問われて心の中で「見たいです!」と即答する。けれど、沢西君は部屋に入ってほしくなさそう。だから口には出さなかった。
「遠慮しなくていいよ。何なら、俺が飲み物を用意して持って行くから……」
「理兄ちゃん分かったから! もう帰って! オレたちも、もう少ししたら出るから!」
猶も勧めてくるお隣のお兄さんを、沢西君が廊下へ押し出している。お隣のお兄さんは去り際、私へ「またね」と手を振ってくれた。玄関ドアの閉まる音が響く。
「……先輩。オレの部屋を見てみたいって思ってます?」
言い当てられてギクッとする。
「詰まらないですよ? 片付いてないですし」
釘を刺す沢西君に、つい言ってしまう。
「嫌がられると逆に見たくなるって言うか……うん。見たい。凄く興味ある」
「そうですか」
沢西君が横に視線を逸らす。手で口元を隠す素振りの彼へ、期待を込めた眼差しを送る。
「見るだけですよ? 少しだけですからね!」
「うん! ありがとう沢西君!」
沢西君に続いて廊下へ出る。玄関へ向かって右にあるドアを開けている。私も中へ入った。
右奥にベッド。その左にこちら向きの本棚があり、窓の側に机が置いてある。
やはり。思った通りだ。沢西君の事だから、きっと……家にも本が沢山あるんだろうなとは思っていた。でも振り返った時に、ドア側の壁に面して大きな本棚が……更に二つあったのには驚いた。呟いてしまう。
「凄い……」
本棚に並ぶ本を見回す。読んだ事のない本がいっぱいある!
因みに部屋は散らかっていなかった。本が二、三冊……床に積んであるだけだ。
「ねぇ、沢西君……。本、見てもいい?」
「ダメです」
即断られて、相手を見返す。
「そんな悲しそうな顔してもダメです! さっき少しだけって言いましたよね? もう外も暗いので、帰った方がいいです。行きましょう」
沢西君が手を差し出してくる。
「……分かった」
渋々了承する。ありったけの自制心を働かせ、本棚から目を逸らし……沢西君の手に自分の手を置く。
強く引っ張られたと状況を理解したのは、ドアに押し付けられた後だった。
「いいんですよ。ずっとここにいてくれても。先輩が、そのつもりなら」
突然された提案に、びっくりして息を呑む。沢西君は真顔だ。
「あ……我儘言ってごめん。いたいのは山々だけど、もう帰らないとね」
やっとの思いで口にする。胸の動悸が激し過ぎる。左下に顔を背けた。
何? 今、何が起きたの?
さっきの一瞬、沢西君の言葉がプロポーズみたいに聞こえた。
だけど、ちゃんと分かっている。私を帰らせる為に、脅かしただけだって事は。だがしかし、どうしても譲れない部分を乞う。
「また遊びに来てもいい? その時は、もっと本を見てもいい?」
沢西君は何故か溜め息をついている。
「いいですよ」
額に手を当てていた彼が、ぶっきらぼうな口調で答える。何か不満があるのかもしれない。睨まれた。
沢西君は今日も、家の下まで送ってくれた。道路には街灯が設置されているおかげで夜も明るい。
「沢西君、遅くまでありがとう。楽しかった!」
伝えると彼は右下に視線を外した。
「突然誘って迷惑じゃなかったですか?」
「全然! 沢西君の部屋が見れて結構満喫したよ」
欲を言えば、沢西君の部屋の本を読み漁りたかった。
「今日、沢西君のお家に誘ってもらえて嬉しかった」
「そう……ですか。よかったです」
「じゃあ、次は日曜日だね」
「はい。明後日ですね」
ユララなりきり撮影の日帰り旅は、明後日……決行される。
七人乗りの大きめな車で、目的の撮影場所へ向かっている。運転手は理お兄さん。助手席に花織君。二列目に沢西君、私。三列目に朔菜ちゃん、ほとりちゃん、さりあちゃん……という感じに座っている。
……そう。何故か沢西君のお兄さん……花織君も同乗している。
花織君が顔を右に向け、理お兄さんを睨んでいる。
「オレは見張りだからな。少しでも女子高生に手を出せば即刻、佳耶に報告する!」
花織君は理お兄さんに咬みつかんばかりに宣言する。だが理お兄さんはおかしそうに「フフッ」と一笑した。
「俺と佳耶、別に付き合ってないんだけど」
「んな訳あるかっ!」
「お前こそ、どうなの? 佳耶の事、何とも思ってないの?」
理お兄さんの追及に花織君が「ぐっ」と言って一瞬黙った。再び前方に頭を向けた彼から、弱々しい声が出る。
「あっ当たり前だろっ? オレの恋人は、この次元にはいないんだ……」
二人の会話から、そこはかとなく三角関係の匂いがしている。二人が沈黙したので車内がシーンと静まる。ほかの皆も、お兄さんズの話を聞いていたようだ。だがすぐに騒がしくなる。
「なんっで朔菜と一緒なのよ! ほとり、あんたって子は……!」
「こっちのセリフだね! 会う度に身長伸ばしてんじゃねーぞ。忌々しい!」
「ま……まあまあ」
後方を見ると問題の人たち……朔菜ちゃんとさりあちゃんが、お互いを凄い形相で睨んでいる。間に座るほとりちゃんが壁になって、掴み合ったりとかはしていないけど。いがみ合っている。挟まれたほとりちゃんは、二人を落ち着かせようと頑張っていた。
「まあまあまあ……。あっ、そういえば朔菜ちゃんって何が切っ掛けでユララを好きになったの?」
ほとりちゃんが話題を変えてくれた。振り向いて賛同する。
「私も聞きたい!」
