辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする

 赤いドアを出て今は誰もいないテラス席の横に来たとき、匠真が足を止めて振り返った。少し眉を寄せたその表情はどこか不機嫌そうで、沙耶は胸の前で両手をギュッと握った。
『あの、今日のランチ、お口に合わないものがありましたか?』
『ランチはとてもおいしかった。でも、君に少し怒っている』
『えっ、わ、私、なにかしましたか?』
『むしろ、しなかった』
『え?』
 沙耶はきょとんとして匠真を見た。その沙耶の耳元に、匠真は顔を傾けて唇を寄せる。
『来週の日曜日、誕生日だってことを教えてくれてなかった』
『あ』
『そんな大切なことを教えてくれなかったら、怒って当然だろう?』
 匠真は体を起こしていたずらっぽく微笑んだ。どうやら彼は本気で怒っていたわけではなかったようだが――。
『でも、私たちは期間限定の偽の』
 恋人同士で、と言いかけた沙耶の唇に、匠真が立てた人差し指を軽く当てた。彼の指先の感触に、沙耶の胸がドキンと跳ねる。
『昨日、君のお父さんに、来週、君が二十八歳になるって教えられたんだ。『付き合い始めて間もないなら、誕生日を知らなくても仕方ないですね』ってフォローはしてくれたけど』
『それは……すみませんでした』
 付き合っているのに誕生日を知らないなんておかしい、と思われる可能性だってあったのだ。
 匠真が手を下ろし、沙耶は言葉を続ける。
『でも、気にしていただかなくて構いません』
『そういうわけにはいかない。お父さんに楽しく過ごしたのか訊かれるかもしれないだろう?』
『そう……でしょうか』
 考え込む沙耶に、匠真が畳みかける。
『君が俺と付き合っていると知ってから、お父さんはお会いするたびに君の話をされるんだ。君のことをとても気にかけていらっしゃるようだよ』
『そうだったんですね』
 父の退院よりも沙耶の誕生日のほうが先なのだから、『訊かれるかもしれない』というより、間違いなく訊かれるだろう。
『プレゼントのリクエストはある?』
 匠真が沙耶にぐっと顔を近づけた。
『プ、プレゼントですか?』
(でも、偽恋人なんだから、高価なものをもらうわけにはいかないし……)