「こういう事だから、俺たち」

 理お兄さんが佳耶さんの肩を抱いた格好で、花織君へ告げた。

「何だよそれ!」

 理お兄さんたちから数歩分離れた所に立っていた花織君が、我に返った様相で声を上げている。

「お前ら、そういう関係だったのかよ! 早く言ってくれよ! オレ、バカみたいじゃん……」

 私のすぐ前で、彼らの方を向いて足を止めていた舞花ちゃんが再び歩き出す。彼女は向かい合う彼らの間へ進み、振り向いた。可愛い顔を歪めて、理お兄さんを睨んでいる。

「ちゃんと説明してください!」

 舞花ちゃんの要求に、理お兄さんは少し笑った。


 各々座って、お茶を飲みながら話をする事になった。ダイニングテーブルを囲み……理お兄さんと佳耶さん、花織君と舞花ちゃんが着席する。私と春夜君はリビングの絨毯に腰を下ろし、成り行きを見ていた。

 そして私たちは知るのだった。理お兄さんの秘めた恨みと、復讐について。


 話によると。理お兄さんと佳耶さん、舞花ちゃんは幼少期からの幼馴染らしい。花織君とは小学生の時に知り合ったという事だった。

 幼少期から幼馴染だった三人の親たちは同級生で、理お兄さんの家に佳耶さん家族と舞花ちゃん家族が遊びに来る事があった。

 理お兄さんの父親は佳耶さんの父親を尊敬しているらしく……事あるごとに「理と佳耶ちゃんが結婚すればいいのに」と、謎の理想を押し付けられていた。

 小学生だった頃も父親の口癖に「またか」とうんざりしていた。けれど理お兄さんも思っていた。佳耶さんは可愛いと。

 しかし。次第に温まりつつあった恋心に水を差す輩が現れた。それが花織君だった。彼らが小三だった時……理お兄さんと佳耶さんと花織君は同じクラスで、佳耶さんは、我が道を行く花織君を好きになった。

 だから理お兄さんは佳耶さんへの想いを言葉にしなかった。佳耶さんも花織君を見ているだけだった。花織君は二次元のキャラを追っていた。高校生になっても、彼らの関係に変化はなかった。

 そんな均衡を崩す出来事が起こった。

「花織は『現実の女より二次元が至高』と口にした。佳耶より二次元を選んだんだ。許さない……そう思った」

 理お兄さんは切れ長の目を鋭くして、淡々と話している。美形の人が怒ってる顔って、結構怖い。

「その頃から少しずつ……佳耶を俺のものにしていった」

 理お兄さんがテーブルの上に置かれたマグカップを手に取って、コーヒーを飲んでいる。重い空気の中、舞花ちゃんが手を挙げた。

「一つ聞きたいです」

「へえ……何が知りたいの?」

 舞花ちゃんへ向けて、理お兄さんの目が笑むように細められている。

「理お兄ちゃんは佳耶お姉ちゃんの事を、どう思ってるんですか? 花織お兄ちゃんと付き合わせようとしたり……本当に好きなの?」

 怒りの感情を孕んだような、刺のある物言いだった。
 理お兄さんがフッと笑う。彼は瞼を伏せ「この際だから、全部白状するよ」と言う。

「佳耶に花織への想いを断ち切ってほしかったのもあるけど、一番は花織に復讐する為だ。少しだけ付き合わせて、全部を奪う計画だった。失恋という傷を花織の心に刻んでやるつもりだった。だけど予定を狂わされたよ」

 理お兄さんが舞花ちゃんに微笑んだ。

「結局、俺は……花織に復讐したかったんじゃないんだ。ただ……佳耶を取られるのが、堪らなく嫌だったんだ」



 一時はどうなる事かと思ったけど。丸く収まったみたいでよかった。それぞれ帰り支度をしていた。

「明。今日……もしよければ、うちで一緒に勉強しませんか?」

 春夜君に声を掛けられ、振り向く。誘ってもらえて凄く嬉しい。「うん」と言いそうになり、直前に言葉を呑み込む。

 外で雷が鳴った。雨も強く降っている。

 理お兄さんが佳耶さんを送って行くついでに、私たちも車で送ると言ってくれた。舞花ちゃんたちも、もう玄関の方へ向かっている。

 まだドキドキしがちな胸を押さえる。答えをためらっている間に、玄関ドアの開閉音が聞こえる。

「春夜ー?」

 花織君の声だ。こちらを向く春夜君が、静かに怒っているような目をしている。

「オレたち今から勉強するから、行ってていいよ」

 春夜君が玄関の方へ答えた。

「おー……ほどほどにな」

「明ちゃん、またね!」

 花織君の何か含みのありそうな物言いの後に、舞花ちゃんの明るい声が聞こえる。気になっていた案件が解決して、彼女もホッとしているのかもしれない。私も元気よく「またね!」と返事をした。