朔菜ちゃんが目を瞠るように、こっちを見た。しかし「別に……」と、すぐに視線を逸らされる。だけど、ちゃんと答えてくれた。
「最初にユララを見た時、『可愛い何これ』って思っただけだよ。それから『私もユララになりたい』って、密かな夢を持つようになった。もしかしたら、これが……私の初恋なのかもしれない」
前を向いて朔菜ちゃんの声に耳を傾けていた。ひとつ前の席に座る花織君の頭が、ピクッと揺れた気がする。花織君もアニメが好きそうだったし、何か思うところがあるのかもしれない。
彼については「沢西君のお兄さん」では長くて呼びづらいので、私たちの間では「花織君」と呼ぶ事になった。朔菜ちゃんだけは呼び捨てにしていたけど。
「沢西君ちのお隣のお兄さん」も長かったので「理お兄さん」で定着した。朔菜ちゃんも、そう呼んでいる。「理は呼び捨てにしてない! 何故だ!」と、花織君が憤っていた。
「こんな地方じゃアニメのそれらしいイベントもないし、都会で開催されるイベントに参加しようにも交通費だけで数万円失うもんね」
ほとりちゃんが溜め息をついて愚痴っている。朔菜ちゃんがポツリと零す。
「写真だけでいい。手元に残して、それで……この恋は諦める」
「朔菜ちゃん……。よし! 今日は全力で楽しもうね!」
ほとりちゃんが意気込んでいる。
「さりあちゃんも! そろそろ覚悟は決まった?」
ほとりちゃんが、さりあちゃんに話を振っている。さりあちゃんは、まだためらっているようで「舞花様を差し置いて私が……なんて!」という呟きが後ろの席から聞こえてくる。ほとりちゃんが「舞花様も、このアニメ好きだもんねー」と、和やかに笑っている気配がする。
右後方でガサゴソと音が聞こえる。見ると朔菜ちゃんが鮮やかな濃い水色のウィッグを手にしていた。
「あんたの分も用意してやったよ。私に、ここまでさせといて……まさか怖気付いたなんて言わないよね?」
朔菜ちゃんが、さりあちゃんへ挑発するように目を細めている。朔菜ちゃんは続けてこう言った。
「メイクも私がしたげる。ちょっと時間が掛かるけど、自信あるから任せていいよ」
「ふ……フン! 今回は、任せてあげてもいいけど」
よかった。朔菜ちゃんとさりあちゃんが仲良くなれそうな雰囲気で。後方の三人はその後、アニメの話で盛り上がっていた。ほっとして前を向く。
……何だろう? 花織君の頭が揺れている。理お兄さんが言及する。
「お前もアニメの話、したいんだろ? まぜてもらえよ」
「うっせー! 心を読むんじゃねー!」
反抗期の少年と、その親みたいなやり取りだった。
山間や海沿いの道を進み、目的地に到着した。無料駐車場の側に大きなトイレがあり、その裏は結構広い休憩所になっている。ウッドデッキの先一帯は、広大な薄の原が続いている。とても眺めがいい。山々を背景に、遠くの方には小さく民家が点在している。海は、もう少し道を進んだ所にある。
「お化粧の時間もあるし、ユララになった姿を見られるのは恥ずかしいらしいので……お兄さんたちと沢西君は……二時間くらい、どこか別の場所で時間をつぶしてきてください」
ほとりちゃんが、お兄さんズと沢西君に無情な事を言う。花織君が目を大きくして聞き返す。
「二時間? こんな何もないド田舎で? コンビニだって2キロは離れてるぞ。連れて来たのに、この仕打ち。エグくない?」
「未成年だけ残して、この場を離れるのもな……そうだ。すぐ近くの海辺にも公園があるから、そこら辺にいるよ。何かあったら電話して」
理お兄さんは穏やかな笑みで言い置き、先に歩いて行く。
「じゃあ先輩、また後で」
「うん。ちゃんと写真は見せるから!」
沢西君と手を振り合った。
見送った後、さっそく準備に取り掛かる。トイレは、たまにほかの利用者も来るけど……裏にある休憩所の方は滅多に人が来ない穴場だった。テーブルや椅子、大人数が座れるベンチもあるし。そこで朔菜ちゃんとさりあちゃんは化粧をし、トイレで着替えてからウィッグを被った。
ウィッグを整え終わったようだ。朔菜ちゃんが出て来た。一拍、息が止まる。思わず口にする。
「え……? 朔菜ちゃん。ここまでやるとは思わなかったよ」
流れる濃い水色のポニーテール、水色の瞳。レースや妖精風の翅があしらわれた、どこか和モダンな衣装。こんなに細かく手の込んだものを、普通の高校生が作れるものなのか疑問に思う程に……妥協がなかった。可憐な出で立ちなのに、凛とした表情には気高ささえ感じる。透き通るような桜色の肌も目元のホクロも髪の流れも、忠実に再現されている。
紛れもない美少女……ユララだ。この世界で今、一番ユララに近いのは彼女だと断言できる程に……常軌を逸したなりきり具合だった。
もはや朔菜ちゃんの面影は、どこにもなかった。
「正直、舐めてたよ。朔菜ちゃんの執念を」
感想を述べると、彼女はニッと笑う。「これ持ってて」と言われ、道具の入ったバッグを預かった。軽い素材で立体的に作られているタイプのもので、閉めてあるチャックの端から髪の毛がはみ出ている。
「ん?」
もう一度見る。……髪の毛がはみ出ている。
恐る恐る、その房に触れてみる。
ウィッグ?
……あっ、そっか。これ、朔菜ちゃんのいつもの髪型のウィッグだ!
うん、そうだよね。よく考えると。地毛で元の朔菜ちゃんの髪色にしていたら、学校の先生に注意されるもんね。
意外な事実に、ちょっとドキドキする。
