辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする

 省吾は細い目を大きく見開いて、口をパクパクと動かす。
 沙耶は匠真のコートの胸に頭を預けた。包み込んでくれる彼の温もりに背中を押されるように、言葉を発する。
「あのとき、あんなふうに一方的に別れを告げて電話を切ったのに、今さらこんなふうに言うなんて、あなたのほうこそ私を都合のいい女として扱ってるじゃない」
「俺はそんなつもりは――」
 省吾の言葉を遮るように、沙耶はきっぱりと言う。
「私の気持ちはあなたになにを言われても揺るがない。私はこの人のことが好きなの」
 沙耶の最後の言葉を聞いて、省吾の表情が悲しげに崩れていく。
「沙耶……」
「俺の恋人だ。名前で呼ばないでくれ」
 匠真が冷ややかな声を出した。省吾はぐっと下唇を噛みしめて肩を落とす。
「もうなにを言ったって、君の心は取り戻せないんだな……」
「そうよ」
 省吾が顔を上げて、沙耶を見つめた。沙耶は強い目で見返し、省吾は自嘲するように口元を歪めた。
「ここまで俺を拒絶するくらい、君を傷つけてしまってたなんて。俺は本当にバカだった……」
 こんなに落ち込んだ様子の省吾を見るのは初めてだったが、哀れみ以外、なにも感じなかった。
「さよなら」
 沙耶の低い声を聞いて、省吾は視線を落とした。
「……すまなかった」
 彼は消え入りそうな声で言って、ふたりに背を向けた。そのままトボトボと駅のほうへ歩きだす。
 省吾が角を曲がってその姿が見えなくなり、沙耶は大きく息を吐き出した。
 最初は、沙耶をみじめに振った元カレといるところを、それも罵られているところを匠真に見られたくない、と思っていた。でも、彼は沙耶をかばってくれた。
(匠真さん……)
 胸の奥から熱い感情が込み上げてきて、このままずっと彼の胸に包み込まれていたい、と思ってしまった。
 けれど、ふたりの関係は期間限定の偽恋人なのだ。
 沙耶は切なさを振り払うようにギュッと眉を寄せて、体を起こした。
「匠真さん、ありがとうございました」