あなたの声は想いを奏で、私のペンは希望を紡ぐ~社交界を追放された令嬢が常勝将軍の最愛になるまで~

 ロバートとジュリエットのいささか奇妙ではあるが穏やかな生活に変化が現れたのは、それから一月ほど後のこと。

 きっかけは、ロバートの侍医であるヘイズ医師が提案した、温泉地バースへの転地療養だった。

 ロバートの目は、負傷した当初の全く何も見えない状態からはゆっくりと回復しつつはあるものの、その調子に波があった。全体にぼんやりと明るさを感じられる程度の日もあれば、動く人影らしきものがなんとなく判別できるまで見える日もある。かと思うと、目の前に冬の曇天のような濃いグレーのもやがかかって頭が重く痛む時もあり、その不安定さが皆を悩ませていた。

 頭を打ったことが失明の原因である以上、外科手術やら何やらでどうにかできるものではない。ただ、何かしらの刺激によって症状が改善することもある。であれば環境を変えてみるのはどうだろうか。ヘイズ医師はそう勧めた。それから、言いづらそうに言葉を選びながら、こうも言った。

「閣下、そろそろ結論を出さねばならない時期に来ています。これ以上の回復が見込めるのか、もう一度将軍として軍務に復帰できるのか、この夏が終わるまでには……」

 この夏が終わるまでには。その言葉が、ジュリエットに目を逸らそうとしていた現実を思い出させた。

 夏が終わって十月になったら、あの海戦から一年経つ。戦勝記念式典や戦死者追悼ミサといった重要な行事が立て続けに予定されていて、当然のことながら海軍の重鎮であるロバート・グリーンウッド将軍がその場に現れることを皆が望んでいるだろう。かの偉大なるネルソン提督亡き今、その愛国精神を受け継ぐ者として、ロバートの立ち位置は一年前より遥かに存在感を増しているはず。おまけに世間は彼の目のことを知らない。さて、どうするか。

 正直なところ、式典に出席するためには視力が完全に元に戻っている必要はない。皆に将軍の目が見えていないことを気取られさえしなければいいのだ。戦勝一年の節目の式典が過ぎれば、人々の関心も薄れていくに違いない。その時を待って、さりげなくロバートは表舞台から消える。もちろんそれまでに目覚ましい回復を遂げて、軍務に復帰できるところまで行ければ大いに結構だけれど、今はとにかく、一人で出歩ける程度まで見えるようになってくれればいい。だから転地療養だろうが何だろうが、少しでも可能性があるのならば、賭けてみる価値はある……。

 また酷く落ち込んで荒れるのではないかと、屋敷の者たちはハラハラしたが、ロバートは意外にもその提案をすんなりと受け入れた。彼自身、ままならない自分の身体にもどかしさを感じているのはもちろんだったが、それ以上に、こんなにも長い間、田舎の領地でくすぶっている毎日に飽き飽きし始めていたのもあったのだろう。彼はそろそろ結論を、というヘイズ医師の意見にも表立って動揺した様子は見せず、むしろどこか浮き浮きとしているようにもとれる口ぶりで、ごく自然ににジュリエットに同行を求めた。

「ということでジュリエット嬢、旅行の支度をしてくれ」
「わたくしはご一緒しないほうが良いと思うのですが」

 だがジュリエットの遠慮がちな返答を、ロバートは一も二もなく却下した。

「何を言う。あなたがいなければ、向こうに滞在中、誰に手紙を書いてもらえば良いのだ? 仕事はいくらでもあるというのに」
「でも……」
「そもそも、契約にバースに行ってはいけないという条項などはないのだし、うちの別荘に滞在するのだから、今と同じだろう。そうだ、ジュリエット嬢はバースに行ったことはあるか?」
「いえ、ございません」
「じゃあ、なおさら好都合じゃないか。決まりだ。ダリルと現地で落ち合うことにしよう」

 ジュリエットは言葉に詰まった。……ああ、ロバートが軍人、しかも将軍だということを忘れていた。瞬時に人心を掌握し、弱い所を的確に突いてくる。魅力的な誘いなのは確かだ。なぜならロンドン育ちの貧乏子爵令嬢のジュリエットにとっては、温泉地に保養に出かけるなど、到底かなわない夢だったから。バース……行けるものなら行ってみたい。その名前の響きに、ジュリエットは抗えなかった。それともう一つ、手紙を書くという言葉がジュリエットの心をぴりっと引っ搔いた。

  ()()()()()()()との文通が始まって以来、ロバートからセシリアへの手紙の代筆を頼まれると、ジュリエットは同じものを二通用意し、一つは返事を書くための控えとして手元に残して、もう一通は律儀に今まで通りブラウニング侯爵家へ送っていた。もしかしたら返事が来るかもしれない……そんな一縷(いちる)の望みをこめて。だが、それは空しい試みだった。ジュリエットが送った手紙は二通とも、封も切らずにそのまま送り返されてきて、マーシャをひどくがっかりさせた。

 ブラウニング家にどんな事情があって、セシリアがロバートからの連絡を拒否しているのかは分からない。だが、一つだけはっきりしていることがあった。それは、そろそろ潮時だということだ。今の状況は、誰もが誰かに嘘をつくことで成り立っている。ロバートはセシリアに、ジュリエットはロバートに、そして……セシリアもロバートに何か隠している。こんなことがいつまでも続けられる訳がない。どういう結末を迎えようとも、いずれ真実は明かされなければならないのだ。他ならぬロバート自身が誰よりもそのことを理解しているからこそ、彼は今回の転地療養に賭けたのだった。