辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。先生のおかげで父が今までどおりの生活に戻れると聞きました。本当にありがとうございました」
 沙耶は心を込めて頭を下げた。顔を上げたら、匠真が少し困った表情をしていた。
「そんなにかしこまらないでほしい。お父さんの生活を守ることができて、俺も嬉しく思ってるんだ。それに、俺はプラチナの客でもあるから、普段も〝先生〟じゃなくていい」
「いえ、そういうわけには」
「君が俺を〝先生〟って呼ぶなら、俺は君を〝スーシェフ〟って呼ばなくちゃいけなくなるよ。沙耶スーシェフ?」
 笑みを含んだ声で匠真に呼ばれて、沙耶は首をぶんぶんと横に振る。
「ス、スーシェフだなんて! とんでもないです」
「そんなことないよ。涼花さんが君をとても頼りにしてるって言ってた」
 匠真は肘をついて顎を支えると、沙耶に顔を近づけた。彼との距離が縮まってドギマギしながら、沙耶は目線をテーブルに落とす。
「憧れの涼花さんがそんなふうに言ってくれてたなんて、嬉しいです」
 そう言いながらも、そんな話をするなんて、やっぱりふたりは特別な関係なんだ、とぼんやりと思った。
 そのときチエがやってきて、匠真の前にランチプレートを置いた。
「おまちどおさま」
 ロールキャベツと温野菜のサラダ、キッシュとロールパンのセットだ。
「沙耶さんはもうランチ食べた?」
 匠真に訊かれて沙耶は首を横に振る。
「あ、いえ」
「食べないと元気出ないよ」
 匠真はひと口サイズに切ったキッシュをフォークにのせて沙耶の口元に近づけた。
「ほら」
「えっ」
「食べてごらん」
 匠真の視線が唇に注がれ、沙耶はドキドキしながら口を開けた。キッシュが差し込まれ、閉じた唇からフォークが引き抜かれる。
 男性に〝あーん〟をされたのは初めてで、沙耶は頬を赤くしながら左手を口に当て、もぐもぐとする。チエが担当のキッシュは、ベーコンの塩味がほうれん草と卵の優しい味わいを引き立てている。
「おいしい……」
「もうひと口食べる?」
 匠真が微笑みながら次のキッシュを差し出そうとするので、沙耶はあわてて胸の前で両手を振った。