」

 微笑んで促す。建物へと歩む。自動ドアを過ぎようとして呼び止められる。

「明」

 腕を引っ張られて、春夜君の側へ寄る。振り返ると、ほかのお客さんが自動ドアから建物内へ、足早に入って行くところだった。さっき春夜君の方を見て歩いていたので……そのまま進んでいたら今、通り過ぎたお客さんとぶつかっていたかもしれない。

「ごめんね。ありがとう」

「気を付けてくださいよ」

 呆れている風な、ジトッとした眼差しを寄越してくる。彼との距離が近くてドキドキしている。俯いて離れようとした。

「っ?」

 その場から動けず、びっくりする。春夜君に腕を掴まれたままだった。

「明? 何で離れようとするんです?」

 静かな筈の彼の声は重たく、雑踏の中であっても耳に届く。

「えっと? あの……」

「明は、ぼやっとしているから……危なっかしくて色々心配です。今日は、オレに掴まっていてください」

 更にびっくりして、相手の顔を見つめる。

「嫌ですか?」

 どこか昏い目をして聞いてくる。

「知り合いに見られたくないとか考えてます? 例えば……岸谷先輩とか」

「岸谷君?」

「…………何でもないです」

 春夜君の言動で思い当たる。やっぱり。この間のカラオケの件が、尾を引いているんだ!

「あの、私、違うから」

 私が好きなのは春夜君だけだよと伝えたかった。けれどカラオケに行ったのは事実なので説得力のない言い訳の体になるだろうという思考が浮かび、我ながらげんなりする。口にしそうだった想いを呑み込む。

 言い掛けてやめたので、怪しく見えたかもしれない。下へ向けていた顔を覗かれた。

「すみません、つい言い過ぎてしまって。『もう気にしてないです』って、言っておきながら……。この話は、もうしません。最近、疲れていて暗く考えがちでした。今日、明と会えるのを励みにしていました。凄く楽しみだったんです。もし明が嫌じゃなければオレと……イチャイチャしてほしいです」

 責められると思っていたのに。春夜君の教えてくれた望みは、私の願望と似ている。ただ……多分、少し違う部分もある。私は、もっと邪なんだよ。

 春夜君に嫌われたくない。今日が終わったら、また会えない日が続くんだろうなと予想していた。春夜君もお家の用事で、中々……会える時間を作れないらしいし。私も私で日々を忙しく過ごしていたので、次にいつ二人の予定が合うのか定かではない。

 春夜君をドキドキさせたい。今日一日だけでも、私の事で頭をいっぱいにしてほしい。
 そして誤解を解きたかった。こんなにどうしようもないくらい、春夜君の事ばかり考えているのに。何とか、想いを伝えられないものだろうか。

 先程、春夜君が『明は、ぼやっとしているから……危なっかしくて色々心配です。今日は、オレに掴まっていてください』と提案してくれたので、とても嬉しく思った。

 『もしかして春夜君は、私を喜ばせようとしているのでは?』と、疑ってしまう程に。私が願望を口に出さなくても、彼はそれを知っているかの如く振る舞う事がある。

 春夜君の優しさに溺れているだけじゃだめだ。

 彼は『今日、明と会えるのを励みにしていました。凄く楽しみだったんです。もし明が嫌じゃなければオレと……イチャイチャしてほしいです』と、打ち明けてくれた。それが私の望みを先回りして言ってくれたのか、本物の春夜君の欲求なのかは分からない。でも。

 できるか分からないけど、期待を上回るイチャイチャで応えたい。




 手を繋いで、建物の中へ入る。エスカレーターに乗る際に、わざと体を寄せ春夜君に密着する。腕も指も絡める。

 こんな人の多い場所で、平然とイチャイチャするのは恥ずかしい気もする。だけど!
 春夜君が「イチャイチャしてほしいです」と、言ってくれたのに。応えるに決まってるよね?