 さて……。これからどうしよう。二人きりになってしまった。春夜君は睨んでくるし。私が変な態度を取るからだよね? 自分でも、どうしようもないんだよっ。

「さ、さあ勉強しようかっ」

 口調も、ぎこちなくなってしまう。彼から目を逸らし、床に置いていた鞄から道具を取り出そうとする。手首を掴まれた。

「明。オレが何かしてたのなら、謝ります」

「え……っ?」

「オレの事……嫌いになった?」

 呆然と春夜君を見る。まっすぐに向けられた眼差しに怯む。息を呑んだ後に答えた。

「……好きだよ」

「じゃあ何で避けるんですかっ!」

「それはっ……」

 え? ええ? 春夜君にドキドキしてしまうから、自分を落ち着けたかっただけなのに……誤解されてる? 内心困惑していた。

「…………オレの事を好きだって言うなら、証明してください」

「証明?」

「キスしてもいいですか?」

 言葉に詰まる。迷ったけど伝える。

「……今は……だめっ!」

 春夜君の目も見れない。

「何でですか? オレたち……付き合ってますよね?」

「だって……」

 下に視線を彷徨わせ、何と言えばいいのか考えていた。普通に「ドキドキする」って言うのも、何か恥ずかしい気がして。ためらっていた。


「分かりました。もう言いません」

「……え?」

「困らせて、すみませんでした。先輩の気持ちは分かりました。先輩の言う通り、勉強しないとですし。オレたちも少し……距離を置きましょう」

 ニコッと笑い掛けられる。

 「明」じゃなくて「先輩」呼びに戻ってる……。愕然とする。

「やっぱりオレ、重いですよね。気持ちを押し付けて、すみません。先輩が無理してオレに合わせてくれてるの、知ってました。先輩がオレの気持ちに応えてくれるのが嬉しくて、つい調子に乗ってましたけど……これからは自分を抑えようと思います。だから……先輩が嫌じゃなければ、これからも恋人でいてほしいです」

 そんな風に思ってたんだ。春夜君、凄く勘違いしていたんだね。

「春夜君。ごめんね。春夜君は悪くない……私が……ううん、そうだよ。春夜君が悪いんだよ!」

 言っている途中から思い直す。

「私が必死に隠してた事……何で暴こうとするの? 酷いよ!」

 責めながら詰め寄る。彼が、目元を歪めた表情で見返してくる。

「やっぱり先輩は……ほかに好きな奴が……」

 春夜君が何か言ってるけど、もう知らない。壁際まで追い詰めた。勢い余って本棚に手をつく。棚ドンとか、この際どうでもいい。目を見開き相手を睨む。言い放つ。

「当ててみて。今の私の気持ちを」

 春夜君の喉が、息を呑むように動いた。

「当たったら教えてあげる。分かるまで」

 過去に彼から言われた言葉を返す。今なら少し……あの時の春夜君の気持ちが分かるよ。

 春夜君の目が大きく見開かれ、私を映している。彼は少し悲しそうな微笑みを浮かべて言う。

「えっと……。もうオレに、うんざりで怒っ……」

「三つの選択肢から選んで! 間違ったら罰ゲームだからね」

 春夜君の喋っている声に被せて、話し始める。
 彼の言う通り、確かに怒ってはいる。「私が春夜君に、うんざりとか思う訳ないでしょ?」と。

 このままでは。彼が当たりの答えを導き出すまでに、相当な時間を要すると予想し……三つの答えを提示する。

「選択肢1! 春夜君が好き過ぎて、痛いくらいドキドキしているから。挙動不審なところを見られて嫌われる前に、心を落ち着けて態勢を立て直したい」

 言い切って相手を窺う。春夜君は口を少し開け、ポカンとした顔でこっちを見ている。ここまで来たら、もう後には引けない。迷って言うのをやめてしまう前に、勢いのまま押し通す。

「選択肢2! 春夜君に触られると、もっと触ってほしくて落ち着かなくなるから……必死に欲望を静めようとしている」

 間近にある双眸が、何かに気付いたような気配を帯びる。静かな瞳で見返してくる。

「選択肢3! 春夜君とイチャイチャしたいって考えてばかりいて結局勉強も捗らないから、もうテスト勉強しようとしても意味ないよねって思ってる!」

 目を合わせ、強気に問い掛ける。

「さあ、どれ?」

 彼は少しの間沈黙し、徐に口を開いた。

「……『4』の、本当はオレの言って欲しい言葉を察して……優しさで言ってくれてる」

 ここまで教えているのに、まだそんな事言うの? もう本当に怒るからね!
 内心不満を唱えるけど、声には出さない。澄ました表情を作り、言い渡す。

「ブー! 不正解です! 罰ゲーム決定です!」

「正解は?」

 聞かれて「うっ」と怯む。
 あれ? 思い返したら私……結構、恥ずかしい事を言ってた?

 勢いに任せて意識するのも忘れていたのに、再びドキドキが強くなる。顔を左下に逸らして答える。

「『4』は、違うからね!」

「……正解が『4』じゃないなら、もしかして『1』から『3』の内の……どれかが正解だったの?」

「うっ!」

 全部、当たりだったんだけど……。今更、恥ずかしさが込み上げてくる。

「明って普段、そんな風に思ってたんだ?」

 あ。これ、バレてる雰囲気だ。視線を戻す。春夜君は凄く……にやにやしている。芝居じみた口調で言ってくる。

「全然、分からなかった。でも、ちょっとまだ信じられない。だから、分かるまで教えて?」

 棚ドンしていた腕を掴まれる。春夜君は元の調子を取り戻したみたいだ。望まれたので、唇を重ねる。 

「うーん。まだちょっと、よく分からないので……明の想いの深さが分かるように教えてください」

 ……などと要求してくる。私も敢えて応える。

「こうかな?」

 春夜君の想いを……少しも零さないつもりで臨む。舌を舐め合い、体がゾクッと震える。

 自制心が壊れたようにブレーキが利かない。見つめる相手の瞳に、私がいる。唐突に。彼の好きな人は、本当に私なのだと理解できた。

 安堵して涙が出る。もっと深く知りたい。彼の事を。私の事も知ってほしい。この先も。