辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする

「女優さんかしら」
 そばにいたヒーコが小声で言った。
「すみません、ただいまカウンター席しか空いておりませんが、それでよろしければどうぞ」
 チエが声をかけ、女性は小さくうなずいて入り口近くの空いていたカウンター席に腰を下ろした。
 ヒーコが湯飲みに温かいお茶を淹れて、紙おしぼりとともに女性の前に置いた。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びくださいね」
 言いながら、ヒーコは女性をじーっと見ている。女性は顔を伏せたままうなずいた。
 沙耶がキッチンに戻ると、涼花が近づいてくる。
「ねえ、あのお客さま、匠真くんのお母さまっぽくない?」
 涼花が声を潜めて言った。沙耶も同じように低い声を出す。
「似てる、とは思いました」
 というより本人のような気がするのだが、女性が顔を隠したままなので確信は持てない。
 気になりながらも、副菜のきんぴらごぼうを小鉢に盛りつける。そこへヒーコが首を傾げながらキッチンに戻ってきた。
「うーん、私の知ってる女優さんじゃないみたい」
 沙耶が目を向けたら、女性はそばを通りかかったチエを呼び止めて、マスクでくぐもった声でなにか質問した。
「それでしたら、こちらとこちらになりますよ。セットにすることができます。そのほかこちらからも選べますよ」
 チエはメニューを指さしながら、女性に丁寧に説明している。
「お飲み物はお料理と一緒にお持ちしましょうか? それとも後がよろしいですか?」
 チエの問いかけに、また女性がなにか答えている。相変わらず声ははっきりとは聞こえないが、やがてチエは「はい。少々お待ちくださいね」と言って、キッチンに戻ってきた。
 チエは不思議そうな表情で涼花と沙耶に言う。
「あのお客さま、オーナーと一番若い女性が作ったメニューを食べたいっておっしゃったの。つまり、涼花さんと沙耶ちゃんだよねぇ。だから、〝冬のオリジナルハーブティー〟と〝ローストポークのハニーマスタードソース〟をお薦めしたら、注文してくださったのよ」
 沙耶と涼花は顔を見合わせた。
「どういうおつもりなのかわからないけど、普段どおりやるしかないよね」
 涼花の言葉に沙耶もうなずく。
「そうですね」
 正式なプロポーズはまだだが、匠真とは将来の約束をしている。けれど、静枝は沙耶と匠真の付き合いを反対しているのだ。