帰りの車内。問題(?)は、水面下でジワジワと進行していた。

「ちょ……、花織が凄い目付きで、こっち見てくるんだけど……。あんたの兄ちゃんでしょ? 何とかなんないの?」

 後方に座る朔菜ちゃんが、前の席にいる沢西君にクレームを出している。助手席に座っている花織君が、朔菜ちゃんの方を血走った目で凝視しているからだ。

「私、何かした?」

 朔菜ちゃんは頻りに首をひねっている。



 商店街近くの裏道で朔菜ちゃん、さりあちゃん、ほとりちゃんと別れた。私の家は沢西君たちの住んでいるマンションと同じ方面にあるので、もう暫く一緒に乗せてもらう。

 車は大通りを北へと進んで行く。運転中の理お兄さんが切り出す。

「お前、あの女子高生の事が好きなのか?」

 それまで俯いていた花織君が、ゆっくりと理お兄さんを見た。

「現実の女に興味ないんじゃなかったの? ……佳耶の事は、本当に好きじゃなかったんだな?」

「オレは最低だ」

 理お兄さんに尋ねられ、花織君は再び俯き……絞り出すような声で自分を罵っている。黙り込んでしまった花織君に、沢西君が問う。

「何が最低なんだ?」

 花織君のフッと笑う気配があった。

「あの子にユララの格好で、願望を叶えてもらう想像をしてしまった。今のオレは、その事で頭がいっぱいだからだ!」

「あー」

 花織君の答えに、沢西君は「聞かなきゃよかった」と言いたげに肩を落としている。

「じゃあ本当に、佳耶の事は何とも思ってないんだな?」

 理お兄さんが念押しする。花織君が理お兄さんの方を向き、言い放つ。

「この際だから教えてやるよ。オレは本当は、佳耶が好きだった。だけど佳耶の一番近くには、いつもお前がいるから……必死に諦めようとしてたんだよ!」

「知ってた」

 理お兄さんは事もなげに口にする。

「知っ……え? 知ってた?」

 花織君が、うろたえた様相で聞き返している。理お兄さんは苦笑して言う。

「俺に遠慮してたんだろ?」

「……っ、違うし! オレがお前に敵う筈ないの、分かってて言ってんの? スゲー嫌味だな!」

「それは俺たちじゃなくて……佳耶が決める事だろ?」

 花織君は言葉に詰まったように反論をやめた。理お兄さんは続ける。

「お前が誰を好きでも、別に構わないけど。佳耶への想いには決着をつけろよ。後々やっぱり佳耶が好きだとか言われても、困るから」

「もう好きじゃない」

「嘘だな。後で後悔するぞって言っても……素直に人の言う事を聞かないよな、お前は。だからエサを用意した」

「エサ?」

 理お兄さんの言葉に、花織君が反応を示した。訝しむように眉を寄せ、理お兄さんを睨んでいる。

「ユララの子の写真139枚と、いくつかの動画を特別に……俺のスマホへ送ってもらったんだ。佳耶に告白するなら、全部お前のものだ」

 花織君の目が見開かれる。

「ひっ、卑怯だぞ! 初対面の女子高生に写真をもらうなんて、お前どんだけコミュ力高いんだよ!」

「お前が低過ぎるだけだろ」

「ぐっ」

 理お兄さんの指摘に自覚があるのか、花織君が悔しそうに呻る。

「お前の好きなアニメのキャラだったから頼んだんだ。もしかしたらお前でも、興味を持つかなって」

 理お兄さんは爽やかに言い切った。

「…………分かった。告白はする。でも急な話で、まだ心の準備ができていない。もう少し待ってくれ。先に写真を渡してくれ」

「……。本当にする気があるんだな?」

「ああ」

 成り行きをドキドキしながら見守っていたけど、もうすぐ私の家に着きそうだ。

「先輩」

 沢西君がちょいちょいと手招きしている。前の席の二人には秘密の話なのかなと、耳を寄せる。ごく小さな声で要求があった。

「オレにも後で、写真を送って下さい」

 「え……っ」と思った。理お兄さんに花織君と沢西君には写真を送らないよう言われていたし、それに――。「沢西君も朔菜ちゃん……もしかしたら……さりあちゃんや、ほとりちゃんかもしれない。誰かの事が気になって、写真を手元に残したいと思ったの?」と、もやもやした複雑な心境になる。


「オレ、先輩の写真が欲しいです」

 囁かれた内容にハッとする。シートに置いていた右手の甲に、沢西君の左手が重なっている。

「先輩の写真だけでいいので……」

「えっと? う、うん」

 もやもやは消し飛んだけど、どぎまぎしてしまって沢西君の方も見れなかった。




「あれ? 明ちゃん。今日はあの人、来ないの? いつもなら迎えに来る時間だよねぇ?」

 放課後、晴菜ちゃんに話し掛けられた。私は帰り支度を終えたところだった。机の横に立つ彼女を見上げる。

「沢西君の事? 今日はお家の用事があるらしくて『先に帰ります』って、メッセージが来てたよ」

「ふーん、そうなんだ。じゃあ久々に、私と一緒に帰る? ……って言いたいところなんだけど。私も用事があってね。ごめんね。代わりに朔菜を呼んでおくから」

 その時になって、やっと……違和感がある事に気付いた。

「……晴菜ちゃん。最近、岸谷君と一緒にいないね」

 聞いてみる。晴菜ちゃんの表情に一瞬、強張りがあったと感じる。

「そ、そうかな?」

 晴菜ちゃんの笑顔には誤魔化し切れない、何か疲れのようなものが滲んでいる。

「…………明ちゃん、私ね……好きな人の障害になるものが許せないの。好きな人には、いつまでもずっと幸せでいてほしいって思わない? だから私――――。ううん、何でもない」

