「あっでも、本当に大丈夫だった?」

 まだ少し引っ掛かっている事を、沢西君に尋ねる。

「私と付き合うフリをするって事は、周りの人たちに私たちが本当に付き合っていると思われる訳で。沢西君に付き合ってる人がいなくても、好きな子くらいはいるんじゃないの?」

 言及する。彼は少し驚いたように私を見た後、目線を落とした。

「そうですね。好きな人は正直いるんですけど、望み薄なんです。その人は別の人が好きで。今は諦めようと思ってます。だからオレの事は全然、気にしなくていいんですよ」

 微笑む沢西君が、どことなく悲しそうに見えて……つい聞いてしまっていた。

「告白はしないの?」

 口にしてから、色々な後悔が押し寄せる。今日知り合ったばかりの人に踏み込み過ぎだとか、もし彼が好きな人に告白して恋が成就すれば……私と付き合っているフリはできなくなるので復讐もできなくなり私的には困るとか。

 ……でも。私のみみっちい復讐なんかよりも、彼氏のフリなんていう無茶振りを快諾してくれた頗るいい人(?)な、沢西君の幸せの方が大事な気がする。

 彼は肩を竦めて見せた。

「振られるの、分かってますからね。あっ、そうそう。坂上先輩の復讐……オレにとってもメリットがあるんですよ。坂上先輩と同じです。オレたちが付き合ってるフリをする事で、その人の心を揺らせるかもしれない。今は全然、脈なしだけど。諦めてしまう前の、最後の足掻きってやつです」

 にこやかに話してくれているけど。沢西君も結構つらい想いを抱えていそうなのが窺える内容だった。

「先輩、覚悟はいいですか?」

 不意に交わった視線。挑むように細められた眼差しに問われる。

「これからオレたちは恋人同士。『フリ』なんて生やさしい認識を持っていたら、すぐに勘付かれますよ。お互いの復讐を達成する為に、欺く事を恐れないで下さい。偽る事を受け入れて。オレたちはこれから一蓮托生です。何か困った事が起きたら、オレを頼って下さい。オレもあなたを頼りにしてます」

 恋人のフリを、私から要請した訳だけど……そうか。そこまで真剣に考えてなかったよ。敵を騙すには、まず自分もなり切っていないとって事だよね。
 最後に言われた「頼りにしてます」って言葉が、ちょっと嬉しい。仲間って感じがする。こんな気持ちになるのは……晴菜ちゃんのほかに友人がいないからだ、きっと。私って友情に飢えているのかなと思考した。

「オレ、あいつらの前で口から出任せに突拍子もない事を言うかもしれませんけど……坂上先輩も話を合わせて下さいね。そういう『設定』だと思って下さい。……じゃあ早速ですが先制攻撃を仕掛けに行きましょう」

「え?」

 朗らかな口調で物騒な提案をされたので面食らった。短く疑問を発した私に、微笑みの形をした目が試すように視線を返してくる。下校時の寄り道を誘うかの如く、事もなげに促された復讐の一歩目。

「えと、待って。いきなり? まだ心の準備が」

「オレの予想だと……あいつらは今頃、自分たちの教室にいる筈です。先輩っていつも、あの女と一緒に帰ってるんですよね?」

「何で知ってるの?」

 言い当てられ驚いて聞いた。いくら私の友人が晴菜ちゃん一人だけであっても。晴菜ちゃんには友達がたくさんいるのだ。私以外の人とも帰る時だって、あるかもしれないじゃないか。

 沢西君は苦笑して、うろたえている私に教えてくれた。

「知らないんですか? 坂上先輩って、ちょっとした有名人なんですよ」

「ええ?」

 初耳な情報に困惑する。

「その話は、また何れ。あいつら坂上先輩を待ってると思います。一緒に帰る為に」

 言われて頷く。晴菜ちゃんは放課後……私に用事があって遅くなったりしても、いつも待っていてくれて一緒に帰路に就く。私にばかり構ってくれるので、私も甘えているところがあるのだ。

