「オレはお前が羨ましいよ」
「は? 何でだ?」
言動が理解できないと言いたげに聞き返してくる。友人から目を逸らした。メロンソーダの泡を見つめる。『本当に付き合ってるから』とは言えず「こっちも色々あるんだよ」と濁した。坂上先輩とは付き合っているフリをしているだけで、本当には付き合っていない。これは彼女とオレだけの秘密なので当然、湧水に教える気はない。
「そもそも好感を持ってなかったら、付き合ってもいないだろう。話を聞いてたらお前の彼女、付き合った最初の頃からそんな感じだったみたいだし。あまり悲観しなくてもいいんじゃねえの?」
思った事を言ってみる。湧水の表情が和らいだように見える。
「そ、そうかもな。でも俺が言いたいのは、そこじゃないんだ」
「何だよ?」
問うと友人はテーブルに突っ伏して打ち明けた。
「遠くから見かけた彼女が可愛いんだよォ。彼女の夢を応援するって決めたのに。最近、全然会えなくてつれェ! 心折れそう。だから毎日でもイチャつけるお前が正直憎い」
「そうか。それはつらいな」
さらっと流したオレを、湧水が顔を上げて睨んでくる。前髪で隠れていたけど、隠れていなかったら怯んだかもしれない。
「他人事だと思って……」
湧水は呟いて口をへの字にした。
復讐の為に明と岸谷先輩を付き合うよう仕向けて、二人が付き合い出したので一緒に帰らなかった日もあった。
放課後、第二図書室にいた。気を落ち着けようと本を読んでいた。だが、全く集中できなかった。
悶々としていたところへ突如、原因がやって来た。第二図書室に、坂上先輩と内巻先輩が入って来たのだ。二人はオレの話をしている。
「明ちゃん、どうしちゃったの? 沢西って子とケンカでもしたの?」
内巻先輩の問いに……坂上先輩はオレが以前、言い含めていた通りに答えた。
「ううん? してないよ。むしろ沢西君に岸谷君と付き合うよう言われて、岸谷君の告白を受け入れたの。私は本当は、沢西君が好きなんだけどね」
その後、坂上先輩はやって来た岸谷先輩と帰った。歯噛みする。オレが計画した復讐の一端とは言え悔しい。内巻先輩が冷めた目付きを向けてくる。
「勝手な事してくれちゃって。明ちゃんに何かあったら、あんたを許さないから! 明ちゃんは、あんたが好きって言ってたのに。何で……!」
「あ。それはオレが言って下さいって頼んだから」
「は?」
内巻先輩が大きな声で聞いてくる。この際なので言っておこうと思った。
「坂上先輩が岸谷先輩の事を、今でも好きなのは分かってます。でも坂上先輩はオレのものです。あいつより、オレを選んでくれた。この手を取ってくれた。ファーストキスだって、オレにくれた。誰にも、譲る気なんてない」
暫し、内巻先輩と睨み合っていた。
「……明ちゃんを傷付けたら、絶対に許さないから」
内巻先輩は言い置き、第二図書室を出て行った。自分は坂上先輩を相当傷付けている癖に、自覚なしなのか? 勝手な人だな。
だが内巻先輩の事を、とやかく言えない。オレも内巻先輩に協力した。坂上先輩と親しくなれるチャンスに飛び付いてしまった。だけど後悔はない。たとえそれが坂上先輩の恋路を邪魔する事になっても。オレはオレの欲望の為に、坂上先輩の心を踏みにじった。
誰もいない図書室で独り言ちる。
「先輩が本当に復讐すべきなのは……オレです」
物思いに耽っている間に、授業が始まっていた。湧水も前を向いている。
頬杖をついて考えていた。まだ信じられない。一時は手が届かないと思って諦めようとしていた憧れの人が……振り向いてくれた。オレの事を好きだと言ってくれた。
いつもの気怠い授業の風景さえ、何だか輝いて見える。
今日は、この前行けなかった喫茶店に誘ってみよう。
顔が緩んでしまうのを止められなかった。
帰宅した。リビングに行く。花織が洗濯物を干していた。オレも風呂を洗わないとな。
両親は共働きで帰りが遅い。親が帰って来る前に、それぞれに与えられた家事の役割を果たしておくのがこの家のルールだ。
適当な家着のシャツとズボンに着替えて風呂場へ向かう。スポンジで浴槽を擦りながら考えている。未だに自分の置かれた状況を把握できていない。
岸谷先輩が明に土下座していたという噂は、オレのクラスにまで届いた。どこまで本当かは分からなかったが、二人がカラオケに入っていくのを見たと言う奴もいた。
疑いたくはないけど、悪い想像ばかり浮かんでしまう。「こういう時はどうすればいいんだ?」と、頭を悩ませていた。
直球で「岸谷先輩とカラオケに行ったって本当?」と、聞いたとする。何もやましい事がない場合は「行ったよ」と、笑顔で答えてくれるだろうと考える。
しかしその件について、明から話を聞いていない。気に掛かる。もし……あの二人の間に何かがあって、明がそれを隠そうとしているのなら。「行ってないよ」と言われ、それ以上の追及が難しくなる。
そして今日。彼女を……噂で聞いたカラオケ店へ連れて行った。鎌を掛けたのだ。
信じたくなかった。明がオレに黙って、岸谷先輩といたなんて。もしそうだとしても……明の事だからきっと、何か理由がある筈だ。
知っている素振りで問い詰める。彼女は一瞬、言葉に詰まった様子でオレの目を見返した。悲しげな表情で告げられる。
『ごめんね。私、春夜君に酷い事した』
暫く……家に帰る間もずっと……その言葉が脳内で繰り返されていた。どういう意味なのか。考え付く限り、一つしかないように思える。
制服のポケットに彼女から渡された……カード型の記憶媒体が入っている。中身を見るのが怖い。悪い想像が膨らむ。まさか……まさかな。
決意を固められないまま時間が過ぎた。食事と風呂を終えた後、自室の机上にあるパソコンを起動する。
ドクドクと……心音が重たく刻まれている。
記憶媒体を差し込んで、中にあるファイルを確認する。
音声ファイルと……動画のサムネイルが見える。心臓が止まりそうになる。ベッドを側面から見たようなアングルのサムネイルだった。
これを……オレが見てもいいのか? 脳が壊れないか?