 晴菜ちゃんは、最後まで教えてくれなかった。




「舞花様を連れて来ます!」

「えっ?」

 ほとりちゃんが腰に手を当て問題発言を放ったので、私と朔菜ちゃんは同時に聞き返していた。

 朔菜ちゃんらが放課後によくたむろしている美容室の待合スペースにいる。朔菜ちゃん、ほとりちゃんと喋っていた。

 さっき……ほとりちゃんから「話があるから、いつもの美容室で」とメッセージをもらったので、朔菜ちゃんと寄ったところだった。ほとりちゃんは拗ねたように頬を膨らませて、理由を話してくれた。

「だって朔菜ちゃん、頑なに舞花様に会ってくれないんだもん。朔菜ちゃんも明ちゃんも……会えば絶対、好きになると思うの!」

「む、無茶な事言うなっ! ほとりっ! 私はぜっっったいに会わないからな! 虫唾が走る!」

 朔菜ちゃんは言い切った後、両腕を摩って震えている。

「私は会ってみたいかも」

 朔菜ちゃんには悪いけど、ほとりちゃんの意見に賛成する。

 私も出会った当初は、ほとりちゃんたちに心を許していなかった。けれど一緒に過ごす時間が多くなるにつれて……相手のいいところや悪いところも少しずつ知れていって「ここで彼女が怒ったのは、あれのせいだ」とか、気付けるヒントになったりもしていた。全部は理解できないだろうけど……相手について知っていれば、誤解が生じるのを未然に防げる可能性もあると思う。

「だよね~! 明ちゃん。賛同してくれるって思ってたよぉ」

 ほとりちゃんと左右の手を合わせて、わきゃわきゃ話を弾ませていると。朔菜ちゃんがイラッとしたようで、眉をピクピクさせながら睨んでくる。

「裏切者!」

 負け犬の遠吠えみたいな事を言われた。

「何で嫌なの?」

 理由を尋ねてみる。そっぽを向かれた。

「嫌いなの! 猫かぶってるじゃん」

「会った事ないのに、知ってるみたいな口調だね」

 指摘する。私は朔菜ちゃんの喉が息を呑んだように動く様を、見逃さなかった。

 美容室のお姉さんこと晴菜ちゃんのお母さんが、お客さんのパーマの具合を確認しながらフフッと笑っている。

 そうなのだ。「晴菜ちゃん」のお母さんだったのだ。てっきり……朔菜ちゃんのお母さんか、お姉さんだろうと思っていたけど違った。「朔菜」と「晴菜」で名前が似ているから、二人は姉妹なのか聞いてみた事もあったけど違うらしい。詳しくは語られていない。



 次の日、聖女こと柳城舞花さんが美容室を訪れた。成程。物凄い美少女だ。
 透明感のある儚げな薄化粧。垂れ目で大きな瞳。薄い茶色で胸くらいまでの長さの髪は、緩く波打っている。目が合うと「こんにちは」と、ニッコリ柔らかく微笑んでくれる。

 彼女の隣に立っていたほとりちゃんが、気付いて聞いてくる。

「あれっ? 朔菜ちゃんは? まさか……」

「うん。『一人で行けば』ってメッセージが来てた」

「んぐっ」

 私が答えた直後、変な声が聞こえた。声のした方を見る。晴菜ちゃんのお母さんが、床に膝をついて蹲っている。

「大丈夫ですか? どこか具合でも……」

 咄嗟に彼女の側に寄って、顔色を確かめる。晴菜ちゃんのお母さんは口を押さえ、目から涙を零している。

「あっ、違うの。具合が悪い訳じゃなくて……」

 彼女は手を振って否定する。語尾を濁された。
 晴菜ちゃんのお母さんが隠そうとしている真の表情に気付いた時、私の脳裏に日帰り撮影旅での出来事が過る。謎の正体を掴めた。

 振り返って、その人を見る。舞花ちゃんは穏やかに微笑している。

「どうしたの? 明さん」

 何事にも動じなさそうな瞳は優しげで。鈴を転がすような可愛らしい声で尋ねてくる。
 晴菜ちゃんのお母さんが蹲っていても心配していない様子は、話に聞いた『聖女』と呼ばれる人の行いと矛盾している。

 確信をもって口にする。

「この状況で『どうしたの?』はないよ。……朔菜ちゃん」

 バッグから見えたウィッグ。ユララにそっくりだったお化粧の腕。晴菜ちゃんのお母さんがこっそり、涙が出るくらい笑っていた事。この場にいない朔菜ちゃん。

「えっ?」

 ほとりちゃんが声を上げた。彼女は目を剥いて、私と舞花ちゃんを交互に見ている。舞花ちゃん姿の朔菜ちゃんが、ニコッと笑って言う。

「イライラし過ぎて、つい我を忘れてしまったわ」