辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする

 沙耶は小さく息を吐いた。
 匠真と涼花は高校の同級生だと言っていた。涼花はいったいいつから匠真に想いを寄せていたのだろうか。長い期間彼のそばにいたことを考えると、そう簡単に踏ん切りがつくとは思えなかった。
「やはり涼花さんが気の毒だよな。あとでもう一度話をしてみるよ」
 彼は心配顔で、涼花が去った方向に視線をやった。
 涼花のことは気がかりだ。けれど、匠真が涼花とふたりきりになるのだと思うと、モヤッともするのだ。
 そんな自分に嫌気がさす。
 沙耶がなにも言わないでいたら、匠真が口を開いた。
「だが、今は沙耶を送りたい」
 沙耶は首を横に振った。
「いえ、私は電車で帰ります」
「沙耶、どうしたんだ?」
 匠真が怪訝な声を出した。沙耶は嫉妬心を悟られたくなくて視線を落とした。
「な、なんでもないです」
「そんなはずないだろう?」
 匠真は沙耶の顎に手を添えて、彼のほうを向かせた。
「なにがあったんだ?」
 匠真に目を覗き込まれて、沙耶は小声で答える。
「ただ涼花さんが……心配で。涼花さんの前で私たちが親しげにしたら、余計に傷つくんじゃないかと思って」
 匠真は少し考えるような表情をしてから答える。
「だが、涼花さんは俺たちのことを喜んでくれてたよ」
「それは……」
 沙耶は言葉に詰まった。
「それに、気を遣わないでほしいとも言っていた」
「そう……だったんですね」
 そう言われても、『〝すず〟って呼んで』と言っていた涼花の悲痛な声が耳から離れない。
「涼花さんにはあとでちゃんと連絡する。明日、日本を経つから、今日、少しでも沙耶と一緒にいたいんだ」
 匠真に言われて、彼が明日から一週間、脳神経外科学会に出席するためオーストリアのウィーンに行く予定だったことを思い出した。
「そう、でしたね」
「送らせてくれるね?」
 沙耶は小さくうなずいた。