辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする

(まさか省吾くん……?)
 彼のことを思い出して、胸がかすかに痛んだ。完全に吹っ切れたわけではないけれど、彼に別れを告げられたあの日に比べれば、痛みは嘘のように和らいでいた。プラチナの仕事に夢中で取り組んでいるうちに、あれほどつらかった心の傷は、少しずつ癒えていたようだ。
(省吾くんのわけないか)
 彼と別れて以来、沙耶に連絡をくれる相手はいなくなってしまったが、念のためバッグからスマホを取り出した。
「あれ」
 画面には〝お母さん〟という文字が表示されていた。父の再婚相手である美咲からメッセージが届いている。ゴールデンウィークに実家に顔を出すため、メッセージをやりとりして以来の連絡だ。
 不思議に思いながらメッセージを開いた沙耶は、目を見開いた。
【心配しないでほしいんだけど、昨日お父さんが手術をしたの】
「ええっ」
 母は病気がわかって入院してから、あっという間に悪化して亡くなってしまった。そのときの記憶が蘇り、不安で全身から血の気が引いていく。
 沙耶は震える指先でどうにか返信を打とうとしたが、動揺しすぎて何度も間違えた。
【手術ってなんの手術?】
 ようやく入力できた文章を送信して、もどかしい思いで画面を見つめる。焦りと不安で息苦しさを覚えたとき、返信が届いた。
【脳梗塞。救急車を呼んで病院に連れていってもらったら、そのまま手術になったの】
【お父さんは大丈夫!?】
【うん、今は意識もしっかりしてる】
 美咲の返事を読んで、沙耶は下唇をギュッと噛んだ。
(お父さんにそんなことがあったなんて……)
【どこの病院?】
 メッセージを打ち込んで、スマホを握り締める。
 父に会いたい。顔を見て、本当に大丈夫なのか確かめたい。
(でも、今まで連絡がなかったんだから、急に私が行ったら迷惑になるかもしれない……)
 美咲から返信がなくて泣きそうになったとき、更衣室のドアがノックされた。
「沙耶ちゃん、開けてもいい?」
「あ、はい」
 沙耶はどうにか声を出した。
「ちょっと思ったんだけど、寒くなったらカフェでおでんを出すのって――」
 どう思う、と言いながらドアを開けた涼花は、沙耶の顔が真っ青なのに気づいて、表情を曇らせた。