「もしかして今日の……彼の狙いは、これだった?」と、頭の隅で思考している傍ら……返事をする。
「うん」
一拍置いて確認される。
「そんなに、アイツがいいの?」
見下ろしてくる双眸が、どこかつらそうに笑う。重く答えを返す。
「うん」
「そうか……」
彼は私の右肩辺りに項垂れ、暫く動かなかった。
「ごめんね岸谷君。私、あなたとは一緒にいれない」
天井を見つめて伝える。
バカだなぁ、私。何で今まで気付かなかったんだろう。もっと早く……岸谷君が不安になる前に気付いてあげられていたら、きっと違う「今」があったのかもしれない。もう戻れないけれど。
岸谷君は本当に、私の事が好きだったんだなぁ。
「ありがとう。ハッキリ言ってくれて。やっと諦めが付くよ」
すぐ近くで、低めの声が伝えてくる。右肩から重みが退く。少しぎこちなく笑って離れていく……彼を見ていた。
私も身を起こし掛けたところで。部屋のドアが、勢いよく開け放たれる。
「聡!」
部屋に嵐の如く入って来たのは、姫莉ちゃんだった。
「おまっ! 何で、ここが分かった?」
岸谷君が目を剥いて口にする。姫莉ちゃんは得意げに、胸を張って言う。
「秘密!」
彼女と目が合った。笑い掛けると、露骨にむっとしたような顔で睨んでくる。
「聡は姫莉のだから!」
彼女は岸谷君の腕を、ぎゅっと抱きしめて言い放った。小柄な体躯が小刻みに震えている様子に思い出す。以前、岸谷君が言っていた。姫莉ちゃんは情緒不安定なところがあり、泣いていたって。
岸谷君の存在は、姫莉ちゃんの心の支えなんだろうな。仔猫が怯えて威嚇している姿に似ていると、微笑ましく思いながら……彼女に近付く。
「姫莉ちゃん。岸谷君の事をよろしくね。岸谷君がフラフラしているのも、きっと寂しいからだと思うんだ。私はもう、彼とは一緒にいられないから。姫莉ちゃんが守ってあげて」
岸谷君へも言っておく。
「岸谷君。私の頼みを何でも聞いてくれるって言ってたよね? 姫莉ちゃんを幸せにしてあげて。彼女だけを好きでいてあげて。……これからは寂しいからって、ほかの人で埋めようとしないで」
最後にもう一度、彼の顔を見る。明るく笑顔で言えた。
「今までありがとう」
やっと……テストが終わった。これで心置きなく、春夜君と会える!
晴れやかな気持ちで、彼が来るのを待っていた。
晴菜ちゃんや岸谷君も先に帰り、教室に残っている生徒も次第に減っていく。
あれ? 春夜君が来るの遅いな。今日、約束してたよね? 不安になり、バッグからスマホを取り出す。やりとりしたメッセージを確認しようとしていた。
「明」
呼ばれて顔を上げる。教室の出入り口側に彼はいた。
もう十分に見慣れた眼鏡、ツンツンした黒髪、私より少し高い背、強気なところも弱気なところも、強かで狡いところも、意外とおっちょこちょいなところも、美男子でエグいところも、優しいところも意地悪なところも。
言い表せない。
「大好き」じゃ、重みが足りないなと思考して微笑んだ。
「遅くなりました……行きましょう」
春夜君の声に元気がないと感じる。目も合わないし。テスト勉強で疲れているのかな?
沈んだ表情で言われる。
「ちょっと行きたい所があるんですけど、いいですか?」
「う、うん」
戸惑いながらも了承した。
左手を引かれ、バス停までの道を歩く。春夜君は何か考え事をしているようで、言葉数が少ない。
バスに乗った。一体どこへ行くんだろう。右隣に座っている春夜君の様子を盗み見る。俯いて顔色も悪い。心配になって、声を掛けようと口を開く。
「次のバス停で降ります」
私が言葉を発するより早く、告げられた。
バスを降りた後、何も言わずに歩き出した彼の後を追う。ここは一昨日も来た。ファミレスを出て繁華街の方へ晴菜ちゃんたちを追跡していた時に通った道だ。
何だろう? 薄く嫌な予感がするんですけど。
繁華街の裏通りを進む。一昨日入ったカラオケ店が見える。今日も同じ道を辿るなんて。この辺りには普段、滅多に来る機会がないのに。カラオケ店の前を歩いていた時、急に……春夜君の足が止まる。
「明。ここに来たかったんです。カラオケ。……いいですよね?」
先程までの暗い表情を塗り替えたような、不自然に明るい笑顔を向けられる。彼の瞳に有無を言わせない光が宿っている気配を感じ取る。気圧されて頷く。
嫌な予感は、的中間近だった。
部屋に入り、ソファに腰掛ける。春夜君が私の前に立つ。昏い視線を感じる。壁ドンされ、相手を見上げる。目線が合う。唇を吸われた。内側も徹底的に責められ、刺激に震える。
「何で分からないんですか?」
春夜君が話し始めた。薄く目を開け、耳を傾ける。
「明はオレのものだって言いましたよね?」
彼は微笑んでいるのに、凄くつらそうに眉を寄せている。
「一昨日、ここで何をしていたんですか?」
やはり。彼は知っていたんだ。予想はしていたけど、真っ直ぐに問われ言葉に詰まる。
一昨日の件は後悔していない。岸谷君も気持ちに整理をつけられたようだし、私も言いたい事を伝えられた。
だけど春夜君に連絡していなかったのは、まずかったと思う。勉強に集中するという約束も、破ってしまった。
「ごめんね。私、春夜君に酷い事した」
素直に言葉にする。彼の肩がピクッと揺れた。大きく見開かれた目に、罪を問われている気がする。いたたまれなくて瞳を逸らす。
やっぱり気分悪いよね。恋人が連絡もせず、ほかの異性と二人きりでカラオケに行ったら。私なら怒るよ。
その時、不意に思い出す。そうだ。対策をしていたんだった!