ためらうがどうしても気になってしまい、動画のファイルを開く。
動画にはベッドが横向きに映っていた。花柄のカバーが掛かった寝具も見える。どうやら明の部屋のベッドのようだ。彼女の部屋を見せてもらった事はないけど、そんな気がした。
画面に明が映った。ベッドの縁に腰掛けて、こちらへ手を振ってきた。
「春夜君見てる?」
照れたように微笑んでいる彼女の姿に、口元が緩んでいる自覚がある。彼女はこの動画で、オレに何を伝えようとしているのだろう。
「恥ずかしいから、この動画は春夜君だけで見てね」
どくん。
胸の奥が一段と大きく音を立てる。目を見開いた。
目を見開いたまま動画を止めた。
このくだり……既視感がある。以前どこかで見た漫画か何かで、今の状況と似たシーンがあった。
インターネットやスマホ等の発展により情報・娯楽へのアクセスが容易になった昨今、オレでも知っている。ある日突然、付き合っている彼女を奪われたりする例のアレだ……!
この先の展開も……予想できる。まさか自分の身にも、あの悪夢が降りかかるなんて思っていなかった。……嘘だ。本当はいつも恐れていた。気が気じゃなかった。明が笑う度に可愛いと思う反面、いつかこんな日が来るんじゃないかと不安が過っていた。
やはり明は岸谷先輩に奪われている? 確定?
事実を知ってしまうのが恐ろしくて、マウスを持つ右手が震えている。
ふと音声ファイルが視界に入る。クリックした。
動画の突き付けてくる内容よりもマイルドかもしれない……そう考えて。
音声は雑音が酷かった。多分スマホの録音アプリか何かを使ったのだと思う。それを起動したままのスマホを、サブバッグか何かに入れていたようだ。何とか会話を聞き取った。
明と岸谷先輩は内巻先輩を追跡していたらしい。ファミレスを出た二人は暫くして……こんなやり取りを始めた。
「いやいや。待って。まさか? ここに入るの?」
焦っているような声が聞こえる。明だ。
「行こう」
岸谷先輩の落ち着き払った声音も聞こえる。思わず立ち上がって、この場にいない彼女へ訴える。
「明! 入ったらダメだ! 明ーーー!」
「春夜うるさいぞー」
部屋の外から花織に注意された。
うるさいとか、そんな些末な事に気を取られている場合ではない。オレは再び椅子に座り、その後の二人の様子に耳をそばだてた。
よく聞き取れなかった部分もあったが、カラオケでは何もなかった……のか? 途中から、普段……岸谷先輩にまとわり付いている女も乱入してきた様子だったし。
音声は三人がカラオケ店を出た後で終わっている。
……待て。じゃあ動画には、何が記録されているんだ?
恐らく、動画は明の家で撮られたものだ。…………音声の録音された時間と動画の撮影された時間の間にある空白の時間が気になる。何かあった可能性も否定できない。
唾を飲み込んだ。喉がごくりと鳴る。
さっき見るのをやめた動画ファイルに視線を移す。震えの酷くなった指でマウスを操作し動画の画面に戻す。続きが再生される。
制服姿の明が、画面越しにこちらを見つめてくる。
「春夜君。今日はごめんね。いつもありがとう。私……春夜君の事、大好きだよ」
彼女が照れたように俯いた時、ドアがノックされる音が聞こえた。画面の中の明は慌てた様子で、こちらに近付いてきた。そこで動画は途切れた。
「明? え? それだけ? 明! 明ーーー!」
「春夜うるさいぞー」
部屋の外からの声は無視する。立ち上がって机に左手をついた姿勢のまま、右手親指の爪を噛む。
彼女からのメッセージは嬉しい。永久保存するのは確定しているけど、真相については語られていない。ドアをノックしたのが岸谷先輩だという可能性が、ゼロだとは言えない。
想像は深まるばかりで寝不足になった。