 でも何だろう。沢西君の表情に、どこか暗い印象を感じる。何か心配事があるのかもしれないと思った。しかし上手く尋ねる言葉が浮かばない。関係ない話題を口走ってしまう。

「晴菜ちゃんってさ……美人で人気者で友達がたくさんいるのに何で毎日私と一緒にいるんだろうって、きっと皆思ってるよね? 私が有名っていうのも晴菜ちゃん絡みだろうなって分かってるよ」

 苦笑いする。沢西君は私を見たまま一拍、言葉に詰まったように顔をしかめた。

「何言ってるんですか?」

「えっ、違うの?」

 思っていたものと違ったリアクションをされたので、びっくりした。相手を窺う。
 その時、廊下の方から人の話し声が聞こえてきた。女子数人らしき笑い声交じりのそれが、段々と近付いてくる。

「先輩、そろそろ行きましょうか。心の準備……できました?」

 ニッと、余裕のありそうな表情で確認される。言い出しっぺは私だし、沢西君は後輩なのに。彼の方がしっかりしている。

「うん。大丈夫。一人だったらきっと、何もできなかった。二人だと心強いね。沢西君、本当にありがとう」

 感謝してもしきれないよと、心の中で呟く。
 この復讐は……私が岸谷君を諦める為の儀式でもあるから。この恋の最期に、花を手向ける為の。

「そんな弱気で勝てると思ってるんですか?」

 微笑み俯いていた私へ、沢西君が放ってきた言葉。内心を見透かされたように鋭くてハッとする。顔を上げてもう一度、彼を見た。
 仲間であっても容赦のなさそうな、厳しい目付きで念押ししてくる。

「オレたちは運命共同体ですよ、もう既に。あいつらに一泡吹かせるって誓ったからには、満足するまでやりますよ。逃走は勘弁して下さいね。……この部屋を出たら、オレたちは『恋人』です」

 廊下に響く話し声が、すぐ近くに聞こえる。引き戸が開けられ、数人の女子たちが室内に入った。私たちは彼女らと擦れ違い、部屋を出る。

 沢西君の後に続く。廊下を真っ直ぐ進んだ。




 今更ながら心臓が音を立てる。教室が近くなるに連れて、足が震え出してくる。

 斜め前、少し先を行く沢西君を窺う。彼はこの状況に緊張しないのだろうか。後ろ姿からは、その心境を推察できなかった。


 件の教室手前まで来た時、中の方から声がした。

「明ちゃん遅いなーっ。どこに行ってるんだろう。岸谷君、知らない?」

 思わず足が止まる。気持ちが重くなり、下を向いて教室から目を逸らす。

 そうだ。晴菜ちゃんは普段、岸谷君の事を「岸谷君」と呼んでいる。だから、さっきは本当に驚いた。「聡ちゃん」って、呼んでいたから。もしかして。二人きりの時は、そう呼んでいるのかな。

 俯いていた視界に、私のものより大きめの上履きが入り込む。顔を上げ、眼前に立つ沢西君を見る。彼は目元を険しくしかめていた。

 あっ……。せっかく沢西君が協力してくれているのに。今、大事な時なのに私……何を考えているんだろう。

 一度でも止まってしまったら、きっと復讐なんてできない。勢いのまま突き進まないと、目的を果たすまでに心が折れてしまうだろうから。

 謝ろうと口を開きかけたけど、すぐに閉じる。沢西君が自らの口に人差し指を当てるジェスチャーをしたからだ。彼は顔を寄せ、ヒソヒソ話をしてきた。

「先輩。何か忘れてません?」

 尋ねられて考える。

 あれ? 今から私たちが行う予定の「復讐の先制攻撃」に、何か必要な手順ってあったっけ? そういえば、私は何をすればいいんだろう。第二図書室にいる内に、もっとよく聞いておけばよかった。

 視線を彷徨わせる私に、沢西君が言う。

「オレたち今日、両想いになりましたよね?」

 「うっ」と一拍、息が詰まる。間近の顔を見返す。眼鏡越しに強気な目。
 綺麗に一笑して再び背を向ける彼の後を追う。

 釘を刺された。気を引き締めないと。私たちは今日から「恋人」なのだ。心の中で唱える。
 沢西君が教室の戸を開けた。


「あっ、明ちゃん!」

 私を見た晴菜ちゃんが座っていた椅子から立ち上がり、こちらへ駆けて来る。
 教室に残っているのは彼女と岸谷君だけだった。岸谷君は教室中央近くにある晴菜ちゃんの席の、隣の席に横向きに腰掛けている。こちらを見ている。