「春夜君、これ……」
彼の不快感が少しでも緩和される事を願って手渡す。小さなカード型の記憶媒体に、準備していたファイルを入れてある。
「何これ」
春夜君が聞いてくる。安心してもらいたくて、微笑んで答える。
「一昨日の詳細を入れておいたよ。お家に帰ったら見て」
十二月になった。学校近くの商店街にもイルミネーションやツリーが設置され、そろそろクリスマスだなぁと思っていた。
中間テストの終わった後くらいから、春夜君と少し……ぎくしゃくしてしまった。きっと私が岸谷君と二人でカラオケに行ったりしたから、嫌な気持ちにさせてしまったんだと……自分の軽率さを恨んだ。
春夜君にそれとなく聞いてみたけど「別に……。もう気にしてないです」と返され、その話は終わった。
その頃から会う機会が凄く減った。「もしかして避けられてる?」と、不安に考える時もあったけど。全然会えない訳ではなかったし、会った際には相変わらずイチャイチャしていた。……相変わらずではなかった。以前よりも春夜君からの要求が難易度を増していた。恥ずかしいので詳しくは語れない。省略する。
そういった経緯があり、今日も一人で帰途についたのだ。
最近、こっそりバイトを始めた。クリスマスイブに会う約束をしたので、プレゼントを渡したくて。
クリスマスイブの日は、お昼に友達とカラオケでパーティーをする予定がある。春夜君と会うのは夜だ。
夕方の空は結構暗い。春夜君と出会った頃の……この時間はまだ明るかったのに。風が冷たくて、マフラーを持ち上げ首を隠した。
「あっ、来た来た! 明ちゃん待ってたよぉ! さっそく試着してみて!」
晴菜ちゃんのお母さんの美容室へ到着した。ほとりちゃんがニコニコした笑顔で出迎えてくれる。
美容室には晴菜ちゃん、さりあちゃん、姫莉ちゃん、ありすちゃん、佳耶さんもいる。もちろん晴菜ちゃんのお母さんも。
晴菜ちゃんのお母さんは右手で口元を押さえ瞳を潤ませている。
「晴菜に……こんなに、たくさんお友達がいるなんて……! 皆、晴菜と仲良くしてやってね」
「もう~! 何で泣いてんの?」
晴菜ちゃんが呆れているような、照れているようにも思える様相で彼女に詰め寄る。
二人は以前、離ればなれに暮らしていた。晴菜ちゃんのお母さんは晴菜ちゃんと暮らす為に都会での美容師の仕事を終わらせ、何年か前に戻って来た。晴菜ちゃんはお母さんに反抗的な態度を取ったりする時もあるけど、殆ど照れ隠しだって知ってるよ。
ほっこりしていたのに、美容室の奥に目を向けて怯む。進むのをためらう。
ブラインドを閉めた待合スペースにいる五人が、それぞれ試着したり……どの服を着るか選んだりしていて。私の入る隙間がなさそう。特に姫莉ちゃんとありすちゃんが静かに睨み合っていて、あの辺りには行きたくないなぁと苦笑いした。
今日はクリスマスイブにある女子会に着てくる、コスチュームの試着会だった。
誘った際は「私も参加していいの?」と遠慮がちだった佳耶さんも、今では真剣に衣装を選んでいる。
「明ちゃん。もっと早く来ないと。いいのを先に取られちゃうよ?」
後ろから来た晴菜ちゃんに言われた。
……だから晴菜ちゃんは「先に行っとくね!」って、走って学校を出たんだね。抜け駆けだったのかぁ。狡くない?
待合いスペースの中央では、さりあちゃんが赤いサンタの衣装に四苦八苦している。
「これ……ダメだわ。私には小さくて……ミニスカートどころじゃないわ」
あらかた試着が終わり、誰がどの衣装を着るかも決まった。椅子に腰掛け、それぞれまったり缶ジュースを飲んでいた。
「今日、朔菜も来ればよかったのに」
さりあちゃんが、ぽつりと言う。
「朔菜って、ほんと謎よね。いつもふらりと現れて、いつの間にかいなかったり。そういえば前……どこの学校に通ってるのか気になって、別の高校の子にも聞いてみたけど。結局、分からなかったのよね」
さりあちゃんの話を聞いて「あっ」と思う。横にいたほとりちゃんも私と同じだったようで肩が揺れている。
そっか。さりあちゃんたちは朔菜ちゃんが舞花ちゃんだって、まだ知らないんだ。
ため息をついて首を傾げているさりあちゃんを横目に、ほとりちゃんが耳打ちしてくる。
「もし朔菜ちゃんの正体について知ったら、さりあちゃん……ショックで倒れちゃうんじゃない?」
二人で苦笑いした。