 エスカレーターを降りた後、目当ての店舗のある方向へ進む。そろーっと、右隣を窺ってみる。彼は私の掴まっている手とは反対側の手で、自身の目を覆っている。心配になり尋ねる。

「春夜君……? ちゃんと前を見ないと。危ないよ?」

 どうしたんだろう。まさか私、何か変な事をしてた? もしかしてイチャイチャし過ぎだった? 思い至って恥ずかしくなる。慌てて確認する。

「あっ、ごめんね。くっつき過ぎだったかな?」

 体を離そうとしたのに。繋いだ手が強く結ばれていて、びくともしない。

「……?」

 春夜君の意図が分からず見つめた。返された眼差しが鋭い。言い含めてくる。

「だめです。お願いですから、絶対にそのままでいてください。今、考え事をしてて。前世のオレは一体どんな徳を積んだんだろうって。ありがたくて目の奥がツーンとしました……」

「そうなんだ」

 そうか。春夜君、考え事をしていたんだね。私が隣でゴソゴソ動いていたら、集中できないよね。

 ……よかった。ベタベタするのを嫌がられた訳じゃないんだ。

 ホッとして前を向く。


 ショッピングモールに来た目的の一つは、ウインドウショッピングをする為だ。今回のデートを約束した時、春夜君から「探している物があって。ここに行ってみたいんですけど……」と持ち掛けられ、すぐに賛成した。私も下調べをしたかったので、ちょうどいいタイミングだった。

 来月は十二月。春夜君にクリスマスプレゼントを渡したい。バイトをする事にした。渡す当日まで、彼には秘密にしておく予定である。


 最初に立ち寄った雑貨屋さんには色々な小物やアクセサリーが多く、見る棚見る棚気になる商品が置いてあって何時間でも眺めて回れそうな気がした。

 次に入った店舗は洋服をメインに扱うお店で、可愛いワンピースが目に留まった。いいなと思ったけどサイズがなかった。

 ……あああ! 違う違う。今日は春夜君のプレゼントを見付けに来たのに! 自分の好きな物ばかりチェックしていた。


「次のお店に行こう?」

 促す。彼は私の思考中も、何も言わずに近くで待ってくれていた。興味の赴くまま行ったり来たりする私に付き合ってくれる春夜君は、控えめに言っても優し過ぎるよ。

「私の気になる物ばかり見ちゃってごめんね。春夜君の探している物を見に行こう?」

 春夜君の探している物……即ち彼がプレゼントされて喜ぶ物の可能性が高い。どんな物だろう? わくわくする。頬が勝手に緩んでいると、自分でも分かっていた。

 けれど次の瞬間、強張るのを感じる。間近から向けられる視線が強い。

「えっ……と?」

 呟いて口ごもる。「何で、こんなに見られているのかな?」と、内心どぎまぎしている。

 春夜君の方が先に瞳を逸らした。彼は私たちの前に展示されているワンピースへ目線を移している。

「……明は、こういう服が好きなんですね」

「花柄で裾の長めなところが好みだけど、合うサイズがないみたい」

「そうなんですね……残念です。着ているところを見てみたかったです。今日、着ている服とは少し違う印象だけど。どっちを着ても凄く……げほほっ……いいと思います」

「ありがとう」

 春夜君に褒めてもらえて、胸が温かくなる。

 今日の服装はフードの付いた厚手の上着と、タイトで長めなスカートにしていた。上着は薄い水色で丈は短め、スカートは濃い緑色でチェック柄のものだ。

「ポンコツ過ぎて歯痒いな」

 春夜君のボソッと口にした独り言を、聞いてしまった。

 え……? 聞き間違いかな?

「春夜君……?」

「あっ! すみません、何でもないです。次の店に行きましょう」

 はぐらかされた? さっきの言葉は……きっと私の事を言ったんだよね?

 春夜君はもしかして、私がぼやぼやしていてポンコツだからイライラしている……?
 それとも服の好みが合わなかったけど無理してお世辞で褒めてくれたのに、私が真に受けてしまったから「歯痒い」って思ったとか……?
 ハッ……! まだ、カラオケの件を怒っているから?

 重大な事案に気付きそうで、血の気が引く。

 本当は……私、どう思われてるの?


「明?」

 進もうとしていた春夜君が振り返る。私が立ち止まったまま動こうとしなかったからだ。考え付いてしまった暗い思考に怯んで、手を放そうとしていた。

 でも、放してくれなかった。


「明、離れないで」

 引っ張られて傍に寄る。今まで通り結ばれたままの手に、汗が滲む。どうしよう。……目が潤んでくる。隣を歩く彼に悟られないよう「ごめん、ちょっと待ってね」と立ち止まり、しゃがむ。靴紐を結び直すフリをして下を向く。溜まってしまった滴を瞼で払った。

 どうしようどうしようどうしよう。

 嫌われていたとしても、途轍もなく好きだよ……。