 教室へ足を踏み入れ、晴菜ちゃんと向き合う。私の横へ並んだ沢西君の、後ろ手に引き戸を閉める音が……私に覚悟を決めさせる。後には引けない……違う。引かない。

 晴菜ちゃんが私から視線を移動させている。私の右隣に立つ沢西君を大きな瞳で一瞥し、再び私と眼差しを合わせてくる。

「明ちゃん、この人……」

 晴菜ちゃんが何か言いそうだった時、ガタッと音がした。
 岸谷君が立ち上がり、凝視するように険しい視線を向けてくる。

「そいつ……っ」

 沢西君に驚いているのかもしれない。岸谷君と沢西君は、さっき第二図書室で言葉を交わしていた。沢西君が私と一緒にここへ来たから、焦っているんだよね? 岸谷君と晴菜ちゃんの秘密を、沢西君は見ているから。岸谷君は私には教えたくないんでしょ? 酷いよ。

 湧き上がる悲しみや怒りを抑えて、静かに笑う。努めて明るく紹介する。

「こちらは沢西君。付き合ってるの。今日から」

「え……?」

 岸谷君が発した声に、惑うような響きがあった。その表情もいつもと違う。目を見開きこちらを……特に沢西君をガン見している。

「へえ……」

 小さく呟いた主に視線を戻す。晴菜ちゃんが暗く淀んだ目を細めて、沢西君を見ている。
 見間違いかと思って瞬きした次の瞬間には普段のキラキラした彼女で、私は自分の目を擦った。

 晴菜ちゃんが両手を合わせ、大きく微笑んでいる。

「わーっおめでとーっ!」

「あ、ありがとう……」

 晴菜ちゃんのニコニコと嬉しそうな祝福に圧倒される。戸惑って声が上擦ってしまった。

「わああ……。明ちゃんを選ぶなんて見る目あるぅ! ねぇ、どっちから告白したの?」

 晴菜ちゃんに明るく尋ねられた。物言いの最後に、彼女の目が鋭く光ったと感じたのは……気のせいだよね?

 それにしても。いきなりピンチだ。何て答えよう。付き合ってるフリをお願いしたのは私だから、私から告白したって言った方がいいかも。よし。

 口を開いた矢先、沢西君の声に遮られた。慌てて閉じる。

「図書室で……坂上先輩を何度も見かける事があって。ずっと気になってたんです」

 平然とした口調で語られる私たちの馴れ初め(嘘)。
 驚いて、勢いよく右を見る。沢西君は落ち着き払った、何事もなさそうな穏やかな表情で語っている。…………そっか! さっき彼は言っていた。

『オレ、あいつらの前で口から出任せに突拍子もない事を言うかもしれませんけど……坂上先輩も話を合わせて下さいね。そういう「設定」だと思って下さい』

 ……って! なるほど。この事だったんだね! ちゃんと、それっぽい理由に聞こえるよ。

 沢西君の話は続く。

「オレが坂上先輩に願ったんです。オレの彼女になってほしいって」

 よくスラスラと……本当にあった事みたいに話せるなぁ。彼の頭の中では今、そういう架空のストーリーが展開されているさなかなのかもしれない。

「まさかこんな風に付き合えるとは思ってなかったから、まだ信じ切れてなくて。夢だったらどうしようって思ってます」

 沢西君はそう結びニッと笑った。私は薄ら……感動さえしていた。
 演技うまっ! 沢西君は口から生まれてきたのかな? 詐欺師になれるよ!
 その自然な表情も相まって、言葉が違和感なく胸に入ってくる。


「坂上。さっき第二図書室にいた?」


 苛立ちの滲むような響きが耳に届く。沢西君の醸したほんわかした場の空気が、一気に冷えた気がした。

 聞かれたくなかったけど、避けて通れないと分かっていた。
 目を逸らしたくて仕方なかった問題に向き合う。受けて立つよ。岸谷君へ真っ直ぐに返す。


「うん、いたよ」